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★ いにしへに こふるとりかも ゆづるはの みいのうえより なきわたりゆく
★ 過ぎ去った昔を恋慕う鳥なのでしょうか。弓絃葉の水汲み場の上を、鳴きながら大和のほうへ
渡っていきます。
弓削皇子 巻2-111
弓削皇子(ゆげのみこ)は、このとき20代・・・60代半ばの額田王に送った歌です。
都を慕って鳴き渡っていく鳥に額田王をたとえています。
額田王も、万葉の中で、神秘的なまた、素晴らしい歌の数々を残した女性です。
以前、特集で書いたときに、この歌も取り上げました。
額田王の和(こた)へ奉る歌は・・・
■ 古に 恋ふらむ鳥は 霍公鳥 けだしや鳴きし 我が思へるごと
■ いにしへに こふらむとりは ほとtぎす けだしやなきし わがおもへるごと
■ 昔を恋慕う鳥はほととぎすでしょう・・・おそらく鳴いたでしょうね・・私が昔を恋しく思って
おりますように・・・・
額田王 巻2-112
弓絃皇子の歌に、その通りです、と答えています。
あの時代の60半ばとは、今で言えばかなりの年です。
ステキな女性ですね・・・20代の若者からの歌に見事に返歌をしています。
ナビや地図帳で、「白梅の塔」を捜しながら、車を走らせました。
何故かナビの調子が悪く、私たちは広いさとうきび畑の真ん中に入り込んでしまったのです。
ぬかるんだ道ともいえぬ道を、上下に揺られながら、広い舗装された道を捜しました。
やっと、さとうきび畑から抜け出て少し行くと、「白梅の塔」はこのあたりではないかと、スタッフの
青年が言うので、降りて捜してみると、やっと見つかりました。
綺麗に整えられていた「平和の礎」と違い、重たく暗い空気が立ち込めていました。
今しがた車を走らせてきたさとうきび畑も、この慰霊塔の一帯も、
沖縄戦の悲惨な歴史が刻まれた場所だったのです。
何やら納骨堂の前で、南無阿弥陀仏と般若心経が混じった奇妙なお経を唱える不思議な団体が
いました。妙に明るい声で、「すぐ終わりますから」と、記念撮影でもするような口調で言ったのが
印象的でした。
慰霊塔の前で、私は何か口にして祈ろうと思いましたが、言葉にならず、
しゃがみこんで手を合わせるのが精一杯でした。
さわさわと木々が風に揺れて音を立てています。
新興宗教??の一行が去り、不思議な静けさに辺りは包まれました。
まるで、爆撃が止んだ一瞬の静けさのような・・・・・不思議な雰囲気でした。
同行の青年が「ちょっと、来てください」と、叫んでいます。
木々の繁った奥まで行くと、当時戦った人々が潜んでいた洞穴がありました。
風が、その当時を物語るかのように、さわさわ・・・・ざわざわと、音を立てて吹き抜けていきます。
沈黙がしばらく続き、黙ったまま我々はそこを後にしました。
生々しく口を開けていた、洞穴・・・ひめゆりの塔と同じような事があったであろうことは、
容易に想像がつきました。