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「テラの会」は、セブシティーにて、最後の日を過ごし、
本日、午後7時半にマニラ、そして、27日午前3時半に
ホテルチェックアウト、朝6時の飛行機で出発、
日本には、日本時間で12時には到着するでしょう。
本当に、ご苦労様でした。
今頃は、マニラにて疲れ果てて休憩なさっておられるでしょう。
セブシティーでは、5日間を過ごしました。
ダウンタウンといっても、上・中・下の暮らしに分かれます。
テラの会は前回、その中間のスラムで支援しましたが
今回は、下のスラムです。
花売り娘は、8歳ぐらい・・・20ペソで売っています。
昼間の湯気の立つような暑さの時は子供達は
出てきません。夜になってそれでも、まだむっとするような
暑さですが、子供たちが、教会の前や、道路にどっと繰り出してきます。
五日間も食事やありったけの(自分達の衣類まで)支援しました。
町で、テラの会を見かけると、とりわけ主宰の木村氏は、もう顔が
ダウンタウンで知れ渡ってしまったようです。
子供達は次から次にやってきます。
木村氏は子供が大変好きなので、見ると、助けずにはいられないのです。
ほかの、テラの会若手のメンバーも、10歳の女の子から靴を買って!と頼まれました
一緒に捜して買ってあげたようです。
水はなんと!!信じられないことに、あらゆる所に水の供給タンクがあり、
1ペソで500ミリリットル手に入るようになりました。
最後は、自分達が浸かってきたタオルや、着ていた衣服もぜぇ~んぶ
支援しました。きれいさっぱり、持ってきた(いや、着てきた)衣類まで、
全て支援できました。嬉しいですね。
バコロドで、テラの会のお手伝いをしてくださっている
フィリピンの優秀な女性、asiaと書いてエイジァと、読みます。
今回はバコロドには行きませんでしたので、
お会いできませんでしたが、荷物があればいつでも
受け取ると連絡くださいました。彼女はフィリピンの
大学で修士課程を終了し、博士課程に進むそうです。
いつでも、手伝います。フィリピンの為に、ありがとう!と
言ってくださいました。彼女は小口貸付の会社の責任者となり
エリートとして活躍しています。収入は日本円で月に三万ほど・・・
フィリピンでは高給取りです。
テラの会の旅も、終わりに近づきます。
今回もまた、気付かせられることの多い、
考えさせられることの多い旅でした。
本当に、お疲れ様でした。
本日、午後7時半にマニラ、そして、27日午前3時半に
ホテルチェックアウト、朝6時の飛行機で出発、
日本には、日本時間で12時には到着するでしょう。
本当に、ご苦労様でした。
今頃は、マニラにて疲れ果てて休憩なさっておられるでしょう。
セブシティーでは、5日間を過ごしました。
ダウンタウンといっても、上・中・下の暮らしに分かれます。
テラの会は前回、その中間のスラムで支援しましたが
今回は、下のスラムです。
花売り娘は、8歳ぐらい・・・20ペソで売っています。
昼間の湯気の立つような暑さの時は子供達は
出てきません。夜になってそれでも、まだむっとするような
暑さですが、子供たちが、教会の前や、道路にどっと繰り出してきます。
五日間も食事やありったけの(自分達の衣類まで)支援しました。
町で、テラの会を見かけると、とりわけ主宰の木村氏は、もう顔が
ダウンタウンで知れ渡ってしまったようです。
子供達は次から次にやってきます。
木村氏は子供が大変好きなので、見ると、助けずにはいられないのです。
ほかの、テラの会若手のメンバーも、10歳の女の子から靴を買って!と頼まれました
一緒に捜して買ってあげたようです。
水はなんと!!信じられないことに、あらゆる所に水の供給タンクがあり、
1ペソで500ミリリットル手に入るようになりました。
最後は、自分達が浸かってきたタオルや、着ていた衣服もぜぇ~んぶ
支援しました。きれいさっぱり、持ってきた(いや、着てきた)衣類まで、
全て支援できました。嬉しいですね。
バコロドで、テラの会のお手伝いをしてくださっている
フィリピンの優秀な女性、asiaと書いてエイジァと、読みます。
今回はバコロドには行きませんでしたので、
お会いできませんでしたが、荷物があればいつでも
受け取ると連絡くださいました。彼女はフィリピンの
大学で修士課程を終了し、博士課程に進むそうです。
いつでも、手伝います。フィリピンの為に、ありがとう!と
言ってくださいました。彼女は小口貸付の会社の責任者となり
エリートとして活躍しています。収入は日本円で月に三万ほど・・・
フィリピンでは高給取りです。
テラの会の旅も、終わりに近づきます。
今回もまた、気付かせられることの多い、
考えさせられることの多い旅でした。
本当に、お疲れ様でした。
テラの会は、只今、セブシティーにいます。
宿泊はダウンタウンのゲストハウス。
朝、食事の為に、町に出るとそこらへんに
ストリートチルドレン・ストリートアダルトが
路上に寝ています。
セブシティーにある、フィリピンで最も古い
幼きイエズスの会の教会の前は、夜になると
更に物売りや物乞いの、ストリートアダルト・
ストリートチルドレンが増えます。
セブンイレブンの前には、ガードマンが立っています。
食料を支援していると、「どんどん出てきてきりが無いよ」と、
テラの会のメンバーに言ったそうです。
キリが無いでしょう。
以前にも書きましたが、飛行機いっぱいの物資を運んでも
キリが無いのです。
ダウンタウンで何とか生計を立てて暮らしている人も、彼らを
助けません。その余裕も無いからでしょう。
主宰の木村氏によると、カンボジアやミャンマーより酷いと言う
ことでした。
その日暮らしのストリートチルドレン達は、
大きくなったら、スリかかっぱらいか、女の子なら、水商売・売春
誰も彼らに心を砕く人はいないでしょう。
街は汚く臭く、埃っぽく騒がしく・・・いるだけで疲れます。
戦後の日本はこのような状態だったのでしょうか?
パンパンと呼ばれる、女性達・・・・
スリやかっぱらいをして、その暮らしの孤児たち・・・
しかし、
日本は奇跡的な復興を果たしました。
何が違うのだろうか・・・・思わず考えてしまいます。
あなたたちに、十分なことは出来ないけれど、
あなたたちのことを忘れていない
あなたたちのことを考え、思っている日本人がいる
その思いが伝わればと願います。
例え、それが一回の食事であっても
一本の鉛筆と一冊のノートであっても・・・・
幸せになってほしいと願っている日本人が居ることを
忘れないで欲しい・・・・
宿泊はダウンタウンのゲストハウス。
朝、食事の為に、町に出るとそこらへんに
ストリートチルドレン・ストリートアダルトが
路上に寝ています。
セブシティーにある、フィリピンで最も古い
幼きイエズスの会の教会の前は、夜になると
更に物売りや物乞いの、ストリートアダルト・
ストリートチルドレンが増えます。
セブンイレブンの前には、ガードマンが立っています。
食料を支援していると、「どんどん出てきてきりが無いよ」と、
テラの会のメンバーに言ったそうです。
キリが無いでしょう。
以前にも書きましたが、飛行機いっぱいの物資を運んでも
キリが無いのです。
ダウンタウンで何とか生計を立てて暮らしている人も、彼らを
助けません。その余裕も無いからでしょう。
主宰の木村氏によると、カンボジアやミャンマーより酷いと言う
ことでした。
その日暮らしのストリートチルドレン達は、
大きくなったら、スリかかっぱらいか、女の子なら、水商売・売春
誰も彼らに心を砕く人はいないでしょう。
街は汚く臭く、埃っぽく騒がしく・・・いるだけで疲れます。
戦後の日本はこのような状態だったのでしょうか?
パンパンと呼ばれる、女性達・・・・
スリやかっぱらいをして、その暮らしの孤児たち・・・
しかし、
日本は奇跡的な復興を果たしました。
何が違うのだろうか・・・・思わず考えてしまいます。
あなたたちに、十分なことは出来ないけれど、
あなたたちのことを忘れていない
あなたたちのことを考え、思っている日本人がいる
その思いが伝わればと願います。
例え、それが一回の食事であっても
一本の鉛筆と一冊のノートであっても・・・・
幸せになってほしいと願っている日本人が居ることを
忘れないで欲しい・・・・
前回の活動報告は、活動報告ではありませんね・・・
私の個人的感情なので、消去しようと思いましたが、
一つの事実だから、そのままにします。
テラの会は、今、セブシティーにいます。
ストリートチルドレンは、沢山居ます。
寝る場所は、どこの支援か知りませんが、
確保されている子も多いようですが、
食糧支援はありません。
だから、見た目年齢は6歳から7歳ぐらいの子が、
物乞いをしています。パンと飲み物を買い、彼らに
あげます。いくつ?と、聞くと、10歳から11歳だと
言います。
栄養が不足しているので、成長できないのです。
一昨日から、出かけるたびに、14歳ぐらいまでの
子供に食料を渡します。
支援すると、周りの大人たちが微笑んでその様子を
見ています。彼らも、貧しいので、ストリートチルドレン
に、食料を与える余裕はないのです。
日本から来て、食糧支援をしていることを、テラの会の
行為を見ていて、分かっています。
中には、「アイ アム ハングリー」と言ってくる
大人も居ます。テラの会は、食料は大人には
支援しません。
多くの子は、教会やコンビニの前に、たむろしています。
物乞いしやすいからです。
昨日は、マクドナルドのハンバーガーを食べさせました。
彼らにとって、かなり高価な食べ物です。マクドナルドの
店員も、店にいる大人たちもその「行為」を微笑んでみています。
酷く汚れた破れたTシャツに、裸足、幾日シャワーを浴びていないのか、
臭いのする身体
足が熱い・・・と言います。
その話を聞いていたとき、娘が子供の靴のお古をビニール袋に
沢山入れて持ってきました。
あ~電話で、言葉は交わせるけれど、この靴は渡せない・・・
もどかしさを感じました。
彼らの未来はけして明るいとは言えないでしょう。
テラの会は、出会った子供達に
たった一回の行為だけれど、人生の中にこういう事
(見知らぬ国の大人が、食べ物をくれた)もあるのだと
覚えていて欲しい・・・と、願っています。
子供達は明日の食べ物はいらないのです。
今の空腹を満たすと、それ以上欲しがりません。
子供達にとって、明日は明日なのです。
セブシティーの貧しい人々の住む一角にある
教会で、献金を呼びかける旗が靡いています。
誰に献金せよというのでしょうか?
セブシティーには横浜から、支援金が送られています。
一体そのお金はどこで、どのように使われているのでしょうか?
一般人は聞いても知りません。
私の個人的感情なので、消去しようと思いましたが、
一つの事実だから、そのままにします。
テラの会は、今、セブシティーにいます。
ストリートチルドレンは、沢山居ます。
寝る場所は、どこの支援か知りませんが、
確保されている子も多いようですが、
食糧支援はありません。
だから、見た目年齢は6歳から7歳ぐらいの子が、
物乞いをしています。パンと飲み物を買い、彼らに
あげます。いくつ?と、聞くと、10歳から11歳だと
言います。
栄養が不足しているので、成長できないのです。
一昨日から、出かけるたびに、14歳ぐらいまでの
子供に食料を渡します。
支援すると、周りの大人たちが微笑んでその様子を
見ています。彼らも、貧しいので、ストリートチルドレン
に、食料を与える余裕はないのです。
日本から来て、食糧支援をしていることを、テラの会の
行為を見ていて、分かっています。
中には、「アイ アム ハングリー」と言ってくる
大人も居ます。テラの会は、食料は大人には
支援しません。
多くの子は、教会やコンビニの前に、たむろしています。
物乞いしやすいからです。
昨日は、マクドナルドのハンバーガーを食べさせました。
彼らにとって、かなり高価な食べ物です。マクドナルドの
店員も、店にいる大人たちもその「行為」を微笑んでみています。
酷く汚れた破れたTシャツに、裸足、幾日シャワーを浴びていないのか、
臭いのする身体
足が熱い・・・と言います。
その話を聞いていたとき、娘が子供の靴のお古をビニール袋に
沢山入れて持ってきました。
あ~電話で、言葉は交わせるけれど、この靴は渡せない・・・
もどかしさを感じました。
彼らの未来はけして明るいとは言えないでしょう。
テラの会は、出会った子供達に
たった一回の行為だけれど、人生の中にこういう事
(見知らぬ国の大人が、食べ物をくれた)もあるのだと
覚えていて欲しい・・・と、願っています。
子供達は明日の食べ物はいらないのです。
今の空腹を満たすと、それ以上欲しがりません。
子供達にとって、明日は明日なのです。
セブシティーの貧しい人々の住む一角にある
教会で、献金を呼びかける旗が靡いています。
誰に献金せよというのでしょうか?
セブシティーには横浜から、支援金が送られています。
一体そのお金はどこで、どのように使われているのでしょうか?
一般人は聞いても知りません。
のっけから、お金の話です。
「国際ボランティア テラの会」の目的
① 戦没者の追悼慰霊
② 追悼慰霊地近郊の貧民街における、ストリートチルドレンや孤児達への
食糧支援・衣服支援・その他
この活動は8年目になります。前回、寄付の事を少し書きましたが、
今のところ、テラの会のメンバーの持ち出しが殆どです。
寄付頂いたお金は確実に、支援に使われています。
何の縁か分かりませんが、ここまで、私も良く続けてこられたと
思っています。しかし、限界に近づいています。
この活動を通して、多くの事を学ぶ事ができました。
世の中のからくり、世界のからくり、宗教と言うものの事、
そして、戦争の事、お金の事、自分が、知らないことだらけで
あったこと。
今でも、知らないことだらけであること・・・・。
初めは、戦没者追悼慰霊なんてして・・・と、思っていました。
物を捨てきれない性分で、衣服支援は是非したいと思いました。
テレビでつぶらな瞳から涙をこぼす黒人の赤ちゃんを見て、なんとかして
あげたくても、寄付する気になりませんでした。
確かに、助かっている子供達もいるのでしょうが、みんなが寄付したお金が
本当にきちんと使われているのか、確かめる術もなく、着服などの
情報も伝わってきました。
きちんとした、NPOの団体もあるのでしょうが、そうでない団体も沢山
あるのに、公の機関は、NPOでないと、認めません。
一般の日本人の意識は、豊かになりすぎて、感謝の気持ちが
薄れてきていました。だから、ボランティアへの関心も薄いと
思いました。
日本人の性分で、何かの流行のように「東北大震災」ばかりを
高らかにマスメディアは謳いあげますが、
それでも、日本は豊かです。
同じアジア人でありながら、貧しい上に、洪水や津波震災を
受けた、もっと弱くて力の無い人々は主張する気力もなく、
かろうじて生きています。
日本は貧富の差が広がったと、言いますが、他のアジア諸国は
そんな状態ではありません。
一介の歌手である私に出来る事を続けたいと、今までやってきました
・・・・が、最近「地獄」という二文字が、心に浮かんできます。
人から、奪うことばかりを考えている人があまりに多いからです。
自分のことしか、考えられない人があまりに多いからです。
自分が、幸せを感じられなければ、人に幸せを感じて貰う事は
出来ないでしょう・・・・・
「国際ボランティア テラの会」の目的
① 戦没者の追悼慰霊
② 追悼慰霊地近郊の貧民街における、ストリートチルドレンや孤児達への
食糧支援・衣服支援・その他
この活動は8年目になります。前回、寄付の事を少し書きましたが、
今のところ、テラの会のメンバーの持ち出しが殆どです。
寄付頂いたお金は確実に、支援に使われています。
何の縁か分かりませんが、ここまで、私も良く続けてこられたと
思っています。しかし、限界に近づいています。
この活動を通して、多くの事を学ぶ事ができました。
世の中のからくり、世界のからくり、宗教と言うものの事、
そして、戦争の事、お金の事、自分が、知らないことだらけで
あったこと。
今でも、知らないことだらけであること・・・・。
初めは、戦没者追悼慰霊なんてして・・・と、思っていました。
物を捨てきれない性分で、衣服支援は是非したいと思いました。
テレビでつぶらな瞳から涙をこぼす黒人の赤ちゃんを見て、なんとかして
あげたくても、寄付する気になりませんでした。
確かに、助かっている子供達もいるのでしょうが、みんなが寄付したお金が
本当にきちんと使われているのか、確かめる術もなく、着服などの
情報も伝わってきました。
きちんとした、NPOの団体もあるのでしょうが、そうでない団体も沢山
あるのに、公の機関は、NPOでないと、認めません。
一般の日本人の意識は、豊かになりすぎて、感謝の気持ちが
薄れてきていました。だから、ボランティアへの関心も薄いと
思いました。
日本人の性分で、何かの流行のように「東北大震災」ばかりを
高らかにマスメディアは謳いあげますが、
それでも、日本は豊かです。
同じアジア人でありながら、貧しい上に、洪水や津波震災を
受けた、もっと弱くて力の無い人々は主張する気力もなく、
かろうじて生きています。
日本は貧富の差が広がったと、言いますが、他のアジア諸国は
そんな状態ではありません。
一介の歌手である私に出来る事を続けたいと、今までやってきました
・・・・が、最近「地獄」という二文字が、心に浮かんできます。
人から、奪うことばかりを考えている人があまりに多いからです。
自分のことしか、考えられない人があまりに多いからです。
自分が、幸せを感じられなければ、人に幸せを感じて貰う事は
出来ないでしょう・・・・・
今回の、「国際ボランティア テラの会」 フィリピンの旅は、
ミンダナオ島のカガヤン・デ・オロに、始まり、ダバオそして、
セブ島のセブシティーへと、移りました。
セブ州は、セブ島・マクタン島・バンタヤン島などの大小167の島を
含みます。そのセブ州の州都がセブシティーです。
フィリピンのセブ島は、1521年のスペイン王の命令で東方の地に植民地を求めた
ポルトガル人のマゼランに発見されたことにより歴史の表舞台に登場します。
その当時の、ラジ領主である、ラジャ・フマボンを懐柔して、その一族に、
キリスト教の洗礼を受けさせ、布教により植民地化しようとしましたが、
マゼランに従わないマクタン島の領主ラプラプが、最後まで抵抗し
マゼランは討ち死にしました。
ラプラプは今でも、民族の誇りとして崇められています。
その時は、植民地化を免れましたが、その後、
再びスペイン人の侵略により植民地化が進み、
1565年から、スペインの植民地となりました。
この後、フィリピンの多くがカトリック信者となります。
1898年 スペインから独立。
しかし翌年のパリ条約で
米国の支配下におかれます。
第二次世界大戦中、1942年日本が入国・・・
しかし、1945年敗退。
フィリピンは戦争の歴史の混乱の中で、
米港の強い影響の下に、
1946年、再び、独立しました。
「テラの会」は、マゼランが最初に入植した
セブ島の中のセブシティーにいます。
常の事ですが、「テラの会」
観光の為に来ているわけではないので
削れる費用は全て削ります。
だから、例えば会の中でたった一人の
女性である私は、付いて行くために
却ってご迷惑をおかけする事になる・・
これは、男尊女卑とかいう問題では
ありません。部屋も、必ず一人でも一室
必要ですし、事故などの問題もあります。
そのような事情もあり、私が付いて行く活動は
タイと、インドネシアに限る理由の一つ
になっております。
話を戻しますが、
テラの会の場合、おおよそ、ホテルはどこの国でも、
ツィンで(大体費用は部屋単位です)日本円にして
1000~2000円と言う金額を捜します。
かなり、安く、普通の観光客はまずおりません。
その金額のホテルは現地の方の為の場合か
かなりの貧乏旅行を楽しむ人しか泊まらないでしょう。
食事は、現地の人の食べる屋台や食堂で日本円にして
一人100円から150円ほどで済ませます。
体力的に持たない場合は、2000円を超えるホテルに
宿泊の場合もありますし、私が行く場合、シャワーは
お湯が出る所とか、配慮をしてくださるようです。
これは、寄付頂いた方のお金を出来うる限り有効に
使いたいと言う気持ちもありますし、また、スラムが
近いところに建っている場合が多く、貧しい方々の
生活をじかに体験し見ることが出来るということもあります。
じかに生活を見て話を聞くことで、日本からまた他国からの
支援が国の福祉にどのように生かされているのか
間近に知ることが出来ます。その上で、衣服や学用品や
生活用品を支援できます。
セブシティーも、他の東南アジアの貧民街やスラムと同様
本当に貧しい人々へは、福祉は行き渡りません。
今回は、衣服は渡し終えましたし、5~7歳にしか見えない
10~13歳ぐらいの栄養失調の子が沢山いました。
テラの会は、食糧支援が必要ということで、活動をしました。
ミンダナオ島のカガヤン・デ・オロに、始まり、ダバオそして、
セブ島のセブシティーへと、移りました。
セブ州は、セブ島・マクタン島・バンタヤン島などの大小167の島を
含みます。そのセブ州の州都がセブシティーです。
フィリピンのセブ島は、1521年のスペイン王の命令で東方の地に植民地を求めた
ポルトガル人のマゼランに発見されたことにより歴史の表舞台に登場します。
その当時の、ラジ領主である、ラジャ・フマボンを懐柔して、その一族に、
キリスト教の洗礼を受けさせ、布教により植民地化しようとしましたが、
マゼランに従わないマクタン島の領主ラプラプが、最後まで抵抗し
マゼランは討ち死にしました。
ラプラプは今でも、民族の誇りとして崇められています。
その時は、植民地化を免れましたが、その後、
再びスペイン人の侵略により植民地化が進み、
1565年から、スペインの植民地となりました。
この後、フィリピンの多くがカトリック信者となります。
1898年 スペインから独立。
しかし翌年のパリ条約で
米国の支配下におかれます。
第二次世界大戦中、1942年日本が入国・・・
しかし、1945年敗退。
フィリピンは戦争の歴史の混乱の中で、
米港の強い影響の下に、
1946年、再び、独立しました。
「テラの会」は、マゼランが最初に入植した
セブ島の中のセブシティーにいます。
常の事ですが、「テラの会」
観光の為に来ているわけではないので
削れる費用は全て削ります。
だから、例えば会の中でたった一人の
女性である私は、付いて行くために
却ってご迷惑をおかけする事になる・・
これは、男尊女卑とかいう問題では
ありません。部屋も、必ず一人でも一室
必要ですし、事故などの問題もあります。
そのような事情もあり、私が付いて行く活動は
タイと、インドネシアに限る理由の一つ
になっております。
話を戻しますが、
テラの会の場合、おおよそ、ホテルはどこの国でも、
ツィンで(大体費用は部屋単位です)日本円にして
1000~2000円と言う金額を捜します。
かなり、安く、普通の観光客はまずおりません。
その金額のホテルは現地の方の為の場合か
かなりの貧乏旅行を楽しむ人しか泊まらないでしょう。
食事は、現地の人の食べる屋台や食堂で日本円にして
一人100円から150円ほどで済ませます。
体力的に持たない場合は、2000円を超えるホテルに
宿泊の場合もありますし、私が行く場合、シャワーは
お湯が出る所とか、配慮をしてくださるようです。
これは、寄付頂いた方のお金を出来うる限り有効に
使いたいと言う気持ちもありますし、また、スラムが
近いところに建っている場合が多く、貧しい方々の
生活をじかに体験し見ることが出来るということもあります。
じかに生活を見て話を聞くことで、日本からまた他国からの
支援が国の福祉にどのように生かされているのか
間近に知ることが出来ます。その上で、衣服や学用品や
生活用品を支援できます。
セブシティーも、他の東南アジアの貧民街やスラムと同様
本当に貧しい人々へは、福祉は行き渡りません。
今回は、衣服は渡し終えましたし、5~7歳にしか見えない
10~13歳ぐらいの栄養失調の子が沢山いました。
テラの会は、食糧支援が必要ということで、活動をしました。