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★ くしろつく たふしのさきに けふもかも おおみやひとの たまもかるらむ
★ 美しい腕輪を付けて 手節の岬で 今日もなお 宮廷の女性たちが
藻を拾っているのだろうか・・・ 巻1-41
雅な優雅な感じのする歌ですね・・・藻に玉とつけているのは、何か大切なものという意味がありそうです。
戯れに拾う美しい藻・・・・う~ん、わからない・・・
歌手 藤岡宣男さん~その14
お友やん (2009年9月 3日 08:52) | コメント(0) | トラックバック(0)
頭のいい子供・・・・・マジック・オブ・ラブを藤岡さんの為に作曲・編曲を手がけた書上さんという、
その業界では有名な方が、藤岡さんを評してこう言ったそうです。
確かに、藤岡さんは、その語学に対する聡明さ・音楽全般に渡る知識と教養、明晰さとは、
対照的に、日常の生活ではかなり自立していませんでした。
お料理なんてしたことは一度もなかったようですし、家事は全て、他人任せ・・
かにの身もよく取れない、葡萄の皮も上手に剥けないなどということがありました。
我が家にいらしたときに、二層パックになっている蜜豆をお出しした事がありました。
一番上の段だけ召し上がっているので、間のシールを剥がして差し上げた事があります。
日頃から、「歌手 藤岡宣男」だけに・・・ほっとするようなお話ですね・・・
★ やすみしし わご大君の 聞こし食す 天の下に 国はしも 多にあれども
山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に
宮柱 太敷きませば 百磯城の 大宮人は 船並めて
朝川渡り 舟競ひ 夕河渡る この川の 絶ゆることなく
この山の いや高知らす 水激つ 滝の都は 見れど飽かぬかも
★ やすみしし わごおおきみの きこしめす あめのしたに くにはしも さはにあれども
やまかわの きよきかふちと みこころを よしののくにの はなちらふ あきつののへに
みやはしら ふとしきませば ももしきの おおみやびとは ふねなめて
あさかわわたり ふなきほひ ゆうかわわたる このかわの たゆることなく
このやまの いやたかしらす みづたぎつ たぎのみやこは みれどあかぬかも
★ あまねく国土を治める我が天皇が 統治なさっておられる天下には、国々がたくさん
あるけれど、きよらかな川と山に包まれている地として、御心を寄せる吉野の国の、
花の散る秋津の野原に 見事に君臨なさる。
堅牢な城に住む大宮びとたちは、舟を並べ競い合って、朝も夕も にぎわうことよ・・・
この川が、絶える事のなきよう・・この山がますます高くなるよう・・・
水のほとばしる滝の都は、飽きる事のない都だ
柿本人麻呂 巻1-36
反歌
■ 見れど飽かぬ 吉野の河の 常滑の絶ゆることなく また還り見む
■ みれどあかぬ よしののかわの とこなめのたゆことなく またかへりみむ
■ 見飽きる事のない吉野・・・その川の滑らかな姿が永遠であるように、絶えることなく
繰り返し見ましょう
天皇賛歌です。
吉野が大好きで、なんと30回も訪ねておられる持統天皇の時代でしょう。
持統天皇は宮廷歌人として、柿本人麻呂を側に置いておられました。
持統天皇は女性です。
この時代、諸所の事情で、男性の天皇がいらっしゃらない時に、
一時的に女性が天皇となることがありました。
左翼系の方々から、非難を浴びそうですね・・・・
ここは、一応公の場所なので、詳しい事は明かせないが、とある方とお話をする機会があった。
例えば、茶道のお家元などに、掛け軸についての講習会をなさったり、私がえっちらおっちらと
紐解いている万葉集を、すらすらと、いくつも諳んじるような・・・要するに、教養のある方である。
その方が、ふっとおっしゃった言葉が忘れられない・・・・
「知らない事は知らないと言えばいいのにね」・・・と・・・
私も、常日頃から思っていた事を口にされたので、少し驚いた。
どうして、知ったふりをするのだろう・・・知らない事は恥ずかしい事ではないのに・・・
だって、世の中、知らないことだらけ・・・恥ずかしい事などない・・
恥ずかしい事は他にあるのでは・・・・知っているふりをするなんていうのは、可愛い
知らない事を知らずに、知ったつもりでいる・・・これが、一番恥ずかしいいですね・・・
気をつけよぉっと・・・
長歌
★ やすみしし わご大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 激つ河内に
高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば
畳がる 青垣山 山神の 奉る御調と
春べは 花をかざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり
逝き副ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると
上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す
山川も 依りて仕ふる 神の御代かも
★ やすみしし わごおおきみ かむながら かむさびせすと よしのがわ たぎつかふちに
たかどのを たかしりまして のぼりたち くにみをせせば
たたなはる あおがきやま やまつかみ まつるみつきと
はるべば はなかざしもち あきたてば もみちかざせり
ゆきそふ かわのかみも おほみけに つかへまつると
かみつせに うかはをたち しもつせに さでさしわたす
やまかわも よりてつかふる かみのみよかも
★ あまねく国土を治めておられるわが天皇が、本当に神として神々しくいらっしゃいますように
吉野川の流れの激しい所に、高い宮殿をさらに高くお作りになり、
山にお登りになって、国見をされますと、重なって青々とした垣根の様な山では
山の神が天皇に奉る貢物として、
春は花をかざして持ち、秋は黄葉をかざす。
宮殿に沿って流れる川も、 天皇の食膳に奉るというので、
上流には鵜飼いを催し、下流には、すくい網を渡して
山も川もこぞって お仕えする、神である天皇の御世よ
巻1-38
長歌は声に出して読むのが、一番だと思います。
言葉が難しいとか、天皇の時代ではないとか、余計な事は考えずに、
「1300年以上前に作られた詩」だと思って読むとよいのではないでしょうか?
詩は音(おん)とリズム感が大切だと思います。
歌ですね・・・・要するに・・・・
反歌
■ 山川も 依りて仕ふる 神ながら たぎつ河内に 船出せすかも
■ やまかわも よりてつかふる かむながら たぎつかふちに ふなでせすかも
■ 山も川もこぞって仕える、神であられる天皇は、現人神として激流の河内に舟を
お出しになることです
巻1-39
戦後教育を受けた私にとって、天皇を現人神として讃える・・・というのは、
抵抗を感じるように教育されてきました。
でも、同じ日本人が約1300年も前にこのような心を持っていたのは事実です。
素直な気持ちで敬える人がいるというのは、素晴らしい事ですね・・・・