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★ やすみしし 我ご大君 畏きや 御陵仕ふる哭 山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと
昼はも 日のことごと 哭のみを 泣きつつありてや 百敷の 大宮人は 行き別れなむ
★ やすみしし わごおおきみ かしこきや みはかつかふる やましなの かがみのやまに
よるはも よのことごと ふるはも ひのことごと ねのみを なきつつありてや
ももしきの おほみやひとは いきわかれなむ
★ われらが、大君の畏れ多くも御陵にお仕えもうしあげる、山科の鏡山で、夜は夜通し
昼はひねもす 声を上げて泣いてばかり・・・・このようなままで、宮廷にお仕えする人は
皆、散り散りに別れて行くのでしょうか・・・・・
巻2-155
天智天皇の仮埋葬の時に、額田王の読んだ歌である。
天智天皇の正室である、倭姫王(やまとのひめみこ)の詠んだ歌も載せておきます。
天皇の聖躬不予(せいきゅうふよ)の時、大后の奉る御歌1首
(天皇危篤の際の歌。天皇同年12月3日、崩御46歳であった)
★ 天の原 ふりさけ見れば 大君の 御寿は 長く天足らしたり(巻2-147)
☆ あまのはら ふりさけみれば おおきみの みいのちは ながくあまてらしたり
天智天皇の不予→崩後→大殯→御陵退散時と、時間の流れに即して、天智天皇の後宮に
仕えた女性達の歌であることも、大きな特徴です。
上記の額田王の長歌は最後の、御陵退散時の歌詠みです。
最初が
大后(不予)→大后(危篤)→大后(崩御)→婦人(おみなめ)姓氏、未だ詳らかならず(崩御)
→額田王(大殯)→舎人吉年(大殯)→大后(崩後)→石川夫人(崩後)→御陵退散時(額田王)
となっています。
★ きみまつと あがこひおれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく
★ 愛しいお方が早くお出でにならないかと、恋しくお待ち申し上げておりますと、我が家の簾が
そよそよと動き、思わず振り向いたら、それは、秋の風でした
巻き4-488、8-1606
心憎い歌ですね・・・・恋する人の気配かと思ったら、それは、秋の風が簾をゆらゆらと動かしていた
風にも心があり、あの方の思いが風に乗ってきたのかもしれない・・・・などと、思ってしまいます。
☆ 秋の風 彼方の想い 吹き寄せし 姿そ見えね 恋しき風よ
津路 知子
★ 風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ
〇 かぜをだに こふるはともし かぜをだに こむとしまたば なにかなげかむ
〇 風だけでも、恋しく思うのは羨ましい事です。せめて、風だけでも来る人を待つのならば
何を嘆く事がありましょうか・・・・・
巻き4-489 鏡女王
味酒 三輪野山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに
つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠そうべしや
巻1-17
反歌
三輪山を しかも隠か 雲だにも 心あらなき 隠さふべしや
巻1-18
三輪の山々は、奈良の山々の山間に隠れるまでに、道の曲がり角が幾重にも重なって、
つくづくと良く見ながら行きたいのに、何度も眺めたいのに、無情にも雲が隠すなんて事が
あるでしょうか・・・・・
☆ 派生歌・・・・・三輪山を しかも隠すか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ
古今集 紀貫之
額田王>長歌
お友やん (2010年10月19日 20:38) | コメント(0) | トラックバック(0)
冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けども
山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず
秋山の 木の葉を見ては 黄葉つをば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く
そこし怜(たの)し 秋山我は 巻1-16
以前にも、書いた事があるので、訳・読み 省きます。
この長歌も私は大好きです。春秋争いを和歌でやっています。座を囲み、お酒を飲みながら、
歌いあったのでしょうか・・・・ステキなことですね・・・・
額田王は、秋山が好き・・・と歌っています。
そうですね。。。。山は、私も春より、秋が好きです。
暗くなってきたので、小西さんの奥様の実家に戻った。
もう夕飯が用意されていた・・・・行きがけに、立ち寄った市場で、奥様が買い物していた豚肉・・・
これは、掲示板に書かなかったが、飼って居る豚は、特別の時にしか、殺さない・・・・例えば、
小西さんが奥様とご結婚された時は、三頭の豚が殺され、三日三晩お祝いが続いたそうだ。
だから、奥様の実家の豚さんは私たちの食事のためには殺されてはいないのだ。
市場で買った豚肉に、奥様のお父様が、独自のハーブに漬け込み、それを、薪でじっくりと
奥様が焼いてくださる。山菜と小西さんが大好きと言う、スイートバジルに似た
ハーブの炒め物・・・・そして、タイ米と日本米の間のような粘り気の、小西さん曰く、
「ジャポニカ米」と、共に頂く・・・そうそう、大切な事を忘れていた。
そのジャポニカ米でつくられた地元のお酒を最初に頂いた。
わたしは、お酒は強くないけれど、焼酎のような日本酒のような不思議な味がとても飲みやすく
どんどん飲んでいた。
木村先生の右隣に座りなさい・・・と、言われ、光栄にも、お隣に座した。
どんどん、お酒が進む・・・・・先生は、私が飲めないのを知っていたせいか、わたしのお酒も
どんどん飲んでいる。わたしは、先生の気配りを嬉しく思った。
さんざん飲んでから、小西さんに「ところで、何度ぐらい?このお酒は?」と先生が聞くと
小西さんは、「そうですね・・・40度ぐらいでしょうか・・・」と、淡々と答えた。
うっひやぁ~・・・そんなこととは、露知らず、飲んでいた私・・・・
不思議だ・・・私は何故酔わない・・・なんでこんなに、心地よく・・・そして、豚肉も野菜炒めも
すっごく、美味しい・・・何度もおかわりした。
常々、主婦でもある私は、長女が、我が家に帰ったときに、私のお澄ましを飲んで、この味だけ
は、真似できないんだよね。何で味付けしているの?と、聞かれる。普通にしてるよ、と答える。
きっと、この美味しさは心の込められた気だと思った。
どんな高級な食材であっても、心と愛情がなければ、大変まずいものになってしまう・・・・
食べる相手が少しでも美味しく食べられるように・・・・それが、料理を美味しくする・・・・と、私は
思う。まぁ、たまにどうしようもなく下手な人もいるが、そういう人は、他の事がきっと、
上手なのだろう。
ともあれ、夜はとっぷりと更けて行き、木村さんに特別なスイッチが入ってしまった。
「千葉さん、ギター持ってきて」・・・しぶしぶ、ギターを持ってくる千葉さん・・・・さぁ、それからが、
大変だ。悲しい酒、惜別の歌・・・ぞくぞくと、木村節が、カレンの静かな夜の村に響き渡る・・・・
豚も時折、ぶーぶーと一緒に歌っている。虫たちも合唱している。ついでに、鶏までも・・・・
コウタさんの篠笛も入る・・・・先生がとうとう上半身裸になって踊りだした・・・
お願いだから、下まで着物が落ちませんように・・・・・
そうして、全てが、ごく自然に流れて行く・・・・無理も無く、ごく自然に・・・・
「さぁ、次は辻さん」
私も、浜地鶏ならぬ、浜千鳥を歌った。
隣家の人が聞いている。
こうして、私たちのカレン村の夜は更けていった・・・忘れられないカレン村の夜が・・・・
そして、私は、この後、暗闇のトイレ兼水かけ場で、真っ裸になり、虫の音の中、
えいやっと、修行僧ならぬ水浴びをした。
いつまにか、お布団しいてくださったていた。
しかも、女性である私は特別一部屋頂いて、蚊帳の中で、眠りについたのだった。
カレン村の夜よ・・・さようなら・・・お休みなさい・・・・