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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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いつもの顔ぶれが、集まり

静かに、七年祭が始まりました。

・・・・七年・・・・そう、あれから

七年が経ったのか・・・月並みだけれど

時間の経過の早さに、愕然とします。


相変わらず、この日だけは食欲旺盛な

私は、いつも食べ過ぎて、胃腸薬を飲みます。

藤岡さんも、笑っているでしょう・・・

いいえ・・・もう、光になって遠い遠い所で

私たちを包んでくれているでしょう。


特別に何か会話をしなくても、互いに通じる

心と心・・・藤岡さんを通して私たちの心は

一つになります。

藤岡さん、ありがとう。


さて、昨夜のサプライズは、藤岡さんの命日と

同じ私の誕生日を祝っていただいたことでした。

年を重ねるのが、嬉しい年齢ではもうありませんが、

みなさんの心が嬉しい・・・

「辻さん、フィリピンではね、自分の誕生日に

自分からみんなにプレゼントするんだよ」と

教えていただきました。

なんて理にかなったお話でしょう。

ここまで、みなさんのおかげで、なんとか

生きてこられました。

ありがとうございます。

そうですよね・・・来年からは、チョコでも

お渡しいたします・・・楽しみが一つ

増えました。


ありがとう、ありがとう、みんなに、ありがとう

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★ わがきみの みくるまにそふ あきかわの

    せおとをきよみ  ともなはれゆく


                皇太子妃美智子様御歌「音」


・・・・・さまざまな事柄に関し、携わる人々とともに考え、

よい方向を求めていくとともに、国民の叡智がよい判断を

下し、人々の意思がよきことを志向するよう常に祈り続けて

いらっしゃる陛下のおそばで、私もすべてがあるべき姿に

あるよう祈りつつ、自分の分を果たして行きたいと考えて

います。

          皇后陛下お言葉集「歩み」より

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インドネシアでも、バリ島はと言うよりは

インドネシアでは私はバリ島しか行ったことが無いの

ですが、その中の懐かしい思い出に

サヌールでの追悼慰霊と衣服支援活動があります。

クタとは違い田舎のサヌール、なんだか

人も少ない、店も少ない、懐かしい佇まいでした。


私たち「テラの会一行」の活動は、

リゾート地域には 行かないので、

現地のありのままの生活や

人々の様子を見聞きできる、

貴重な旅でもあります。


さて、そこでひとまず

宿泊するゲストハウスに行きました。

そこは珍しい事に、ポーランド人の

女性が主でした。

無愛想でもないけれど、丁寧でもない

出迎えを受け、

ひとまず、休憩の後、食事と共に

町の下調べに行きます。

今後の活動予定を立てるためです。


とにかく、東南アジアの貧しい地域は

行ってみないと全てわかりません。

用意ししつらえてある活動ではなく

自分たちの力でするのみです。


実は「テラの会」のメンバーの間で

(ややさん)という人物??が

話題に上っていました。我々が、衣服支援

などをしていると「ややさんですか?」と、何度も

聞かれるからです。

一体(ややさん)なる人物は、女性なのか男性なのか

どんな人なのだろう?と、我々は(ややさん)探しも

兼ねて、町の下調べに行きました。

店先で訪ねても、両手を広げて「しらないわぁ~」と

言われるばかり・・・違った、言ってる様に聞こえるばかりです。


吃驚したのは、偶々学校の帰りに出逢った中学生ぐらいの

子供たち、我々を見て、「こんにちは」と日本語で挨拶するのです。

知らなかった・・・インドネシアのバリ島のサヌールの学校で

日本語を教えているなんて・・・・

いまどき、知らないおじさんとおばさんに、「こんにちは」などと

日本の子は挨拶しません。君たち、サヌールの学生を

見習いなさい!!

よもや、インドネシアのバリ島のサヌールで、

沢山の学生たちに「こんにちは」と声を掛けられるとは・・

思いもかけない歓迎??に、嬉しくなってしまいました。


日本って、インドネシアに意外に好かれてるんだなぁ・・

夕飯はゲストハウスで、ちっちゃなプールのある

ガーデンで、寛いでいると、

主のポーランド人の女性がやってきました。

あちらの女性ですから、堂々とした態度ではあるものの

浴衣と着物姿の日本人に興味を抱いたのでしょうか?

「あなたがた~何しにサヌールにいらしたの~」

「私たちは~戦没者の追悼慰霊と衣服支援にきましたぁ~」

なんて、雰囲気で会話した記憶があります。

ポーランドと言ったら、chopin

私は水を得た魚のように、

「わたしの~むすめは~ピアニスト~

ショパン大好きね~」と、話しかけました。

「おう、ショパンね・・・」

彼女は特別クラシックが好きなわけではなさそうで

話は、あまり盛り上がりませんでした・・・・・

ではなくて、語学力が不足していました。

まぁ、兎に角、そんなこんなで、夜が明けて

早々と我々は、ビーチまで戦没者追悼慰霊に

出かけました。私の役目は、国旗を持つこと・・・

テラの会の活動履歴のバリ島のサヌールの所で

見ていただくと判りますが、国旗を持った私の顔の

嬉しそうなこと・・・だって、日本でこんなことしたら

頭のおかしいおばさんって、思われてしまうもの。

理屈ではなく、国旗大好きな私は、嬉々として

思う存分、国旗を上げたり下げたり、横にしたり

木村氏が追悼慰霊のお祈りをなさっておられる間

、お役目をなんとか無事に果たしました。


不謹慎と思いますか?

私はそうは思いません。

「懐かしいあなた方の母国の国旗ですよ、

 本当に、ご苦労様でした」






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浜離宮恩賜公園の三百年松を、真ん前にぼけーっっと

眺めて、心密かに「あんたは偉い!!」などとつぶやきつつ、

近くの小店で、トコロテンを食した。久しぶりの事です。


そういえば、福岡には「おきゅうと」と言う、トコロテンを濃厚な

味にしたような食べ物がありました。


少しむっとするような風に髪をなびかせながら、

都会の真ん中の公園で、ぼんやりと佇んでおりました。

そろそろかな・・・浜離宮朝日ホールで、雪村いづみさんの

コンサートです。


私の世代では、知らない方も多くいるかもしれない。

雪村さんの何の曲か知らないけれど、

小学生の頃、田舎の祖母の所に行くのに、

舗装もされていない道路を一時間半ほども

揺られて、それでも、祖母や祖父に会えるのが

楽しみに思いながら、タクシーの中で退屈していました。


タクシーのラジオから、語りのような歌のような・・・・

名前も知らない、その歌手の世界に

引き込まれていった小学生の私は

いつしか涙していました。


声そのものは、あまり好きなほうではなかったけれど、

何かが伝わってきたのでしょうか・・・・「この女の人

名前なんて言うの?」と、母に聞きました。

「雪村いづみって言うのよ」


それ以来、テレビで何度かお目にかかりましたが

特別の感慨もなく、画面を眺めていました。


ホールで生で聞くのは初めてのことです。

朝比奈マリアさんという娘さんが司会。

小さなホールに本当にシンプルな舞台・・・

そこに、小柄な華奢なおばさま?が現れました。


初めは、大歌手なのに・・・・こんなシンプルで

こんなに近くでなどと、野暮なことを考えておりましたが

歌を聞くに連れ、「凄い・・・」と

思いました。


だてに何十年も歌い続けていない。

戦後の混乱の中、生活の為に歌った。

アメリカに渡り、ラスベガスで舞台を踏み

いくつもの恋をし、ただ、ひたすら

歌い続けた歌手の姿が、そこにはありました。


良いものを聴かせて頂きました。

ありがとう!!雪村いづみさん!!





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階段を 上って下りて 日が暮れる

             緒粗 末子

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