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2002年2月19日(火)、カウンターテナー藤岡宣男の歌声に出会って以来、
抑鬱でまともに外出も出来なかった私が、
藤岡さんのコンサートだけには必ず出向くようになった。
ある日は、聞いている間中、涙が止まらない時もあった。
それは歌の内容とかそういう感動とは違う何かを越えた物であった。
たとえようがない・・・・何か・・・・・綺麗な声とかシルクトーンとか色々言われていたけれど
そういうものではなくて・・・いつか、その神秘のベールが解き明かされる日が楽しみである。
私はこの人を目指したい・・・そう思った。
この人が登っている山を私も登りたい・・・・実際、藤岡さんは
「僕たちは同じ山を登っている。僕が少しだけ先を行っているだけなんだよ」と、言ってくださった。
なんと、謙虚な言葉であろうか・・・
藤岡さんは世界レベルの歌い手でありながら、人が20年かかって学ぶ事を
その聡明で明晰な頭脳と、音楽に対する一途で誠実な姿勢により数年で掴み取った。
でも、世の中の人は大多数はそのように学べないし、それを理解できないがゆえ、
中々有名にならなかった。
が、それゆえ、私は彼から一番弟子として学ぶ幸運を得る事が出来たのである
こんな凄い人が・・・・日本の歌手にいる・・・・誇りである
彼は権力におもねる事を嫌っていた・・・・何しろ藤岡さんの誕生日は12月14日・・・・・
あの大石内蔵介率いる赤穂浪士47士、討ち入りの日にこの世に誕生したのであるから・・・・
藤岡さんはその整った顔立ちと、ソフトな対応から、そのように見えなかったかもしれないが
魂はマグマのように燃えていた・・・・・軽いのりにも巧みに応じていたが、私は彼の心の奥を
知っていたと思う・・・それは彼が一番大切にしていた音楽への思いを知っていたからだ