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★ おおきみの にぎたまあへか とよくにの かがみのやまを みやとさだむる
★ 大君である河内王の和魂の思いにかなったからだろうか・・・・豊前の鏡の山を、大君の
常宮と定めたことです。
巻3-417 手持女王(たもちのおほきみ)
人の魂は荒魂、幸魂、そして和魂、奇魂という、4つの魂からなると言われています。
その人の亡き後、唯一この世とのつながるのは、荒魂(あらみたま)と言われていますが、
この和歌には和魂(にぎみたま)と詠われています。また、あへる・・・というのはあえもの・・と
いわれるように、混ぜ合わせるという意味を持ちます。和魂は調和を意味するようなので、
ここに、何か隠されているような気がします。
どちらししても、鏡山を常宮にしたことは、大君の魂の思いに叶っていると、
現代の言葉で言えばそういう意味でしょうか?
鏡山は福岡県の田川郡にあります。登った事があると思います。懐かしいなぁ・・・
★ ももつたふ いはれのいけに なくかもを けふのみみてや くもがくりなむ
★ 百に至る五十(い)・・・磐余の池に鳴いている鴨を、今日を限りに見ただけで、
私は雲の彼方に隠れてしまうのだろうか・・・・・・
巻3-416 大津皇子
大津皇子の死(みまか)らしえし時に、磐余の池の堤にして涕を流して作りませる御歌一首
次の天皇にふさわしい、度量と器量を持っていたが故に、謀反の罪を着せられる羽目になった
大津皇子・・・若干24歳でした・・・無念さはあまりあるでしょう・・・・24歳の若者が、謀に
乗せられ殺される前に詠んだ歌・・・見事です。
この頃、死ぬ・・・という表現の一つに、雲隠れする・・・と言います。自然の中に、戻っていく・・
そういう感じがします。
★ 百に至る五十(い)・・・磐余の池に鳴いている鴨を、今日を限りに見ただけで、
私は雲の彼方に隠れてしまうのだろうか・・・・・・
巻3-416 大津皇子
大津皇子の死(みまか)らしえし時に、磐余の池の堤にして涕を流して作りませる御歌一首
次の天皇にふさわしい、度量と器量を持っていたが故に、謀反の罪を着せられる羽目になった
大津皇子・・・若干24歳でした・・・無念さはあまりあるでしょう・・・・24歳の若者が、謀に
乗せられ殺される前に詠んだ歌・・・見事です。
この頃、死ぬ・・・という表現の一つに、雲隠れする・・・と言います。自然の中に、戻っていく・・
そういう感じがします。
★ いへにあれば いもがてまかむ くさまくら たびにこやせる このたびとあはれ
★ 家にいたならば、 愛する妻が手枕をしてくれたであろうに・・・旅先で草を枕に死して
臥せているこの旅人よ・・・なんといたわしい・・・・
巻3-415 上宮聖徳太子(かみつみやのしやうとこのみこ)
日本書紀から)
級(しな)照る 片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥せる その旅人あはれ 親なしに
汝(なれ)生(な)りけめや 刺(さす)竹の 君はや無き 飯(いひ)に飢(ゑ)て
臥せる その旅人あはれ
いよいよ、挽歌です。
死についての歌です。日本人は死から離れすぎました。死について・・・・万葉を通して
観ていきたいと思います。
最初の和歌は聖徳太子の歌です。昔は、旅人の死体など、珍しくなかったでしょう。
それだけ、旅は苦しく、死は身近なものであったでしょう。