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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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何度もあちこちに、書いていますが、私が、

所謂、人生の絶望・どん底に突き落とされた時、

私は、一人でした。


私は、いつ起きていたのか、いつ寝ていたのか

それさえも記憶にありません。

子供が二人いたので、かろうじて、習慣的に

食事の用意はしていたのでしょう。

後は、殆ど、横になっていました。


トイレに行くのも、嫌でしたが、ぎりぎりまで我慢して

這うようにトイレに行きました。

音楽教師の仕事と、合唱の指導はかろうじて

やっていました。


あるとき、私は、ヤマハの楽譜売り場にいて、

「藤岡宣男」と言う歌手のリサイタルチラシを

見つけました。


叫ぶソプラノが嫌いで、カウンターテノールは

ファルセットなので、叫べないから、良いかも・・・

選曲が私好みだから良いかも・・・・

まだ、有名でないから、なお良いかも・・・


有名で、チケット代が高く、聴きに行くと

人が一杯で、チラシの謳い文句より、

数段劣る音楽で、疲れる・・・そんなコンサート

ばかりでした。



私は、私だけの歌い手を見つけたかったのです。

私好みの声や音楽性で、長くコンサートに通い、

その歌手の様々な魅力を堪能できる味わい深い歌手・・・

逆に言えば、様々な魅力を

提供できる人・・・そんな、私だけの歌手を、近場で

前から、見つけたかったのです。


そして、カウンターテノール歌手 藤岡宣男は

私の期待通りの歌手でした。

カウンターテノールは、西洋音楽の中では出番があまりありません。

中世からバロックにほぼ限られます。


なので、カウンターテノールと言う、言葉さえ知らない人もいます。

藤岡宣男は、一人の「歌い手」であり、偶々カウンターテノールであった

と言う、稀有な存在でした。


カウンターテノールは、声種であり、音楽がそれによって限定される

ものではありません。藤岡宣男は、現に、見事な昭和歌謡・日本歌曲・

勿論、バロック期の音楽、得意な英語を生かしたアメリカンポップス、

古典イギリスのリュートソング、ドイツリートを歌いました。


彼の歌手としての人生は短かった。

その間に人の30年分の仕事をしました。

それも、非常にレベルの高いものです。


彼の声は、みな美しい、といいました。

しかし、もっと、私が魅かれたのは

単に美しいだけではなかったからです。



歌声の美しい人は沢山居ます。

この事を私は初めて書くのですが、

彼の声は、ある次元に行き着く

ゆらぎを持っていました。


CDでは、周波数が圧縮されて

人の耳に聞こえない部分がカットされるので、

生で彼の声を聞いた人しか感じられないし、

聞く側の耳のレベルまでしか聞こえません。


聞く人の耳のレベルが低い場合、

藤岡宣男の声は単に「美しい」に留まりますが、

人によって・・・それは、音楽を勉強している人とは

限らない・・・寧ろ、音楽の練習をしすぎて、耳が

鈍磨する人も多々いますから・・・

藤岡宣男の声の揺らぎ=響きは、聞くものの耳だけでなく

肌を通し、体を通し、そして、心、魂まで届いて

何かを与えました。

女性は霊的感能力が優れているので、

生理が始まったり、更年期が落ち着いたり

していました。



何より、私は、藤岡宣男の歌声で、人生が

変わったのですから、大変不思議なことであるし、

私自身が、それを、解き明かしたい気持ちに

駆られるのです。


正直言うと音楽療法なんていう、ざっくりした

ものでは、人間の感性は癒されません。

個人個人で、繊細に違うのです。

モーツァルトを聞いた赤ちゃんが、全員頭の良い

子に育つなんて、馬鹿げています。

胎教は、何より、母親がリラックスする音楽に

限ります。

母親が、聴いた事も無いクラシックを聞いて

いらいらするぐらいなら、他のリラックスできる

音楽を聞いたほうが良いのです。


そういう意味で、藤岡宣男の歌声は

私個人にとって、非常に大切なものでした。


私は、今、歌手として活動していますが、

辻 友子の歌声に魅力を感じて、そして、

今度は、何をするのかな・・・と言う

楽しみを持って聴きに来て頂くのが

「理想」です。

でも、しぶしぶ、付き合いでいらしたとしても

「楽しかった」「聴きに来て良かった」と最後は、感じて

帰っていただけると、思います。


音楽は生ものですから、お寿司の仕入れのように

その日によって、「感動」が変わります。


その日の天気もあるでしょう。

その日のお客様の体調もあるでしょう。

そして、私の体調もあるでしょう。


だから、面白いのではないでしょうか・・・

コンサートに粗捜しをしにくるなんて

人はいないでしょうが・・・

だって、音楽は楽しむものであり、

人生の糧となるものですから・・・


だから、どうぞ、一回だけでなく、、最低三回は聴きに

来て頂けたらと存じます。

音楽は瞬間芸術、その日その時間、その日のお客様との

思い出作りです。


どうぞ、「辻 友子」と、豊かなひとときを過ごしに

いらしてくださいね・・・・











拍手[1回]

私のような無教養な、分際で、こんなだいそれた

テーマを論ずるつもりは毛頭ない・・・けれど、


ふと、今日、感じてしまったことを書いてみたいと思います。

今から書くことを理解する方は、いらっしゃらないかもしれないし、

また、共感も出来ないかもしれないけれど、書かずにはいられない・・・



それは、車を運転している時に、ふとやってきました。

「私は、同じことを繰り返して生きている。」

と言う事でした。

自分では少しは進化?したつもりでも

同じ事を繰り返している。


その事は、頭では分かっていました。

今日は、それを思いっきり体感したのです。

その次に私を襲った感情は、

あまりに切なく、悲しく、そして・・・あまりに「あはれ」でした。

自分と言う存在の「あはれ」さに、

私は、がっくりと肩を落としました。


「あはれ」・・・ほかに、言葉が見つかりません。

私は、あまりに「あはれ」でした。


そして、それは、人・・いや、人間が在る・・・と言う

その現象自体が、あまりに「あはれ」でした。


人の心も、様々な思いも、行為も、存在も、すべてが

「あはれ」に尽きます。


もののあはれ・・・・と言う事を、

私はそう感じたのでした。

「人が生きる」事そのものが、「あはれ」に尽きます。


哀れ・・ではありません。

あ・は・れ・・・・なのです。

そして、それを突き詰めていけば、仏教の「慈悲」かも

しれないし、禅で言う「無」かもしれない・・・

そんな、大それた言葉でなくても、

毎日、毎日、畑で働く農家の人々や

暗いうちから、船を出す漁師さんたちは

みんな、無意識のうちに、分かっていることなのです。


そして、それは、最後は、適した言葉が

無教養で見つからない・・・また、ふと

見つかるかもしれない。


そしたら、またここに書きます。

恥知らずにも・・・・・


拍手[2回]

8月6日の、「万葉のこころを歌う~平和への祈り~」は

チラシには載せておりませんが、東歌の中の防人の歌からか

第20巻の防人の歌から、一首朗誦するつもりです。


防人とは、筑紫・壱岐・対馬など、北九州の防衛にあたった

兵士達の事です。

663年、白村江(はくすきのえ)の戦いで、負けたために

防衛の為に置かれました。

その当時ま、船で北九州までいける人はかなり裕福、馬で行ったり

徒歩で行ったり、だから、途中で行き倒れる兵士もいたのです。

更に、帰りは自費のため、中々帰ることも出来ず、そのまま、

死んでしまう人たちも多く居たのです。


だから、防人たちは、家を離れる時は今生の別れのつもりで

旅立ったのです。

コンサートまで、「万葉たまゆら」に防人の歌を載せています。

参考までにお読み頂けたら幸いです。

拍手[1回]

昨日、日本の伝統の事を書いたけれど、

衣ならば、やはり、着物と言うことに

なるだろう。


私の母親は、着物は大嫌い。

とても、センスがあり、おしゃれさんだったが、

もっぱら、洋服ばかりで、私は着物に親しむ

環境ではなかった。


にも、関わらず、茶道に興味を持ち、結婚間もない、

お給料の中から、自分も働きながら茶道に通うのが

楽しくてならなかった。


たまたま、そのとき、少し組みひもを習った。

単純でも、緊張する作業に打ち込むのが、

とても楽しく充実した時間だった。

美しい絹の糸を、手で糸を組んで行くうちに

帯締めになる・・・勿論、初心者も初心者だったが、

絹の糸が、組まれて美しい、帯締めになって行く様は

魅力的だった。


多分、環境に絹の糸を織るという、要素があったら、

私は、機織になっていたと思う。


着物は、お嫁入り前のお稽古で習ったが、

人様の前で身に着けることはなかった。


今こそ、当たり前のように自分で着物を着付けて

舞台に立つが、これも、木村氏が教えていた

着物の着付け教室で、人形になって、盗み覚えた

ものである(先生には申しわけないけれど・・・)


習うより、慣れろ・・とはよく言ったもので、

舞台で最初は、木村先生に着付けてもらって

いたのが、いつの間にか、なんとなく自分で着る様に

なり、最近は、時々帯の直しや、飾り帯の時だけ

お手伝い頂くようになった。


着物を着ると、気持ちがしゃんとして、日本女性で

あることを、誇らしく思う。やはり、民族衣装は素晴らしい。


着物は買う費用も、維持する費用も、洋服とは

比べ物にならないぐらいに、高い。

私の場合運よく、京着物を扱っている叔母のお陰で、

自分では絶対に購入できないような、

素晴らしい着物を着させてもらっている。

有りがたい事だと思う。

叔母は、着物も喜ぶから、と言って

惜しげもなく、貸してくれる。


初めは浴衣でもいいし、家に眠っている

おばあさまや、おかあさまのものでも良いから、

「勇気」を出して、見よう見真似で、着て

街に出歩いて欲しい。



私のコンサートも、実は、お客様に着物で

聴きに着ていただけたら、本当に嬉しい。


その「行為」も、日本の伝統を伝える「行為」の

一つになるからだ。

拍手[2回]

このままでは、「日本」と言う国が

滅んでしまうのではないか・・・・

と、考えたり感じたりしているのは、

何も、一部のマスコミ関係者や

一部の政治家や一部の識者だけでは

ないだろう・・・


歌手で、妻で、母で、主婦で、女で、

ある私だって、日々痛切に感じている。

しかし、時代の流れや流行に押され

てしまう・・・分かってはいても・・・

感じてはいても・・・・


でも、出来る事もある。

例えば、食・・・主婦であれば、何か一つ

日本の伝統食を、守る・・と言うのはどうだろう。

忙しくストレスが多く、経済も不安な現代でも、

何か漬物一つは作る。お出汁は、レトルトにしない。

お味噌だけは作る。うどんの麺を手作りにする。

ゴマは、必ず、炒ってすり鉢でする。梅干しは作る。


全部手抜きをしないで、「ママはこれだけは、昔ながらの

日本食として作っている」と言う、ものを何か一つ持つ。


日本人は今右往左往している。

どこに、自分のルーツを置いていいのか解らないでいる。

アメリカさん、他、大東亜戦争勝利国さん、ありがとう!!

お陰様で、日本は、日本人になれない日本人がうようよ

する国に成長??致しました。


私もその一人だった。でも、今は、違う。

万葉集と出会い、「歌う」ことで、日本人の心を伝えている。

国際ボランティア テラの会の代表を務めさせていただき、

「手渡し衣服支援」で、日本の心をアジアの子供たちに

伝えている。勿論、国内でも・・・


そして、日本が、現代の日本に至った原因となった

、大東亜戦争の戦没者の追悼慰霊をし、その歴史や

手記を読み、亡くなった方の追悼をする事で、

日本という国の歴史や、日本人の心を、改めて

行為と共に考えさせられ、感じている。

そうして、私は日本人であることを今、誇りに

思っている。日本の民族衣装を身に付けて、

大和言葉の万葉集を歌う・・・なんと、光栄なことであろうか・・・

感謝の気持ちでいっぱいである。


日本、万歳!!日本人、万歳!!

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