×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
PR
★ 押し照る 難波の菅の ねもころに 君が聞こして 年深く 長くし言へば まそ鏡 磨ぎし心を
許してし その日の極み 波の共 靡く玉藻の かにかくに 心は持たず 大船の 頼める時に
ちはやぶる 神か放くらむ うつせみの 人か障わらむ 通はしし 君も来まさず 玉梓の
使ひも見えず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの 夜はすがらに 赤らひく
日も暮るるまで 嘆けども 験をなみ 思へども たづきを知らに 手弱女と 言はくもしるく
た童の 哭のみ泣きつつ たもとほり 君が使ひを 待ちやかねてむ
★ おしてる なにはのすげの ねもころに きみがきこして としふかく ながくしいへば
まそかがみ とぎしこころを ゆるしてし そのひのきはみ なみのむた なびくたまもの
かにかくに こころはもたず おおぶねの たのめるときに ちはやぶる かみかさくらむ
うつせみの ひとかさふらむ かよはしし きみもきまさず たまづさの つかひもみえず
なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの よるはすがらに あからひく ひもくるるまで
なげけども しるしをなみ おもへども たづきをしらに たわやめと いはくもしるく
たわらはの ねのみなきつつ たもとほり きみがつかひを まちやかねてむ
巻4-619
★ 海も一面に照り輝く難波の菅の根のように、ねんごろにあなたが言葉をかけ、年を深く
長く久しくと、おっしゃるので、真澄の鏡のようを研ぐように操を守る堅固な心を許した
その日からとというもの、波とともに揺れ靡く玉藻のように、あれこれと迷う心は持たず
大船のように、あなたを頼りとしていたときに、荒ぶる神が、仲を裂くのだろうか、この現世
の人が邪魔をするのだろうか・・・通っておられたあなたもお出でにならず、玉梓の使いも
姿を見せなくなってしまったので、どうしようもなく、ぬばたまの夜は夜通し、明るく照らす
昼は日の暮れるまで、嘆いていますが、その甲斐も無く、いくら思ったところで、手立ても
わからず、かよわい女という言葉さながらに、まるで幼い子供のように、声に出して
泣きながら、彷徨い、あなたからの使いが来るのを、待ちかねるのだろうか・・・・
★ みよしのの たままつがえは はしきかも きみがみことを もちてかよはく
★ 美しい吉野の松の枝は、なんと慕わしく思えることでしょう・・・・あなたのお言葉を持って
ここまで通ってくるとは・・・・
巻2-113
吉野より、苔生せる松が枝を折り取りて 遣はしし時に、額田王の奉り入れたる歌1首
とあります。
持統天皇が弓葉皇子にそれを、命じたという説もありますが、私は、もっと、違う感情が
二人の間に流れていたと思います。それは、男女の愛とか、熟女好みとか、そんなちんけな
言葉で限定されるものではないと思います。労わりなのか、情なのか、慈愛なのか、どの言葉も
適切でない・・・言葉に限定されない・・・・万葉の人々の心は、限定されないのです。
ただ・・・・・思い・・・・思う・・・なのです。現代の、人の心を何かに縛りつけようとする時代性と
は、全く違いますね・・・・・