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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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カガヤン・デ・オロから、ダバオに移動して

ジェイソンさんのご自宅の晩餐にお招きに預かり、

日本とフィリピンの戦争の歴史や天皇陛下の事など

様々なお話をさせていただき、大変勉強になったようです。


翌日は、ダバオにて戦没者追悼慰霊の活動を

行いました。

9時半にジェイソンさんを始めとして、ジェイソンさんのお母様、また、

お母様のご友人まで、いらしてくださいました。


まず、向かったのは、日本歴史資料館です。今回の活動日記の

ダバオの始めのブログにも書きましたが、

ダバオは戦前、太田恭三郎により、マニラ麻で、栄えました。

日本歴史資料館の近くに、太田恭三郎の碑が建っています。


そこでの、清め祓いを済ませた後、日本人の墓地や戦没者追悼慰霊碑

を訪ねました。そこで、また、清め祓いと追悼慰霊を行いました。


詳しいことは、戦没者追悼慰霊活動の主宰者である、木村氏が帰国後、

メインブログに、旅日記として、きちんと記されますので、後でそちらを

お読みいただけたらと存じます。


アポ山に、日本兵及び、フィリピン人捕虜達が、

第二次世界大戦の折、

山を手作業で貫通した、トンネルがあります。


このトンネルを作るために、命を落とした方々の

為に、清め祓いと追悼慰霊を行いました。

テラの会は、宗教団体ではありませんので、

所作はごく簡易に行います。


御幣(依り代)は、近くの木で、

他には何も用意しません。

主宰の木村氏は、時に

祝詞で、時にお経で、時にカソリックの

典礼の言葉で、追悼慰霊を致します。

そして、追悼の後に、御幣(依り代)を川に流します。


御幣(依り代)は、慰霊の場所によって、

川に速やかに流れる場合と、

いつまでも留まる場合、

沈んだり浮かんだりする場合と

イロイロとあります。


朝の九時半から、午後二時半まで・・・

フィリピンが暑い国と言う事もありますが、

それ以上に、追悼慰霊と言う活動は

エネルギーを消耗します。


そこから、ジェイソンさん達とホテルに戻りました。

大変申し訳なかったのですが

お話をする元気もなく、休ませていただきました。


テラの会は、歴史の史実を詳しく調べて、追悼慰霊活動を

行っていますが、実際に現地に行ってみて、五感で感じる事

また、戦争当時に生きておられた現地の方にお話を伺うこと・・・は、

何よりも、大切な情報であり、またこの「活動」自体が、

「国と国の戦いの為に、個人の命が失われる」という、悲劇の

犠牲者になられた、方々の追悼慰霊の活動になるのだと

思います。


私ごときの手による、この拙い文章での報告も、「書くこと」が、

またそれをお読みなる方が、「戦争で尊い命を失われた方」へ

「思いを寄せる」ことが、

「追悼」の行為であり、「慰霊」の心である

だと、思います。











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何の縁なのか、私には解らないけれど

音楽と読書が好きなだけの私が、

「国際ボランティア テラの会」で

戦没者追悼慰霊とミャンマー難民支援の

お手伝いをさせて頂いている。


歴史は苦手だった。やたらと、覚えることが

多かったからだ。センター試験世代なので、

意味などより、丸暗記が出来なければならない。


戦争の事など、両親から詳しく聞いて育った訳でもない。

と言うより、父は何にも戦争の事を語ろうとしなかった。

何かを飲み込んだような顔をして暮らしていた。

母に言わせると、若い時から、老成していたらしい。


父は、肺腺癌で、2008年2月29日にこの世を去った。

うるう年なので、4年に一回しか命日が来ない。

父らしい、死に方だと思う。

「4年に一回ぐらいは思い出してくれよ」と、

言っている様な気がする。


九州は大分で、成績が一番で、熊本の陸軍幼年学校に

入った。在学中に、戦争が終わった世代である。

父の兄は、チューク諸島(トラック諸島)で、空軍のパイロット

だったが、撃墜されて亡くなった。


そんなこんなのお話は父から聞いたことではない。

他の親戚から聞いた。

戦争が終わり、父は京都大学の法学部に進み、

電力会社に就職し、母と結婚した。

同級生に建築家の磯崎新氏がおられて、よく

我が家に遊びに来ていたと母が言っていた。

私が生まれていなかったら、絵描きに転職したかった

ぐらい、手先が器用で天賦の才能があった。


退職後に、水彩から始めた父の絵は

今は多くの親戚の家や、我が家の

玄関にも飾っている。


よく目をつぶって、腕を組み

ソファーにまんじりともせず

座っていた父の事を思い出す。

今になって、父は何を考えていたのだろう・・・と、思う。


戦没者の追悼慰霊をしながら、

私はやっと

日本の戦争の歴史を辿っている。

何だか、父の心を辿っているような気持ちさえ

するのだ。

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「テラの会」はフィリピンは、

ネグロス島のバコロド

パナイ島のイロイロ etc

と、何回か「戦没者の追悼慰霊」と

「難民支援」に出かけています。

今回の旅は、ミンダナオ島でした。


ダバオまで書きましたが、今回少し戻って書きます。

カガヤン・デ・オロです。

そこでの支援活動については、記しましたが、大切な事を

書くのを忘れていました。

「戦没者の追悼慰霊」の活動についてです。


フィリピンは、多くの島から成る国です。

第二次世界大戦の爪あとは

その島々のいたるところに残されています。


「国際ボランティア テラの会」は、

フィリピンは度々訪れています。詳しいことは

主宰の木村天山氏のメインブログの旅日記の

カテゴリー別アーカイブをクリックして

「救われないマニラ、救いようの無いフィリピン」などを

お読みになると参考になると思います。


主宰の木村天山氏にとって、最も大切にしている「行為」は

「戦没者の追悼慰霊」です。

今回、最初に訪れたカガヤン・デ・オロも、第二次世界大戦で

多くの日本人また、現地人が命を落としています。

勿論、慰霊碑の建立も、NGOによって沢山成されております。

戦争の史実を、あることがきっかけで、紐解き始めた事で、

テラの会の 主宰者 木村氏の「追悼慰霊」の旅が始まったのです。

「手渡し難民支援」は、その後に始まりました。


カガヤン・デ・オロは、戦争と共に、去年一昨年と、台風で酷い洪水に

合い、沢山の方が命を落とし、住む所も何もかも失いました。

日本の東北の震災も、勿論大変です。誤解を恐れずに書きますが

しかし、フィリピンの貧しい方々は、貧しい上に、更に貧しくなった

ままなのです。


国連を通じての支援も、本当にそれが必要な人の所には

中々行き渡らないのです。

組織は大きくなればなるほど不透明さを増します。

勿論、大きな組織の役目もあります。

しかし、個人の意志の集まりで、寄与する行為も

あってもよいのではないでしょうか?


「追悼慰霊」は、台風による水害で亡くなられた方々と、第二次世界大戦で

命を落とされた方々に向けて捧げられました。







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「国際ボランティア テラの会」 は、本日まで、ダバオ滞在

明日は、セブに移動します。

活動の報告が、活動に追いつきません。


ダバオは、比較的富裕層が多いとおもわれる

きれいな町です。そこに住む、ジェイソンさんの

お宅の晩餐に招かれました。

そこで、ジェイソンさんのお母様が、日本に大変

興味をもっていらっしゃる、と言う事もあり、

お話は随分と盛り上がったようです。


「テラの会」主宰の木村氏は、日本舞踊の家元でもありますので、

他のメンバーの吹く、篠笛の音色に合わせて、

何もプレゼントが無いからと、日本の芸能をプレゼントしたようです。


言葉が通じなくても、芸能と言うのは、

それを越える力を持っているねと

木村氏が、おっしゃっていました。


私も、タイ国のメーソートの林で、

ミャンマー難民の孤児達に

「さくら さくら」の歌をプレゼントしたことを

思い出しました。言葉を沢山交わさなくても

音楽は「心」を、ほぐす作用を持っている事を

実感したことです。


*注:私は「国際ボランティア テラの会」の代表ですが

    万葉集を歌う歌手でもあり、またその収益金は

    テラの会の活動費用に充てています。

    歌手活動との両立の為、年に二回海外支援を

    行います。

ジェイソンさんのお宅での、晩餐の中の会話で、

我々が知らなかった事をたくさん知ることが出来ました。


* 「国際ボランティア テラの会」は、海外へ「戦没者また

 被災者の追悼慰霊」と、「難民や貧民の支援」に行く前に

 その国の歴史(勿論、とりわけ戦争の歴史です)思想・

 地域の特色など十分に、下調べをして出かけるのですが

 現地の取材で、実際にその国の、その町に住んでおられる方との

 お話で、初めて知りえることも多々あります。情報と言うのは、刻々と

 変化していきます。史実とされる本と現在の現地の方のお話を伺える

 事は、とても大切なことです。


晩餐の夜は、とても充実したものとなったようです。

翌日は、ダバオでの、戦没者の追悼慰霊に向かいます。

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「国際ボランティア テラの会」は、一昨日夜、

ダバオに着きました。ダバオはカガヤン・デ・オロから

飛行機で50分のミンダナオ島の南部の都市です。

最初の印象は、きれいな町と言う事でした。


戦前、日本人が来てマニラ麻を作り、農場経営の地盤を

作りました。


空港には、日本のM氏のご好意により、

お知り合いのジェイソンさんとお母様が

迎えに来てくださいました。

ジェイソンさん、お一人でいらしてくださる

と聞いていたので、お母様も共にいらして、

テラの会一行は吃驚したようです。

ジェイソンさんは、フィリピンでは、恵まれた生活を送っておられる

ご家族ですが、「国際ボランティア テラの会」の活動に興味を持って

くださったのでしょう。

その日は、ホテルに到着後、M氏と、ジェイソンさんのご好意で、夕食を

ご馳走になりました。

(注:M氏は日本におられますが、今回のミンダナオ島の旅に様々な

面でご協力下さった方です)


ジェイソンさんのお母様は、日本と言う国に大変興味を持っておられる方で

とりわけ、天皇陛下とは、どのような立場の方なのか?キングなのか?

エンペラーなのか?政治とはどう関わっておられるのか?など、今の

日本人の多くは答えられない様な質問を矢継ぎ早にされたようです。


「国際ボランティア テラの会」は、宗教団体ではありませんし、

右翼団体でもありません。ただ、日本に生まれた国民として

当たり前の「行為」を行っていきたい気持ちをもっている人の

集まりです。


とりわけ、主宰者の木村氏は、敢えてアカデミズムに染まらずに

日々、情報を集め、本を読み、様々な随筆を書いておられます。

その中には、「天皇陛下について」と言う、凄い量の随筆もあり、

売文しないんですか?と、私は聞くのですが、一人でも多くの人に

読んでもらいたい気持ちが先行しておられるようで、売文に関わる

様々な、社会的人脈作りや手続きをする手間と時間さえ惜しんで

書いておられます。その凄まじさは、並大抵ではありません。


なので、ジェイソンさんのお母様の、

あらゆる質問にもお答えになられたようです。


2000年以上に及ぶ、万世一系は、世界に一つの

天皇家・・・・

日々、国民の為に

国民の平和と繁栄を祈られておられる

天皇皇后両陛下・・・・


贅沢三昧をして、戦争に負けたら、有り金を

持って、ヘリコプターで逃げるどこかの国の

王様とは違うのです。


話がそれました。

と言う事で、テラの会一行は、充実した歓談をし、

その日が、終わりました。

ジェイソンさんからの申し出で、予定には無かった

のですが、翌日の晩餐に招かれることになりました。


この続きは、次回・・・・・・








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