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★ いもがため たまをひろふと きのくにの ゆらのみさきに このひくらしつ
よみびとしらず
★ 妻の為に、美しい丸い石の玉を拾おうと
紀の国の由良の岬で今日一日を費やしてしまったことだ
詠み人しらず
娘とTUTAYAで「おくりびと」をレンタルして見ました。
チェリストの男性がオーケストラを首になり、故郷に帰り、
葬儀屋の注文で働く遺体納棺の仕事をする映画です。
その中で、「玉文」の話が出ていました。
自分の気持ちを一番表している石を拾って、相手に差し上げる・・・・玉の文・・・・
なんてステキな雅の世界でしょうか・・・・
玉・・・石を歌った歌を読みびと知らずで、後一句
★ 信濃なる 千曲の川の 細石も 君し踏みてば 玉と拾はむ
★ しなのなる ちくまのかわの さざれいしも きみしふみてば たまとひろはむ
★ 信濃の千曲川の小石も、あなたが踏んだと思えば たま(相手の心)と思って拾います
彼氏が着捨てて行ったTシャツを身に着けて、相手の香りをいとおしく感じたりする・・・
ありますよね・・・・そういう経験・・・恋をした人なら・・・・
★ いはまろに われものもうす なつやせに よしといふものそ うなぎとりめせ
おおとものやかもち 巻16-3853
★ 石麻呂さん、あなたに私は言うことがあります。あなたは大層、夏痩せしていますね。
夏痩には鰻が一番ですよ・・・鰻を、おあがんなさいな
大伴家持
これには、おかしい一句が、続きます。
★ 痩す痩すも 生けらばならむを はたやはた 鰻を漁ると 川に流るな
大伴家持 巻16-3854
★ やすやすも いけらばあらむ はたやはた うなぎをとると かわにながるな
★ 痩せてしまっていても 生きているならまだ 良いけれど、鰻を捕ろうとして
川でおぼれてしまって流されては、いけませんよ
万葉集では説明に、
・その老、人となり、 身体いたくやせたり、 多く喫ひ飲めども、 形 飢饉ゑたるがごとし
と、あります。
・その老人は 人である。 身体は見るも無残に痩せていて、沢山食べるのだけれど、見た目は
まるで飢えて死にそうな人間のようだ・・・・・ですって・・・・
随分と酷い事を家持さんもおっしゃいますね。
多分、江戸時代でいえば家老とか、そういう大伴家持の側で信頼関係のあるご老人なのでしょうか・・・
このようなことを言ってもさっと水に流せる、人間のできたご老人なのでしょう・・・・
人生を重ねるとは、こういう余裕だと思いますが、昨今は・・・・というと、こんなこと言ったら
大変そうですよね・・・・・現代の人間の信頼関係とは少し質が違うのかもしれません。
心がひ弱になっていますからね・・・・現代は・・・・このぐらいさっと水に流せる器が欲しいもんです
★ みなつきの つちさえさけて てるひにも わがそでひめや きみにあはずして
よみびとしらず
★ 陰暦の6月の、大地まで裂けるように照っている太陽にも私の袖は乾くであろうか・・
・・・・・あなたに逢えないままで・・・・
詠み人知らず
注・・・陰暦は大体ひと月ちょっと今の暦より早いと思って下さい。
この句は八月初旬ぐらいでしょうか?
朝夕は秋風がそっと忍び込む季節となりましたが、昼の太陽は変わらず照りつけていますね。
暑い太陽のように、あなたのことを思う心という、言い方も出来そうだけれど・・・・そこが、ちょいと
奥ゆかしい所ですね・・・・袖が乾くと詠うのは、袖が濡れているから・・・
照りつける太陽の暑さで汗が出ているのでしょうか・・・・いや、そうではないでしょう・・・・
・・・・あえない辛さに涙してしとど濡れてしまうと伝えたいのではないでしょうか?
比喩の表現ですね・・・・・
★ きみまつと あがこひおれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく
ぬかたのおおきみ
★ あなたさまが 早くいらっしゃらないかしらと思って 恋しい気持ちでお待ち申し上げていると
、我が家の簾が揺れて・・・秋の風がそよそよと吹いている・・・・・まるで、私の心のように
これは、恋人を待つ女性の気持ちを見事に歌い上げていると思います
彼氏がぁ 部屋に遊びに来るって言うからぁ テレビ消して今か今かと、
音も立てずに待ってるのに あいつ中々来やがらない・・・・・
いらいらしちゃって、もしかしたら来ないかもとか、色々考えちゃって、それでも、窓から外をじっと
見てたんだタバコ吹かしてさ、煙が秋の風にす~っと流れていってたよ
ギャル風にアレンジするとこういう感じでしょうか・・・・・ギャルさま、失礼いたしました
でも、女性が恋する男性を待つ気持ちって、本当に今も昔もギャルも気取った女性も変わらない
恋ってそういうもの・・・・恋焦がれたあの人は本当にやってくるのかしら、
来ると言っていたけれど・・・・・・心配だわ・・・
揺れる女心というけれど・・・秋の風が簾を動かすさまに、女心を反映させて・・・・
心憎いばかりですね。心を、秋の風と揺れる簾に映している・・・・・・見事ですね
私も詠みたいな・・・・・こんな歌・・・・・
さて、万葉集ではこの和歌のすぐ後に、鏡王女(かがみのおおきみ)の歌を載せています。
鏡王女の作れる歌一首
★ 風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとしまたば 何か嘆かむ
鏡王女
★ かぜをだに こいふるはともし かぜをだに こむとしまだば なにかなげかむ
かがみのおおきみ
★ 風を恋しいとは羨ましい事です。 風を恋しいと待てるならば、そのような心を持てるならば
何を嘆く事があるのでしょうか?
風をだに・・・という句を二回も使っている・・・・
風を恋ふる人に例えているのではないでしょうか?
恋する人が居てが、そのお方を待つことが出来るならば、嘆く事などありはしない
そう考えると意味もわかり易い感じがします。
何故なら、額田王も鏡王女も天智天皇に愛されましたが、
後に鏡王女は藤原鎌足の正室となります。
そして、先に藤原鎌足が亡くなってしまうのです。
そう考えると、夫を亡くした寂しい妻の歌ようですね・・・
額田王の返歌という説もあるようですが・・・和へる歌(こたへるうた)とは書いていない・・・・・
作る歌と書いている・・・・編纂した人の意図があってこの2首を並べたのかもしれませんね