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★ おおふねの つもりがうらに のらむとは まさしにしりて わがふたりねし
★ 大きな船が泊まる津の守番が、占って私たちの事を言い当てる事を、
まさしく知っていながら、私は貴女と共寝をしたことです。
大津皇子 巻2-109
この歌は「いまだ詳らかならず」いまだつばひらかならず・・・と、書いてあります。
この意味を深く考えると・・・もしかして、この津守も、草壁側の人間か・・・
大津皇子は、日本最古の漢詩集である、「懐風藻」によると、身体容貌に優れ、幼少時は
学問を好み、博識で詩文を得意とし、長ずるに従って、武を好み剣に秀で、度量広大、人気絶大
であったと言われています。
父からの信頼も厚く、次の天皇と誰もが、予感していた事でしょう。
草壁皇子(くさかべのみこ)は気が気でなかったでしょう。さらに、母である持統天皇は、
血の繋がったわが息子を天皇に即位させたかったに違いありません。
しかし、企みによって、大津皇子を死刑にしたにも関わらず、草壁皇子は天皇にはなれずに
28歳の若さで亡くなりました。
悪い事はするものではありませんね・・・
★ おおなごが をちかたのべに かるかやの つかのあひだも わがわすれめや
★ 大名児(郎女の字をおほなこと言う)が、遠い向こうの野辺で草を一掴みして刈る、
その一束ではないけれど、ほんの束の間だって貴女のことを忘れる事などあるだろうか
草壁皇子 巻2-110
石川郎女も恋多き女性だったようですね・・・・魅力ある女性だったのでしょう・・・
しかし、もし本当だとしたら何故、草壁皇子側についたのか・・・・
前回、もしかしたら、草壁皇子側の陰謀に石川郎女は協力をしたかもしれないという話を
しましたが、その証拠になりえる歌がこれではないでしょうか?
大津皇子と石川郎女の相聞歌の後に、この歌が続いています。
編纂の意図がわかるような気がします。
恋歌を並べながら、歴史を真実??の歴史を伝えているのでしょうか・・・
★ わがやどの いささむらたけ ふくかぜの おとのかそけき このゆうべかも
★ 我が家の小さな竹林に、秋の風がさやさやと、幽かな音を立てて吹き抜けていく
心に染み入るような淋しい夕方であるなぁ
大伴家持 巻19-4291
ここで、一気に飛んで、後期も終わりに近い巻19、大伴家持の歌を一首、入れてみました。
この和歌は、すでに、作曲をお願いしてオリジナル曲として歌っており、CDにも入っています。
大伴家持は後期の歌い手としてまた、万葉集の編纂にもっとも深く関わった人物として、
当然、特集を組みますが、ひとまず、季節柄、次回10月8日のコンサートでも歌う予定なので
もしもこのブログを読んでコンサートにいらっしゃってくださる方のために、記しておきます。
大伴家持ともなると、繊細かつ優美、また、万葉集にもっとも多くの和歌を残した歌人でもあります。
時代は藤原家の全盛期、衰え行く大友家の行く末を案じながらこの歌を詠んだ事でしょう。
小竹林を吹き抜ける幽かな音に耳を澄ませて、大友家の行く末と重ね合わせたと感じられますね
★ あしひきの やまのしづくに いもまつと わがたちぬれし やまのしづくに
★ あしひきの山の雫に濡れながら、愛しき貴女を待っていました。山の雫に濡れたままで・・・・・
大津皇子 巻2-107
この和歌もあまりに有名であり、以前にも書きましたが、大好きなのでまた書きます。
山のしづくに・・・と、二度も歌っている・・たち続けたまま木々の葉から滴り落ちる雫に濡れたまま、
来ぬ相手を待ち続ける大津皇子・・・・滴り落ちる山の雫・・のような、大津皇子の心が伝わってきます。
大津皇子は天武天皇の第3皇子で、次期天皇と期待された方でしたが、異母兄弟の草壁皇子側
の策略により、謀反の罪で死刑になりました。
返歌
■ 吾を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを
■ あをまつと きみがぬれけむ あしひきの やまのしづくに ならましものを
■ 私を待って貴方がお濡れになった あしひきの山のしづくに 私はなりたいものです
石川郎女 巻2-108
石川郎女が、一枚上手という感じでしょうか・・・貴方が濡れて私を待っていた、その山のしづくに
私はなりたい・・・・私が男性だったら、ぐっときますね・・・・いかがでしょうか?男性諸氏
ところで、二度この歌を書いたところで、ある話を知ってしまいました。
もしかしたら、石川郎女は草壁皇子の愛人であったかもというのです。
ショック!!
ということは、大津皇子の謀反罪による死刑に石川郎女が関係していたかもしれません。
★わがせこを やまとへやると さよふけて あかときつゆに われたちぬれし
★ 私の愛しい弟を 大和へ送るからと 夜も更けて そのうちに、明け方の露に濡れるまで
立って見送っていました
大伯皇女 巻2-105
あまりにも有名なこの歌は以前にも取り上げましたが、もう一度書きました。
姉であり、伊勢の斎宮であった大伯皇女と、謀反の罪であっという間に死刑に処せられた
姉弟の悲劇はあまうrにも悲しい物語です。
死を予感している姉が、この世で最後と尾思って、暁露に濡れても弟の去った道に
たち続けた思い・・・・運命を呪わずにはいられなかったことでしょう。
■ 二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を いかにか君が独り越ゆらむ
■ ふたりいけど いきすぎがたき あきやまを いかにかきみが ひとりこゆらむ
■ 二人で行っても 越えるのが難しい秋の山を あなたはどのような気持ちで、たった独りで
越えているのでしょうか・・・
大伯皇女 巻2-106
露に濡れたまま立ち続けて弟を見送った姉は、死に向かう弟を想い・・・この歌を詠みました・・・
個人の力では抗い難い、運命に翻弄された姉と弟でした。