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★ ひんがしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ
★ まだほの暗い東の野に明け方の輝く光が立つのがみえる・・・・振り返ると黒々とした西の空には
まだ、月がかかっていることだ。
巻1-48
この歌は、あまりにも有名ですね・・・
でも、東の空に明け方の光が差し込み、振り返ったらまだ月もでていたよ、だから、どうしたの・・・
と、言いたいところですが・・・・
実はこの前に記した、巻1-46、47、48は、45の長歌から始まって、
柿本人麻呂が軽皇子のお供をして、安騎野に狩に行かれたときに、お供をして作られた歌です。
何故、安騎野かというと、軽皇子の亡くなったお父様がよくいかれた所だからです。
軽皇子のお父様とは・・・前にも、名前が出てまいりましたが、草壁皇子です。
天皇にならず、皇太子のままで、人生を終えた父・・・その父が亡くなり、父を偲んで、
父である草壁皇子がよく訪ねていた安騎野に、柿本人麻呂を連れて来た。
そう考えると、長歌と共に、歌の意味と時間の経過が感じられます。
父がよく訪ねた安騎野で、宿を取ったけれど、一睡も出来ず、父の事ばかり思い出される・・・
父の形見と思って来たこの安騎野の野よ。
そして、そこにこの歌・・・
★ ひんがしの のにかぎろひの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ
と、なるわけです。
新しい時代が始まり、古き時代は去っていく・・・父を偲ぶ気持ちが強く感じられるとともに、
それでも、新しい時が生まれてくる・・・そのような、気持ちでしょうか・・・?
このシリーズ??最後の歌は
★ 日並皇子の命の馬並めて 御猟立たしし 時は来向かふ
★ ひなみしのみこのみことの うまなめて みかりたたしし ときはきむかふ
★ 日並皇子である父、草壁皇子が、馬を連ねて今にも猟りに出ようとする時刻が迫ってきたぞ
今・・まさに・・・・
日並皇子とは、太陽と並ぶ皇太子である・・・という意味で、草壁皇子を讃えて詠んだ物です。
軽皇子は、父を深く敬愛しておられたのでしょうね・・・その思いが伝わってきます。
★ しおざいに いらごのしまへ こぐふねに いものるらむか あらきしまみを
★ 潮鳴りの中、いらごの島の周りを 漕いでいる舟に 愛しき人は 乗っているのだろうか
荒い島の流れの中を・・・・・・・
柿本人麻呂 巻1-42
■ わが背子は 何処行くらむ 奥つもの 隠の山を 今日か越ゆらむ
■ わがせこは いづくいくらむ おきつもの なばりのやまを けふかこゆらむ
■ 愛する夫は 今頃どこに行っているのだろうか? 奥まったなばりの山を 今日あたり
超えているのだろう・・・
当麻真人麿の妻の作れる歌 巻1-43
▲ 吾妹子を いざ見の山を 高みかも 大和の見えぬ 国遠みかも
▲ わぎもこを いざみのやまを たかみかも やまとのみえぬ くにとおみかも
▲ 愛しい妻のいるところを、さあ、見ようかと思ったが、いざ見の山が高くそびえて
妻のいる大和の国は見えない・・・いや・・遠い国に来たという事か・・・・
石上大臣のおほみともにして作れる歌 巻1-44
いつも、応援していただいているとある編集長の方から、何故、万葉なの?と聞かれた。
何故、万葉か・・・・
まず、勅撰和歌集ではないということがある・・・天皇から命を受け、選別された形の歌ではないということ・・・・・
詠みびと知らず、農民の歌、貴族の歌、宮廷歌人の歌、天皇の歌、
ありとあらゆる階層のひとびとの歌が盛り込まれている・・しかも、日本最古の歌集なのです。
実は、漢詩集は万葉集より早くに、作られているのですが・・・・
和歌集としては、万葉集が一番古いものです。
噂によると、お話の速度も10倍近く、現代と違うとかなんとか・・・・
私は、「都会の縄文人」と呼ばれる人間なので、万葉のテンポは、実にいい感じなのです。
しかも、後期になると、そこそこ洗練されてくるけれど、実に素朴で朴訥・・・
なんてことないようで・・・実に大きな宇宙観を感じさせる・・想像力をどこまでも働かせてくれる
器の大きさがあります。
私の回りの方々は、古今や新古今がいいな・・とおっしゃる都会人が多いのですが、
その中にあって・・・ぼそぼそと、万葉集を紐解いているのです・・・
技巧に走ってないところが、好き・・自然の繊細さも好きだけれど、どこまでも包容してくれる
自然の大きさはもっと好き・・・想像力過多の私には向いているようです
★ やすみしし わご大君 高照らす 日の御子 神ながら 神さびせずと
太敷かす 京を置きて 隠口の 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を 石が根 禁樹おしなべ
坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる 夕さりくれば み雪降る 阿騎の大野に
旗薄 小竹 をおしなべ 草枕 旅宿りせす 古思ひて
柿本人麻呂 巻1-45
★ やすみしし わごおおきみ たかてらす ひのみこ かむながら かむさびせすと
ふとしかす みやこをおきて こもりくの はつせのやまは まきたつ
あらやまみちを いはがね さへきおしなべ さかとりの あさこえまして
たまかぎる ゆうさりくれば みゆきふる あきのおおのに
はたすすき しのをおしなべ くさまくら たびやどりせす いにしへおもひて
★ あまねく国土をお治めになっておられるわが大君・・高く輝く皇子、神として神々しく
治めておられる京の都を後にして、 籠った様な泊瀬の山の大木のそびえたつ、
荒々しい山道を けわしい岩石や邪魔な樹木を押し分けて、鶏の鳴く朝、
越えて いのちほのかに輝くような夕方が訪れると 雪のちらつく安騎の大野に
ススキや小さな竹を、おしふせて 旅宿りをなさる 懐旧のお気持ちで・・・・・
長歌・・・か、何度も言いますが、声に出して読むのが一番だと思います。
日本の言葉は、言霊・・・と言われるように、声に出す事によって、いのちを持ちます。
そして、その音(おん)には・・音霊・・・と言われるように、音そのものに、力があります。
それが、日本語の力の根源です。
歌は、古代の人々にとって、神事と切り離せないものです。
歌が・・・祈りなのです・・・誰か選ばれた人が歌うのではなく・・・・
農民も貴族も宮廷人も天皇も、歌を詠む・・・祈るのです。
余計な事を考えずにただ読む・・・だと思います。
★ あみのうらに ふなのりすらむ をとめらが たまものすそに しおみつらむか
★ あみの浦で船に乗って遊んでいるおとめたち・・・彼女らの美しい衣の裾が波に豊かに
たゆたっていることよ・・・美しい光景だなぁ・・・
柿本人麻呂 巻1-40
柿本人麻呂がいよいよ、登場し始めました。
万葉集の中では、この歌人を随一といわれる方もいらっしゃいます。
ちょうど、天武天皇から持統天皇・・・そして草壁皇子・・・文武天皇・・・と続く律令制度が確立されていく時代です。
天皇家・・又、その他の皇族の礼讃の歌が多く歌われています。
というのは、彼は生まれが凄くいいわけでなく、その歌人としての力量から、宮廷歌人として、
天皇にお仕えしていたのです。
天皇が行かれるところに付いて行って、天皇の詔(みことのり)を伺い、公の歌を作った訳です。
だから、俄然、天皇家礼讃の歌が多いわけです。
その中では、この歌は個人的な歌とだと思います。