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★ かむなびの いはせのもりの ほととぎす けなしのおかに いつかきなかむ
しきのみこ
★ 神が居ます石瀬の森のほととぎすよ、毛無しの丘に いつ来て鳴いてくれるのか。
志貴皇子
この歌は夏の歌なので、載せました。
志貴皇子は、前にも記した天智天皇の7番目の息子です。天皇に即位することなく人生を
終えられた方です。
他にも、万葉集には6首の歌が、収められています。
★ 大原の このいち紫の いつしかと 我が思ふ妹に 今夜逢へるかも
★ むささびは 木末求むと あしひきの 山の猟師に 逢ひにけるかも
★ 采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く
★ 葦辺ゆく 鴨の羽交に 霜降りて 寒き夕へは 大和し思ほゆ
★ 石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌えいづる春に なりにけるかも
最後の歌は私のとても好きな歌です。
★ いはばしる たるみのうえの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかも
★ 岩にほとばしって落ちる滝のほとりのわらびが、芽を出す春になった事だ
季節外れなので、最後に記しましたが、実はこの歌を載せるために、
志貴皇子の歌を集めてみました。
この和歌は、もう随分と前に、曲を付けていただき、CDにも入れています。
是非、これを機会にお聞きになってみてくださいね。
春の喜びに溢れた歌です。和歌はいいですね・・・・理屈を捏ね回して難しく言わない・・・・・
次回は残りの志貴皇子の歌を、紐解いてみますね・・・
結構、私のタイプかもしれない・・・・から
★ みわやまを しかもかくすか くもだにも こころあらなむ かくさふべしや
ぬかたのおおきみ
● 三輪山を隠すなんてことがあるでしょうか? せめて、雲だけでも 情けがあって欲しい
隠すなんて事はあるはずがないと思いたい 額田王
雲だけでも情けがあって欲しい・・・と詠む・・・ということは、彼女の周りで心無い事が起きているということでしょう。
前回書いたように・・・雲隠れなむ・・・とは、死を意味する言葉です。
古代の人は死をそのようにとらえていた・・・・死そのものが現代と意味が違っていたとしても
・・・・簡単な事・軽んじる事ではなかったはず・・・ということは、彼女はやはり、奈良を離れるのが
余程辛かったに違いありません。
近江の国に下る時に、作る歌・・・とありますから、近江は・・・下る場所・・・なのです
彼女は何がそんなに辛かったのか・・・言葉も女性にしては強い口調です
天智天皇にお嫁入りするのが辛いのか・・・大海人皇子とのことで、何か辛い事がるのか・・
奈良と言う土地に思いがあるのか・・・・色々な想像が心を過ぎります
★ いにしえに こふらむとりは ほととぎす けだしやなきし わがおもへるごと
ぬかたのおおきみ
★遠い昔を恋い慕って飛ぶ鳥はほととぎすかもせれません。
もしかすると、鳴いたのかも・・・・・私が、昔を恋い慕っているように・・・・
額田王
またまた、額田王でございます。
これは、弓削皇子(ゆげのみこ)と言って、天武天皇の息子の歌に返歌したものです。
当時、20代・・・額田王はなんとあの時代では物凄く長寿の60代です。
この素晴らしい感性は凄いです。
弓削皇子(ゆげのみこ)の母は、額田王ではなく、天智天皇(元、大海人皇子)の娘である大江皇女です。
・・・あの曰く因縁つきの兄弟である。こういうのは何関係と言うのだろうか・・・現代風に言うと
元夫の腹違いの娘の息子ということかしらん・・・
本当にあの時代は、勿論、血を守ると言う意味合いが強かったにせよ、ややこしすぎて
頭の悪い私には大変です。
★吉野の宮に幸す(いでます)時、弓削皇子(ゆげのみこ)の額田王に贈与(おく)る歌
いにしへに 恋ふる鳥かも 弓絃葉の 御井の上より 鳴き渡り行く
★いにしへに こふるとりかも ゆづるはの みいのうえより なきわたりゆく
★遠い昔のことを恋い慕う鳥なのでしょうか? 弓絃葉の茂る吉野離宮の水汲み場の上を
鳴きながら渡っていく鳥は・・・・・・
さて・・・この後も弓削皇子(ゆげのみこ)は額田王に長寿を願った苔むした松の枝を送っている。
この二人親愛の情は何なのであろうか・・・・・これから、万葉を紐解いていくうちにわかるかもしれない。
額田王 和へ奉る(こたへたてまつる)歌一首
古に 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我が思へるごと
と、なるわけです。
★味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで
道の隈 い積もるまでに
つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を
心なく 雲の 隠さふべしや 額田王
★うまさけ みわのやま あをによし ならのやまの やまのまに いかくるまで
みちのくま いつもるまでに
つばらにも みつついかむを しばしばも みさけむやまを
こころなく くもの かくさふべしや ぬかたのおおきみ
★三輪山が 奈良の山々の間に隠れるまで
道の曲がり角が いくつも重なるまでも
つくづくとよく見ながら行きたいのに 何度も眺めたいのに
無情にも 雲が 隠すなんてそんなことをするなんて 額田王
何だか、額田王に心魅かれて、またまた、額田王の登場です
彼女は何度も書いたように、後の天智天皇となられる中大兄皇子の弟であられる
天武天皇である、大海人皇子に
お嫁入りして十子皇女(とおちのひめみこ)を生み、兄である中大兄皇子が天皇になられてから、
兄のほうにお嫁入りした女性です。現代だったら考えられないかもしれないし、偏見の目でみられ
るかもしれないけれど、つい何十年か前までは、夫が亡くなって、その兄弟と結婚するというのは
おかしいことでもなんでもなかったんですから・・・・・
但し、魅力的であったことは間違いないでしょう・・・それは見た目だけでなく和歌の上手さからも
知性や機知にとんだ女性であったような気がします。
この歌は、
額田王 、近江の国に下る時に作る歌、
とあります。
様々な思い出のある、奈良、三輪山の地を天智天皇にお嫁入りされた近江の国に向かい、離れる時に、詠んだものです
雲隠れむ・・・・というのは、前に書いた大津皇子の歌にあるように、死ぬ事を意味します
その言葉を用い
心なく 雲の 隠さふべしや・・・とあるのは、それほど、古京、飛鳥の地を離れ、近江大津宮に
移るのが辛かったのかなと思います。
山上憶良は、天皇がお詠みになった歌としているけれど
女性である私の視点からすると、やはり額田王の作であると思う・・・
★にきたつに ふなのりせむと つきまてば しおもかなひぬ いまはこぎいでな
額田王(ぬかたのおおきみ)
・熟田津から 船出をしようと 山の端から月が出てくるのを 今か今かと待っていた
いよいよ、潮もちょうど良い具合だ。さぁ、今こそ漕ぎ出だそう
意味だけ読んでしまうと何のことは無い感じですが、
私はこの句の字余りの最後の句「いまはこぎいでな」がとても好きです。
なんだか、胸がわくわくしてくるんです。
この和歌は前回書いた和歌の作者であるあの額田王です。
大海人皇子(おおあまのみこ)の奥さんになって、十市皇女(とおちのひめみこ)を生みました。
あの薬狩りのときに
★あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖ふる
を、詠った方です。
前夫(大海人皇子)に送ったあの大胆な歌からも、額田王の女としての器を感じます。
だから、これは多分舟遊びのようなものではないと思います。
だって、月あかりを待って海に出るなんて、余程の事だと思います。
そういう緊張感がこの歌には感じられます。
そして、最後の「な」というたった一つの字余りの音が、
この句に凄く生き生きとした緊張感を与えているように思います。
声に出して、読んでみてください
☆にきたつに ふなのりせむと つきまてば しおもかなひぬ いまはこぎいでな
ねっ、なんだか、今からいくさにでも行くような血沸き立つ感じでしょ!