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ふたりいけど いきすぎがたき あきやまを いかにかきみがひとりこゆらむ
大伯皇女(おほくのひめみこ)
ふたりで行っても あまりに寂しい秋の山を あなたはたった独りでどんな気持ちで越えていることでしょう
天武天皇と大田皇女の間に生まれた、弟である大津皇子(おおつのみこ)と大伯皇女(おほくのひめみこ)は二人姉弟で、姉7つ、弟5つの時に母を亡くします。
そして、大津皇子は天武天皇の跡継ぎ問題で謀反の疑いをかけられ、死刑になってしまうのです。
最後の逢瀬となった姉弟・・その時ははっきりとはわからないけれど、虫の知らせのようなものを
姉は感じたのではないでしょうか?
伊勢斎宮であった姉の所を久しぶりに訪ね、弟は何を姉に話したのでしょうか?
父である天武天皇が九月九日にお亡くなりになり、後継者問題は当然その前からあったはず・・・
自分が天皇につきこの国を治めるという決心を話したのでしょう。たった一人の姉に・・・・
夜半に伊勢を発つ弟を見送る姉・・・何か悪い予感のようなものがするけれど、何も出来ない自分が辛かったに違いありません。
我が背子を大和へ遣るとさ夜深けて 暁露に わが立ち濡れし
わがせこを やまとへやると さよふけて あかときつゆに わがたちぬれし
大伯皇女
愛しいあなたを大和に帰すと、夜も深けて、やがて明け方の露に濡れるまで私は立っていました
案の定、謀反発覚。父である天武天皇が崩御されて一ヶ月も経たぬ10月3日に、大津皇子は24歳という若さで、死刑になってしまいました。
百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
ももつたふ いはれのいけに なくかもを けふのみみてや くもがくりなむ
大津皇子(辞世の句・・・死の直前に詠む歌の事 )
磐余(いはれ)の池でいつも鳴いている鴨を、今日を最後に見て、私は死んでいってしまう
この話は色々な説があります。私は大津皇子は真っ直ぐで男らしい性格のようですから、そそのかされてしまったのではないかと思うのです。
姉もそのような弟の性格を知っていたからこそ、悪い予感がしたのでは・・・
大切な弟を失った姉の悲しみは余りあります。