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★味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで
道の隈 い積もるまでに
つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を
心なく 雲の 隠さふべしや 額田王
★うまさけ みわのやま あをによし ならのやまの やまのまに いかくるまで
みちのくま いつもるまでに
つばらにも みつついかむを しばしばも みさけむやまを
こころなく くもの かくさふべしや ぬかたのおおきみ
★三輪山が 奈良の山々の間に隠れるまで
道の曲がり角が いくつも重なるまでも
つくづくとよく見ながら行きたいのに 何度も眺めたいのに
無情にも 雲が 隠すなんてそんなことをするなんて 額田王
何だか、額田王に心魅かれて、またまた、額田王の登場です
彼女は何度も書いたように、後の天智天皇となられる中大兄皇子の弟であられる
天武天皇である、大海人皇子に
お嫁入りして十子皇女(とおちのひめみこ)を生み、兄である中大兄皇子が天皇になられてから、
兄のほうにお嫁入りした女性です。現代だったら考えられないかもしれないし、偏見の目でみられ
るかもしれないけれど、つい何十年か前までは、夫が亡くなって、その兄弟と結婚するというのは
おかしいことでもなんでもなかったんですから・・・・・
但し、魅力的であったことは間違いないでしょう・・・それは見た目だけでなく和歌の上手さからも
知性や機知にとんだ女性であったような気がします。
この歌は、
額田王 、近江の国に下る時に作る歌、
とあります。
様々な思い出のある、奈良、三輪山の地を天智天皇にお嫁入りされた近江の国に向かい、離れる時に、詠んだものです
雲隠れむ・・・・というのは、前に書いた大津皇子の歌にあるように、死ぬ事を意味します
その言葉を用い
心なく 雲の 隠さふべしや・・・とあるのは、それほど、古京、飛鳥の地を離れ、近江大津宮に
移るのが辛かったのかなと思います。
山上憶良は、天皇がお詠みになった歌としているけれど
女性である私の視点からすると、やはり額田王の作であると思う・・・