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ブログを書くときは、夜か朝。
朝は私の最も元気な時間帯である。
これは、夜に舞台が多い歌い手にとって、
あまりいただけないのだが、
(演奏時間の都合上、日ごろから、
午後から夜にかけて、元気であることが望ましい)
今のところ、なんとか、やりくりしているが、
まぁ、最終的には、時間も場所も選ばないのが、
プロというものであろう。
師である藤岡宣男もそうであったから・・・・
で、何を書きたいかというと、その6の「訂正」である。
本だと、後で何か紙切れががはさんであったり、しますよね。
朝、自分が昨夜書いたものを読んで、笑うことがままある。
ブログは、一気に書いてしまうので、添削などしないから・・・
許してください。
今回もその類・・・
「ぺリアスとメザリンド」だって・・・・何よ、その曲・・一体どこに
そんな曲があるのよ、と、自分で受けて笑ってしまった。
しかも、それって、ドビュッシーの「ぺレアスとメリザンド」
じゃ~ん・・・
歌ったのは、ラベル作曲、バレエ曲「ダフニスとクロエ」でした。
たしか、指揮はピエール・ブーレーズ。
合唱とオケが一緒になった舞台では、
PFと言って、2回から3回、指揮者じきじきの
合唱指導がある。
ピエール・ブーレーズの音楽指導を受けた時、
こんな頭の良い指揮者はいないと感動した。
その頃、私がはまっていた、パウル・クレーを
彼も好きで本まで出している事を知り、
嬉しくなって買ってしまった。
だから、小澤征爾さんの直接の指導など、
一体何回受けたことか・・・
超一流の音楽家は、その日のその舞台を
出演するみんなと一緒に最高のものに
すると言う、ただ一点の為に、努力を惜しまない。
みな音楽で繋がっているのだ。
他にも、メシアンの世界初演の曲・三善晃さんの初演の曲
林光さんの初演の曲などなど・・・・数え上げたらきりが無い
関屋晋の指導の下で学んだことは、私の大切な財産である。
指揮者も、オーケストラも半端ではない方々と、
舞台を共にさせていただくのは、
実に学ぶべきことが沢山あった。
超一流は、せこい事を言わず、ただただ、音楽する喜びに
満ち溢れていた。そのオーラを浴び続ける、そう、
音楽をする喜びを、浴び続けた。
パッションである。
私は、超一流のパッションを浴び続けたのだった。
朝は私の最も元気な時間帯である。
これは、夜に舞台が多い歌い手にとって、
あまりいただけないのだが、
(演奏時間の都合上、日ごろから、
午後から夜にかけて、元気であることが望ましい)
今のところ、なんとか、やりくりしているが、
まぁ、最終的には、時間も場所も選ばないのが、
プロというものであろう。
師である藤岡宣男もそうであったから・・・・
で、何を書きたいかというと、その6の「訂正」である。
本だと、後で何か紙切れががはさんであったり、しますよね。
朝、自分が昨夜書いたものを読んで、笑うことがままある。
ブログは、一気に書いてしまうので、添削などしないから・・・
許してください。
今回もその類・・・
「ぺリアスとメザリンド」だって・・・・何よ、その曲・・一体どこに
そんな曲があるのよ、と、自分で受けて笑ってしまった。
しかも、それって、ドビュッシーの「ぺレアスとメリザンド」
じゃ~ん・・・
歌ったのは、ラベル作曲、バレエ曲「ダフニスとクロエ」でした。
たしか、指揮はピエール・ブーレーズ。
合唱とオケが一緒になった舞台では、
PFと言って、2回から3回、指揮者じきじきの
合唱指導がある。
ピエール・ブーレーズの音楽指導を受けた時、
こんな頭の良い指揮者はいないと感動した。
その頃、私がはまっていた、パウル・クレーを
彼も好きで本まで出している事を知り、
嬉しくなって買ってしまった。
だから、小澤征爾さんの直接の指導など、
一体何回受けたことか・・・
超一流の音楽家は、その日のその舞台を
出演するみんなと一緒に最高のものに
すると言う、ただ一点の為に、努力を惜しまない。
みな音楽で繋がっているのだ。
他にも、メシアンの世界初演の曲・三善晃さんの初演の曲
林光さんの初演の曲などなど・・・・数え上げたらきりが無い
関屋晋の指導の下で学んだことは、私の大切な財産である。
指揮者も、オーケストラも半端ではない方々と、
舞台を共にさせていただくのは、
実に学ぶべきことが沢山あった。
超一流は、せこい事を言わず、ただただ、音楽する喜びに
満ち溢れていた。そのオーラを浴び続ける、そう、
音楽をする喜びを、浴び続けた。
パッションである。
私は、超一流のパッションを浴び続けたのだった。
本来は、指揮者を必要としない中世ルネサンスの
ポリフォニー音楽は、とても好きだった。
そして、それは、関屋晋の舞台に立つ事によって
現代にさかのぼる、ミサ曲、レクイエム、など、
ありとあらゆる時代のものを歌う事となった。
それも、超一流の指揮者で、超一流のオーケストラと共に・・・・
いまでも、ウィーンフィルと、ぺリアスとメザリンドを歌ったときに、
アンコールで、ウィーンフィルが演奏した、皇帝円舞曲は忘れられない。
血がワルツであった。背筋がぞぞぞ~としたのを今でも覚えている。
明らかに日本のオーケストラのそれとは違っていた。
あらゆる時代の、作曲家の宗教曲を歌う事で、私はいつの間にか
クリスチャンのようになっていた。
そして、ある日、
どうしても、今まで理解できなかった。
Kyrie eleison 神よ哀れみ給え
と言う言葉を、体観したのだった。
その瞬間私の心は何か温かいものに包まれ
涙が止まらなかった・・・・
私は、洗礼を受けたのだと思った。
ポリフォニー音楽は、とても好きだった。
そして、それは、関屋晋の舞台に立つ事によって
現代にさかのぼる、ミサ曲、レクイエム、など、
ありとあらゆる時代のものを歌う事となった。
それも、超一流の指揮者で、超一流のオーケストラと共に・・・・
いまでも、ウィーンフィルと、ぺリアスとメザリンドを歌ったときに、
アンコールで、ウィーンフィルが演奏した、皇帝円舞曲は忘れられない。
血がワルツであった。背筋がぞぞぞ~としたのを今でも覚えている。
明らかに日本のオーケストラのそれとは違っていた。
あらゆる時代の、作曲家の宗教曲を歌う事で、私はいつの間にか
クリスチャンのようになっていた。
そして、ある日、
どうしても、今まで理解できなかった。
Kyrie eleison 神よ哀れみ給え
と言う言葉を、体観したのだった。
その瞬間私の心は何か温かいものに包まれ
涙が止まらなかった・・・・
私は、洗礼を受けたのだと思った。
大学時代は、他大学の仲間と「中世音楽ポリフォニー専門」の
合唱団を作った。
ホモフォニーの音楽と違い、どの声部も独立していて
横糸の流れが重視される。例えば、バスと言う横糸が始まり、
次にアルトと言う横糸が始まり、テノール、ソプラノと続く。
その4本の糸が時には、縦に揃って、和音を鳴らすときも有り
横糸が絡み合う時もある。とても、知的な音楽だった。
ヨーロッパの個人主義的思想にあこがれていた私は、各声部が
独立していて、もたれあわないポリフォニー音楽が好きだった。
パレストリーナ・ビクトリア・ダウランド・デュファイ・デスプレ・・・など
結構、本格的で、ネウマ譜で、グレゴリオ聖歌を歌ったり、アルシス、
テシスなんて、勉強したり、曲のアナリーぜをしたりして、面白かった。
関屋先生が、なんと合唱団に聴きに来てくださった事がある。
そのころは、ピッチにやたらと拘っていて、純正律がうんぬん
かんぬんとか、細かい事を、言い合っていた。
関屋先生が、練習の終わりに、感想を述べてくれた。
「音が低いだの、高いだの、うるさい。
大切なのは、音楽だろう」と、怒られた。
私も含めて、みんなうなだれた。
細かい形ばかりに拘りすぎて
純粋な音楽の美しさの事を忘れていた。
以後、自分が合唱指導をする時も
中世ルネサンス音楽をするとき、
完全5度の音をとるのに、円陣になり
真中に響きの柱が出来るように
自分が気持ちよくなるように出してみて
と、指導していた。
練習場所は、教会。
信者より、熱心に宗教音楽に没頭した。
勿論、世俗曲も歌った。
合唱団を作った。
ホモフォニーの音楽と違い、どの声部も独立していて
横糸の流れが重視される。例えば、バスと言う横糸が始まり、
次にアルトと言う横糸が始まり、テノール、ソプラノと続く。
その4本の糸が時には、縦に揃って、和音を鳴らすときも有り
横糸が絡み合う時もある。とても、知的な音楽だった。
ヨーロッパの個人主義的思想にあこがれていた私は、各声部が
独立していて、もたれあわないポリフォニー音楽が好きだった。
パレストリーナ・ビクトリア・ダウランド・デュファイ・デスプレ・・・など
結構、本格的で、ネウマ譜で、グレゴリオ聖歌を歌ったり、アルシス、
テシスなんて、勉強したり、曲のアナリーぜをしたりして、面白かった。
関屋先生が、なんと合唱団に聴きに来てくださった事がある。
そのころは、ピッチにやたらと拘っていて、純正律がうんぬん
かんぬんとか、細かい事を、言い合っていた。
関屋先生が、練習の終わりに、感想を述べてくれた。
「音が低いだの、高いだの、うるさい。
大切なのは、音楽だろう」と、怒られた。
私も含めて、みんなうなだれた。
細かい形ばかりに拘りすぎて
純粋な音楽の美しさの事を忘れていた。
以後、自分が合唱指導をする時も
中世ルネサンス音楽をするとき、
完全5度の音をとるのに、円陣になり
真中に響きの柱が出来るように
自分が気持ちよくなるように出してみて
と、指導していた。
練習場所は、教会。
信者より、熱心に宗教音楽に没頭した。
勿論、世俗曲も歌った。
合唱では、ソプラノ馬鹿とテノール馬鹿というのが、あり
とりわけ、ソプラノは大馬鹿と言われた。
注:これは、私の言葉ではなく、小澤征爾さんに高く評価された
私が属していた合唱団の指揮者である関屋先生のお言葉です。
何故なら、内声は、周りの音を聞きながら、
それに、ハーモニーしていかなければならないから、
難しい・・・。テノールはグリークラブ出身者は、馬鹿が多い。
張り裂けんばかりに、叫ぶからだ。
ソプラノも、1と2に分かれていて、一番高声がソプラノトップ
次がメゾソプラノ、アルトとなる。
私は大ばか者の、ソプラノトップに属していた。
ソプラノトップは、バス・テノール・アルト・メゾソプラノ
のハーモニーの上に、ちょこんと乗っかればいい。
他のパートに比べて音楽的知性がいらないのだ。
18(大学1年)の年に関屋先生の音楽に出会って、
15年は指導を受けただろうか・・・
大学時代は先生の接待役を買って出て
犬コロのように、付いて回った。
それだけだった。
化粧一つせず、ジーパンにT-シャツ姿で、
関屋先生と合唱音楽に、ひたすら、まみれていた。
江戸っ子の先生は、いつも「てやんでぇ調」で、
「てめぇら、こんな美しい音楽(モーツアルトのレクイエムのリベラ・メ)を
よくそんな、間の抜けた顔をして、歌えるなぁ・・」なんて、
めちゃくちゃに怒られた・・懐かしい思い出である。
そう、私は関屋晋の音楽に惚れていた。
東京の主だった大ホールは、全て楽屋口を知っている。
お客として行く事は無かった。
本番前、舞台袖でオーケストラと待っている緊張感は
心地よかった。
小澤征爾さんの指揮が、一番経験が多い。
本番前に、舞台の壁を2度こつんこつんと、
おまじないのように、叩いて指揮台に向かう。
舞台に立つ者と、舞台を聞く者は、
雲泥の差である事を身をもって教えられた。
とりわけ、ソプラノは大馬鹿と言われた。
注:これは、私の言葉ではなく、小澤征爾さんに高く評価された
私が属していた合唱団の指揮者である関屋先生のお言葉です。
何故なら、内声は、周りの音を聞きながら、
それに、ハーモニーしていかなければならないから、
難しい・・・。テノールはグリークラブ出身者は、馬鹿が多い。
張り裂けんばかりに、叫ぶからだ。
ソプラノも、1と2に分かれていて、一番高声がソプラノトップ
次がメゾソプラノ、アルトとなる。
私は大ばか者の、ソプラノトップに属していた。
ソプラノトップは、バス・テノール・アルト・メゾソプラノ
のハーモニーの上に、ちょこんと乗っかればいい。
他のパートに比べて音楽的知性がいらないのだ。
18(大学1年)の年に関屋先生の音楽に出会って、
15年は指導を受けただろうか・・・
大学時代は先生の接待役を買って出て
犬コロのように、付いて回った。
それだけだった。
化粧一つせず、ジーパンにT-シャツ姿で、
関屋先生と合唱音楽に、ひたすら、まみれていた。
江戸っ子の先生は、いつも「てやんでぇ調」で、
「てめぇら、こんな美しい音楽(モーツアルトのレクイエムのリベラ・メ)を
よくそんな、間の抜けた顔をして、歌えるなぁ・・」なんて、
めちゃくちゃに怒られた・・懐かしい思い出である。
そう、私は関屋晋の音楽に惚れていた。
東京の主だった大ホールは、全て楽屋口を知っている。
お客として行く事は無かった。
本番前、舞台袖でオーケストラと待っている緊張感は
心地よかった。
小澤征爾さんの指揮が、一番経験が多い。
本番前に、舞台の壁を2度こつんこつんと、
おまじないのように、叩いて指揮台に向かう。
舞台に立つ者と、舞台を聞く者は、
雲泥の差である事を身をもって教えられた。
私は、「歌手」です。
「万葉歌手」とも、名乗っております。
万葉集の研究者ではありません。
大和言葉の音「おん」が好きで心が落ち着くので、
音楽を専門に勉強した自分の音「おん」への感覚から
万葉集の世界を、表現出来たらと思っています。
それでは、「万葉歌手」と名乗るその心は・・・・・
その心は・・・万(よろづ)の言(こと)の葉(は)を歌う人という意味で付けました。
勿論、万葉集は、大好きで心地よいので、オリジナル曲や即興朗誦で歌いますが
何しろ、「よろづのことのは」で、ございますから、美しい言葉の曲はなんでも
歌います。
今のところ、日本歌曲・歌謡曲・オペラアリア・わらべうた・・・これから、ますます
レパートリーを増やしていこうと思っております。
そして、音・・・音色・・・と言うものを、もっと自分もそして皆様にも感じていただけたら
と思います。
大和言葉の音色・・・・これから、どのように変容して行くのか・・・
自分でも楽しみです
「万葉歌手」とも、名乗っております。
万葉集の研究者ではありません。
大和言葉の音「おん」が好きで心が落ち着くので、
音楽を専門に勉強した自分の音「おん」への感覚から
万葉集の世界を、表現出来たらと思っています。
それでは、「万葉歌手」と名乗るその心は・・・・・
その心は・・・万(よろづ)の言(こと)の葉(は)を歌う人という意味で付けました。
勿論、万葉集は、大好きで心地よいので、オリジナル曲や即興朗誦で歌いますが
何しろ、「よろづのことのは」で、ございますから、美しい言葉の曲はなんでも
歌います。
今のところ、日本歌曲・歌謡曲・オペラアリア・わらべうた・・・これから、ますます
レパートリーを増やしていこうと思っております。
そして、音・・・音色・・・と言うものを、もっと自分もそして皆様にも感じていただけたら
と思います。
大和言葉の音色・・・・これから、どのように変容して行くのか・・・
自分でも楽しみです