×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
PR
カガヤン・デ・オロから、ダバオに移動して
ジェイソンさんのご自宅の晩餐にお招きに預かり、
日本とフィリピンの戦争の歴史や天皇陛下の事など
様々なお話をさせていただき、大変勉強になったようです。
翌日は、ダバオにて戦没者追悼慰霊の活動を
行いました。
9時半にジェイソンさんを始めとして、ジェイソンさんのお母様、また、
お母様のご友人まで、いらしてくださいました。
まず、向かったのは、日本歴史資料館です。今回の活動日記の
ダバオの始めのブログにも書きましたが、
ダバオは戦前、太田恭三郎により、マニラ麻で、栄えました。
日本歴史資料館の近くに、太田恭三郎の碑が建っています。
そこでの、清め祓いを済ませた後、日本人の墓地や戦没者追悼慰霊碑
を訪ねました。そこで、また、清め祓いと追悼慰霊を行いました。
詳しいことは、戦没者追悼慰霊活動の主宰者である、木村氏が帰国後、
メインブログに、旅日記として、きちんと記されますので、後でそちらを
お読みいただけたらと存じます。
アポ山に、日本兵及び、フィリピン人捕虜達が、
第二次世界大戦の折、
山を手作業で貫通した、トンネルがあります。
このトンネルを作るために、命を落とした方々の
為に、清め祓いと追悼慰霊を行いました。
テラの会は、宗教団体ではありませんので、
所作はごく簡易に行います。
御幣(依り代)は、近くの木で、
他には何も用意しません。
主宰の木村氏は、時に
祝詞で、時にお経で、時にカソリックの
典礼の言葉で、追悼慰霊を致します。
そして、追悼の後に、御幣(依り代)を川に流します。
御幣(依り代)は、慰霊の場所によって、
川に速やかに流れる場合と、
いつまでも留まる場合、
沈んだり浮かんだりする場合と
イロイロとあります。
朝の九時半から、午後二時半まで・・・
フィリピンが暑い国と言う事もありますが、
それ以上に、追悼慰霊と言う活動は
エネルギーを消耗します。
そこから、ジェイソンさん達とホテルに戻りました。
大変申し訳なかったのですが
お話をする元気もなく、休ませていただきました。
テラの会は、歴史の史実を詳しく調べて、追悼慰霊活動を
行っていますが、実際に現地に行ってみて、五感で感じる事
また、戦争当時に生きておられた現地の方にお話を伺うこと・・・は、
何よりも、大切な情報であり、またこの「活動」自体が、
「国と国の戦いの為に、個人の命が失われる」という、悲劇の
犠牲者になられた、方々の追悼慰霊の活動になるのだと
思います。
私ごときの手による、この拙い文章での報告も、「書くこと」が、
またそれをお読みなる方が、「戦争で尊い命を失われた方」へ
「思いを寄せる」ことが、
「追悼」の行為であり、「慰霊」の心である
だと、思います。
ジェイソンさんのご自宅の晩餐にお招きに預かり、
日本とフィリピンの戦争の歴史や天皇陛下の事など
様々なお話をさせていただき、大変勉強になったようです。
翌日は、ダバオにて戦没者追悼慰霊の活動を
行いました。
9時半にジェイソンさんを始めとして、ジェイソンさんのお母様、また、
お母様のご友人まで、いらしてくださいました。
まず、向かったのは、日本歴史資料館です。今回の活動日記の
ダバオの始めのブログにも書きましたが、
ダバオは戦前、太田恭三郎により、マニラ麻で、栄えました。
日本歴史資料館の近くに、太田恭三郎の碑が建っています。
そこでの、清め祓いを済ませた後、日本人の墓地や戦没者追悼慰霊碑
を訪ねました。そこで、また、清め祓いと追悼慰霊を行いました。
詳しいことは、戦没者追悼慰霊活動の主宰者である、木村氏が帰国後、
メインブログに、旅日記として、きちんと記されますので、後でそちらを
お読みいただけたらと存じます。
アポ山に、日本兵及び、フィリピン人捕虜達が、
第二次世界大戦の折、
山を手作業で貫通した、トンネルがあります。
このトンネルを作るために、命を落とした方々の
為に、清め祓いと追悼慰霊を行いました。
テラの会は、宗教団体ではありませんので、
所作はごく簡易に行います。
御幣(依り代)は、近くの木で、
他には何も用意しません。
主宰の木村氏は、時に
祝詞で、時にお経で、時にカソリックの
典礼の言葉で、追悼慰霊を致します。
そして、追悼の後に、御幣(依り代)を川に流します。
御幣(依り代)は、慰霊の場所によって、
川に速やかに流れる場合と、
いつまでも留まる場合、
沈んだり浮かんだりする場合と
イロイロとあります。
朝の九時半から、午後二時半まで・・・
フィリピンが暑い国と言う事もありますが、
それ以上に、追悼慰霊と言う活動は
エネルギーを消耗します。
そこから、ジェイソンさん達とホテルに戻りました。
大変申し訳なかったのですが
お話をする元気もなく、休ませていただきました。
テラの会は、歴史の史実を詳しく調べて、追悼慰霊活動を
行っていますが、実際に現地に行ってみて、五感で感じる事
また、戦争当時に生きておられた現地の方にお話を伺うこと・・・は、
何よりも、大切な情報であり、またこの「活動」自体が、
「国と国の戦いの為に、個人の命が失われる」という、悲劇の
犠牲者になられた、方々の追悼慰霊の活動になるのだと
思います。
私ごときの手による、この拙い文章での報告も、「書くこと」が、
またそれをお読みなる方が、「戦争で尊い命を失われた方」へ
「思いを寄せる」ことが、
「追悼」の行為であり、「慰霊」の心である
だと、思います。