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私は、今は、舞台で歌わせていただいている。
「歌う」ことは、私にとり、「生きること」なので、
「歌手」として、歌わせていただくことは、とても嬉しい。
これをお読みくださっている、それぞれの方にも、
苦しい事、辛い事、沢山あると思う。
私にも、あるし、あった。
過去に、最も苦しくてほぼ寝たきりの状態だった時に、
それは、トイレにも行けない状態だった・・・にもかかわらず
私は、這うようにして続けたことが、
「音楽」だった。 一秒経つ事が、耐えられないほど
苦しい・・・「死にたい」と、思い続けていた。
勿論、「音楽」は私の生活の中で、
常に、側に居てくれた。
けれど、あれほど、見事に私を支えてくれたのは、
初めての経験だった・・・そして、私は
今は、書くのが少し恥ずかしいけれど、
私の人生を変える「歌声」に出会い
その「歌い手」(藤岡宣男)の方を、師匠として
敬愛して、今の私がある。
「音楽に感動することは、よくあります」・・・
といわれるかもしれないが、
人生を変えるほど、「感動」することは、
滅多に無いことだと思う。
でも、最も大きな舞台は、「人生」だろう。
「人生」という名の舞台を何をして
演じきるか・・・・
そのように考えると、少し自分に客観性が
持てるかもしれない。
「歌う」ことは、私にとり、「生きること」なので、
「歌手」として、歌わせていただくことは、とても嬉しい。
これをお読みくださっている、それぞれの方にも、
苦しい事、辛い事、沢山あると思う。
私にも、あるし、あった。
過去に、最も苦しくてほぼ寝たきりの状態だった時に、
それは、トイレにも行けない状態だった・・・にもかかわらず
私は、這うようにして続けたことが、
「音楽」だった。 一秒経つ事が、耐えられないほど
苦しい・・・「死にたい」と、思い続けていた。
勿論、「音楽」は私の生活の中で、
常に、側に居てくれた。
けれど、あれほど、見事に私を支えてくれたのは、
初めての経験だった・・・そして、私は
今は、書くのが少し恥ずかしいけれど、
私の人生を変える「歌声」に出会い
その「歌い手」(藤岡宣男)の方を、師匠として
敬愛して、今の私がある。
「音楽に感動することは、よくあります」・・・
といわれるかもしれないが、
人生を変えるほど、「感動」することは、
滅多に無いことだと思う。
でも、最も大きな舞台は、「人生」だろう。
「人生」という名の舞台を何をして
演じきるか・・・・
そのように考えると、少し自分に客観性が
持てるかもしれない。
毎日のように、新聞に記事が出る。
親に虐待されて、小さな命の火を消されてしまった子供達のこと・・・・
まだ、自分の気持ちを満足に言葉に出来ないまま、この世を旅立ってしまった
小さな命たち・・・・
しかし、私は母親一人を責められない気がする。
母親は自分自身を殴り蹴り、罵倒しているような気がするのだ。
横浜にも、親の虐待から逃れて保護されて暮らしている子供達の
施設がある。
テラの会は、そこにも支援に行った。
無理やり連れて帰ろうとする親を、施設内に入れないように
していた。
自分の子供を親が殴って蹴って死なせてしまう・・・それは、あまりにも
酷く、この世の地獄の様相を呈している。
フィリピンの路上で、親も食べるものも無く、物乞いをして
路上で生活しているストリートチルドレン達・・・
子供は「未来の宝物」・・その当たり前の事が成り立たない
社会はやはり狂っている・・・どこか、おかしいのだと思う。
何が出来るのだろう・・・・
親に虐待されて、小さな命の火を消されてしまった子供達のこと・・・・
まだ、自分の気持ちを満足に言葉に出来ないまま、この世を旅立ってしまった
小さな命たち・・・・
しかし、私は母親一人を責められない気がする。
母親は自分自身を殴り蹴り、罵倒しているような気がするのだ。
横浜にも、親の虐待から逃れて保護されて暮らしている子供達の
施設がある。
テラの会は、そこにも支援に行った。
無理やり連れて帰ろうとする親を、施設内に入れないように
していた。
自分の子供を親が殴って蹴って死なせてしまう・・・それは、あまりにも
酷く、この世の地獄の様相を呈している。
フィリピンの路上で、親も食べるものも無く、物乞いをして
路上で生活しているストリートチルドレン達・・・
子供は「未来の宝物」・・その当たり前の事が成り立たない
社会はやはり狂っている・・・どこか、おかしいのだと思う。
何が出来るのだろう・・・・