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長歌
★ やすみしし わご大君 高照らす 日の御子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始め給ひて
埴安の 堤の上に あり立たし 見し給へば 大和の 青香具山は 日の経の
大御門に 春山と 繁さび立てり 畝火の この端山は 日の緯の 大御門に 端山と
山さびいます 耳成の 青管山は 背面の 大御門に 宜しなへ 神さびたてり
名くはし 吉野の山は 影面の 大御門ゆ 雲居にそ 遠くありける 高知るや
天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば 常にあらめ 御井の清水
巻1-52
★ やすみしし わごおほきみ たかてらす ひのみこ あらたへの ふじいがはらに
おほみかど はじめたまひて はにやすの つつみのうへに ありたたし
めしたまへば やまとの あをかぐやまは ひのたての おほみかどに はるやまと
しみさびたてり うねびの このみづやまは ひのよこの おほみかどに
みづやまと やまさびいます みみなしの あをすがやまは そともの おほみかどに
よろしなへ かむさびたてり なくはし よしののやまは かげともの おほみかどゆ
くもゐにそ とおくありける たかしるや あめのみかげ あめしるや ひのみかげの
みずこそば とこしへにあらめ みゐのしみず
★ あまねく国土をお治めになっておられる大君、高く輝く日の御子、荒布の藤井の原に
新しい朝廷をお造りになり、埴安の池の堤の上に、いつもお立ちになってご覧になると
大和の、青々とした香具山は、東の御門に向かって、春の山なのでうっそうと木の繁った
姿を見せている。畝火の、この瑞々しい山は、西の御門に向かって素晴らしい山の姿を見
せている。耳成の青菅にかこまれた山は、北の御門の前に、具合よろしく神々しくそびえて
いる。その名も美しい吉野の山は南の御門から、
遠く雲のかなたにある。 高々と統治なさる・・・この大君・・・・・
天高く支配なさる日の大宮よ・・その水こそは永久にあるであろう・・御井の清水よ。
ちょうか、ちょうか・・・・などとギャグを言ってしまう・・・お友やんでした・・・
何か鼻につくほど・・・褒め称えちゃうのね・・・
万葉集は今から約1300年も前の、日本最古の歌集です。
このように一つの形が整えられて出来た歌集は、実はこの以前に漢詩集があるのですが、
日本語・・・と、言うのでしょうか・・・私は大和言葉と呼ばせていただきますが・・・・・
では、最古の物となります。
この後は勅撰和歌集といって、天皇の命により選ばれた歌人たちが編纂をするというような形が多くなります。
万葉集は其の編纂の意図も、いまだ、はっきりわからない謎の多い歌集です。
分かっているのは、
農民も、よみびと知らずも、武士も、宮廷歌人も、貴族も、天皇も、
様々な階層の人々の歌が入っている事です。
このような歌集は世界的に見ても例がありません。
1300年前の、日本人の、様々な人々の歌心や息遣いや心情・・・を知る事は、
今に続く自分の歴史を知る事に他なりません。
大和心・・・・うるわしいことばですね・・・現代の日本だからこそ、
もっとも新しいものではないかと思います。
万葉集を紐解く事は、大和心を取り戻す事だと私は信じています。
4536首を紐解くのに、後何年かかるか分かりませんが、万葉の世界にたゆたうひとときを過ごしたいと思います。
万葉の世界を音(おん)と音色で表現していきたいと思っています。
みなさんも是非いらしてください・・・・たゆたう・・万葉のひとときへ・・・・
采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く
★ かむなびの いはせのもりの ほとtぎす けなしのおかに いつかきなかむ
★ 神のいるという石瀬の森のほととぎすよ・・・・毛無しの丘にいつ来て鳴いてくれるのだろうか・・・
志貴皇子 巻8-1466
一応、順番どおりに読んでいるのですが、時々本人の嗜好性により脱線!!
今回は、前回に引き続き、 「志貴皇子」 を、取り上げました。
■ 大原の このいち柴の いつしかと 我が思ふ妹に 今夜逢へるかも
■ おおはらの このいちしばの いつしかと あがおもふいもに こよいあへるかも
■ 大原の盛んに繁っているいち柴のように、あなたへの思いが募り募って、今夜
とうとう、逢えたことです
志貴皇子 巻4-513
▲ むささびは 木末求むと あしひきの 山の猟師に 逢ひにけるかも
▲ むささびは こぬれもとむと あしひきの やまのさつをに あひにけるかも
▲ むささびは、梢を移ろうとして、山の猟師に出会って捕らまってしまったよ
志貴皇子 巻3-267
★ 葦辺ゆく 鴨の羽交に 霜降りて 寒き夕へは 大和し思ほゆ
★ あしべゆく かものはがいに しもおりて さむきゆうへは やまとしおもほゆ
★ 葦のほとりに漂っていく、鴨の羽がいに霜が降って、身に沁みてくるほど寒い夕暮れは
故郷の大和の国がしきりと思い出される事です。
そして、CDにも、録音されております。
私が大好きな和歌・・・石ばしる・・・・です。
◎ 石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも
◎ いはばしる たるみのうえの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかも
◎ 岩にほとばしる滝の清水のほとりの蕨が、芽をふくらませる春になったことよ
志貴皇子 巻8-1418
志貴皇子の和歌は、万葉集ではこれが全てです。
ちょっとさみしいですね・・・・・
でも、彼の歌は奇をてらわず、そして気品があり、しかも素直である所が、私は大好きです。
明日香宮より 藤原宮に遷居(うつ)りし後に、 志貴皇子の作りませる御歌
★ うねめのそでふきかへすあすかかぜ みやこをとおみ いたづらにふく
★ 采女の袖を吹きひるがえす明日香の風・・・今はもう、都は遠く・・・
空しく私の心にも風が吹くことです
志貴皇子 巻1-51
私の大好きな志貴皇子(しきのみこ)の歌です。
彼は、万葉集に6首しか残しておりませんが、とても好きな「歌人」です。
なんだか、憂いや切なさ・・・哀しさ・・・というものが、彼の歌からは伝わってきます。
志貴皇子は、天智天皇の息子さんです。天武天皇に代わった時に、天智天皇の息子は、
二人残っていました。川島皇子と志貴皇子です。
時代は、天武天皇の時代ですが、其の前の天智天皇の息子として生きていたわけです。
微妙な立場ですよね・・・未来がないような・・・しかも、川島皇子も亡くなってしまいますから、
志貴皇子ひとりが残されたわけです。
彼のお母様は、豪族の娘でした・・・・采女でした。
そして、生まれたのが志貴皇子・・・・・この歌には、母への思慕も含まれているかもしれませんね・・・・
彼の歌は、力みがなく、客観的で、醒めた感じ・・・淋しさや切なさの風が・・こころを通り抜けます。