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★ 玉のように藻も美しい讃岐の国は、国の由来からか、見飽きない、神の性格によるのか、とても
貴いことです。天地や月日とともに永久に、栄え満ちる神のお顔として、伝えられた讃岐の国は、
その中の港から、船を浮かべて、自分で漕ぎ出だして来ると、潮時の風が、雲をかき分けて吹き
沖のほうを見ると、大波がうねり、岸辺を見ると、白波が騒いでいる。
鯨も取るという海を恐れて、進む船の梶を引きとめ、あちこちに島は多いけれど、その名も美しい
狭岑の島の荒磯のところに、宿をとってみると、波の音が絶え間なく聞こえる浜辺を、布を重ねる
ように枕として、荒い岩に自ら倒れ臥している君・・・・家を知っているならば、行って告げよう物も
のを・・・・妻を知ったならば、来てことばをかけようものを・・・・玉ほこの道さえ知らず、待ち恋慕っ
ているのだろうか・・・・倒れ臥す君の愛しき妻は・・・・・
巻2-220 柿本人麻呂
貴いことです。天地や月日とともに永久に、栄え満ちる神のお顔として、伝えられた讃岐の国は、
その中の港から、船を浮かべて、自分で漕ぎ出だして来ると、潮時の風が、雲をかき分けて吹き
沖のほうを見ると、大波がうねり、岸辺を見ると、白波が騒いでいる。
鯨も取るという海を恐れて、進む船の梶を引きとめ、あちこちに島は多いけれど、その名も美しい
狭岑の島の荒磯のところに、宿をとってみると、波の音が絶え間なく聞こえる浜辺を、布を重ねる
ように枕として、荒い岩に自ら倒れ臥している君・・・・家を知っているならば、行って告げよう物も
のを・・・・妻を知ったならば、来てことばをかけようものを・・・・玉ほこの道さえ知らず、待ち恋慕っ
ているのだろうか・・・・倒れ臥す君の愛しき妻は・・・・・
巻2-220 柿本人麻呂
★ 玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども飽かぬ 神柄か ここど貴き 天地 日月とともに
満りゆかむ 神の御面と 継ぎ来る 中の水門ゆ 船浮けて わが漕ぎ来れば 時つ風
雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波さわく 鯨魚取り 海を恐み 行く船の
梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑の島の 荒磯面に いほりてみれば
波の音の 繁き浜べを 敷栲の 枕になして 荒床に 自伏す君が 家知らば 行きても告げむ
妻知らば 来も問はましを 玉ほこの 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは
★ たまもよし さぬきのくには くにからか みれどもあかぬ かむからか ここだたふとき
あめつち ひつきとともに たりゆかむ かみのみおもと つぎきたる なかのみなとゆ
ふねうけて わがこぎくれば ときつかぜ くもゐにふくに おきみれば とゐなみたち
へみれば しらなみさわく いさなとり うみをかしこみ いくふねの かじひきおりて をちこちの
しまはおおけど なくはし さみねのしまの ありそもに いほりてみれば なみのおとの
しげきはまべを しきたへの まくらになして あらとこに ころふすきみが いへしらば
いきてもつげむ つましらば きもとはましを たまほこの みちだにしらず おほほしく
まちかこふらむ ほしきつまらは
巻2-220 柿本人麻呂
讃岐の狭岑の島に、石の中に死(みまか)れる人を視て、柿本人麻呂の作れる歌一首
併せて短歌・・・と、あります。
道に行き倒れて亡くなった人を見て、人麻呂が詠んだ歌です。
この時代は全て歩いての旅ですから、自然災害・山賊・病気など、目的地に行き着くことなく
行き倒れる人は珍しくありませんでした。
満りゆかむ 神の御面と 継ぎ来る 中の水門ゆ 船浮けて わが漕ぎ来れば 時つ風
雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波さわく 鯨魚取り 海を恐み 行く船の
梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑の島の 荒磯面に いほりてみれば
波の音の 繁き浜べを 敷栲の 枕になして 荒床に 自伏す君が 家知らば 行きても告げむ
妻知らば 来も問はましを 玉ほこの 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは
★ たまもよし さぬきのくには くにからか みれどもあかぬ かむからか ここだたふとき
あめつち ひつきとともに たりゆかむ かみのみおもと つぎきたる なかのみなとゆ
ふねうけて わがこぎくれば ときつかぜ くもゐにふくに おきみれば とゐなみたち
へみれば しらなみさわく いさなとり うみをかしこみ いくふねの かじひきおりて をちこちの
しまはおおけど なくはし さみねのしまの ありそもに いほりてみれば なみのおとの
しげきはまべを しきたへの まくらになして あらとこに ころふすきみが いへしらば
いきてもつげむ つましらば きもとはましを たまほこの みちだにしらず おほほしく
まちかこふらむ ほしきつまらは
巻2-220 柿本人麻呂
讃岐の狭岑の島に、石の中に死(みまか)れる人を視て、柿本人麻呂の作れる歌一首
併せて短歌・・・と、あります。
道に行き倒れて亡くなった人を見て、人麻呂が詠んだ歌です。
この時代は全て歩いての旅ですから、自然災害・山賊・病気など、目的地に行き着くことなく
行き倒れる人は珍しくありませんでした。