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今回の、「国際ボランティア テラの会」 フィリピンの旅は、
ミンダナオ島のカガヤン・デ・オロに、始まり、ダバオそして、
セブ島のセブシティーへと、移りました。
セブ州は、セブ島・マクタン島・バンタヤン島などの大小167の島を
含みます。そのセブ州の州都がセブシティーです。
フィリピンのセブ島は、1521年のスペイン王の命令で東方の地に植民地を求めた
ポルトガル人のマゼランに発見されたことにより歴史の表舞台に登場します。
その当時の、ラジ領主である、ラジャ・フマボンを懐柔して、その一族に、
キリスト教の洗礼を受けさせ、布教により植民地化しようとしましたが、
マゼランに従わないマクタン島の領主ラプラプが、最後まで抵抗し
マゼランは討ち死にしました。
ラプラプは今でも、民族の誇りとして崇められています。
その時は、植民地化を免れましたが、その後、
再びスペイン人の侵略により植民地化が進み、
1565年から、スペインの植民地となりました。
この後、フィリピンの多くがカトリック信者となります。
1898年 スペインから独立。
しかし翌年のパリ条約で
米国の支配下におかれます。
第二次世界大戦中、1942年日本が入国・・・
しかし、1945年敗退。
フィリピンは戦争の歴史の混乱の中で、
米港の強い影響の下に、
1946年、再び、独立しました。
「テラの会」は、マゼランが最初に入植した
セブ島の中のセブシティーにいます。
常の事ですが、「テラの会」
観光の為に来ているわけではないので
削れる費用は全て削ります。
だから、例えば会の中でたった一人の
女性である私は、付いて行くために
却ってご迷惑をおかけする事になる・・
これは、男尊女卑とかいう問題では
ありません。部屋も、必ず一人でも一室
必要ですし、事故などの問題もあります。
そのような事情もあり、私が付いて行く活動は
タイと、インドネシアに限る理由の一つ
になっております。
話を戻しますが、
テラの会の場合、おおよそ、ホテルはどこの国でも、
ツィンで(大体費用は部屋単位です)日本円にして
1000~2000円と言う金額を捜します。
かなり、安く、普通の観光客はまずおりません。
その金額のホテルは現地の方の為の場合か
かなりの貧乏旅行を楽しむ人しか泊まらないでしょう。
食事は、現地の人の食べる屋台や食堂で日本円にして
一人100円から150円ほどで済ませます。
体力的に持たない場合は、2000円を超えるホテルに
宿泊の場合もありますし、私が行く場合、シャワーは
お湯が出る所とか、配慮をしてくださるようです。
これは、寄付頂いた方のお金を出来うる限り有効に
使いたいと言う気持ちもありますし、また、スラムが
近いところに建っている場合が多く、貧しい方々の
生活をじかに体験し見ることが出来るということもあります。
じかに生活を見て話を聞くことで、日本からまた他国からの
支援が国の福祉にどのように生かされているのか
間近に知ることが出来ます。その上で、衣服や学用品や
生活用品を支援できます。
セブシティーも、他の東南アジアの貧民街やスラムと同様
本当に貧しい人々へは、福祉は行き渡りません。
今回は、衣服は渡し終えましたし、5~7歳にしか見えない
10~13歳ぐらいの栄養失調の子が沢山いました。
テラの会は、食糧支援が必要ということで、活動をしました。
ミンダナオ島のカガヤン・デ・オロに、始まり、ダバオそして、
セブ島のセブシティーへと、移りました。
セブ州は、セブ島・マクタン島・バンタヤン島などの大小167の島を
含みます。そのセブ州の州都がセブシティーです。
フィリピンのセブ島は、1521年のスペイン王の命令で東方の地に植民地を求めた
ポルトガル人のマゼランに発見されたことにより歴史の表舞台に登場します。
その当時の、ラジ領主である、ラジャ・フマボンを懐柔して、その一族に、
キリスト教の洗礼を受けさせ、布教により植民地化しようとしましたが、
マゼランに従わないマクタン島の領主ラプラプが、最後まで抵抗し
マゼランは討ち死にしました。
ラプラプは今でも、民族の誇りとして崇められています。
その時は、植民地化を免れましたが、その後、
再びスペイン人の侵略により植民地化が進み、
1565年から、スペインの植民地となりました。
この後、フィリピンの多くがカトリック信者となります。
1898年 スペインから独立。
しかし翌年のパリ条約で
米国の支配下におかれます。
第二次世界大戦中、1942年日本が入国・・・
しかし、1945年敗退。
フィリピンは戦争の歴史の混乱の中で、
米港の強い影響の下に、
1946年、再び、独立しました。
「テラの会」は、マゼランが最初に入植した
セブ島の中のセブシティーにいます。
常の事ですが、「テラの会」
観光の為に来ているわけではないので
削れる費用は全て削ります。
だから、例えば会の中でたった一人の
女性である私は、付いて行くために
却ってご迷惑をおかけする事になる・・
これは、男尊女卑とかいう問題では
ありません。部屋も、必ず一人でも一室
必要ですし、事故などの問題もあります。
そのような事情もあり、私が付いて行く活動は
タイと、インドネシアに限る理由の一つ
になっております。
話を戻しますが、
テラの会の場合、おおよそ、ホテルはどこの国でも、
ツィンで(大体費用は部屋単位です)日本円にして
1000~2000円と言う金額を捜します。
かなり、安く、普通の観光客はまずおりません。
その金額のホテルは現地の方の為の場合か
かなりの貧乏旅行を楽しむ人しか泊まらないでしょう。
食事は、現地の人の食べる屋台や食堂で日本円にして
一人100円から150円ほどで済ませます。
体力的に持たない場合は、2000円を超えるホテルに
宿泊の場合もありますし、私が行く場合、シャワーは
お湯が出る所とか、配慮をしてくださるようです。
これは、寄付頂いた方のお金を出来うる限り有効に
使いたいと言う気持ちもありますし、また、スラムが
近いところに建っている場合が多く、貧しい方々の
生活をじかに体験し見ることが出来るということもあります。
じかに生活を見て話を聞くことで、日本からまた他国からの
支援が国の福祉にどのように生かされているのか
間近に知ることが出来ます。その上で、衣服や学用品や
生活用品を支援できます。
セブシティーも、他の東南アジアの貧民街やスラムと同様
本当に貧しい人々へは、福祉は行き渡りません。
今回は、衣服は渡し終えましたし、5~7歳にしか見えない
10~13歳ぐらいの栄養失調の子が沢山いました。
テラの会は、食糧支援が必要ということで、活動をしました。