×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
PR
米倉亮子が日本人では半世紀ぶりと言う、
(私は初めてだとばかり思っていたが・・・ナンシー何とかという人が
初めてらしい・・・)
ブロードウェイの舞台の、主役に抜擢・・・
はらはらどきどきしながら、観た。
私もシカゴは映画で観て、とても大好きな
ミュージカルの一つ、しかし、日本人女性の
資質から最も程遠いのではと思える、台詞や
ダンス、振り付け、
そして、全てアメリカンイングリッシュ・・・
細かいことをチェックすればきりが無い・・・とにかく、
何を言おうと、
彼女は、観客ではなく、あの並みいる才能を持つ
ブロードウェイのダンサーたちの一人となったのだ。
そして、観客の喝采を、ブロードウェイの舞台人の
一人として浴びたのだ。本当に、凄いことだと思う。
ハードな日々を送ったのだろう。かなり身体が締まって
いた。どちらかというと、日本人の中では、体格の良い
彼女もあのメンバーの中では、とても華奢に見える。
二入隣に、江角マキコが、座っていた。テレビで見るとおり
至極、シンプルでラフな格好、気付かない人が多かった。
素敵な女性だ。
日本女性頑張って!!と、言いたくなった。
オリンピックだけじゃないのだ・・・ワールドクラスは・・
(私は初めてだとばかり思っていたが・・・ナンシー何とかという人が
初めてらしい・・・)
ブロードウェイの舞台の、主役に抜擢・・・
はらはらどきどきしながら、観た。
私もシカゴは映画で観て、とても大好きな
ミュージカルの一つ、しかし、日本人女性の
資質から最も程遠いのではと思える、台詞や
ダンス、振り付け、
そして、全てアメリカンイングリッシュ・・・
細かいことをチェックすればきりが無い・・・とにかく、
何を言おうと、
彼女は、観客ではなく、あの並みいる才能を持つ
ブロードウェイのダンサーたちの一人となったのだ。
そして、観客の喝采を、ブロードウェイの舞台人の
一人として浴びたのだ。本当に、凄いことだと思う。
ハードな日々を送ったのだろう。かなり身体が締まって
いた。どちらかというと、日本人の中では、体格の良い
彼女もあのメンバーの中では、とても華奢に見える。
二入隣に、江角マキコが、座っていた。テレビで見るとおり
至極、シンプルでラフな格好、気付かない人が多かった。
素敵な女性だ。
日本女性頑張って!!と、言いたくなった。
オリンピックだけじゃないのだ・・・ワールドクラスは・・
斉藤凡太さん、
13歳で素潜りをする漁師となり、86歳の今も
潜っている。
戦時中は、特攻の船に乗っていた。
★ 海草に 日を入れ直し 夏惜しむ
新潟県、出雲崎で、磯見漁師と言えば
小船に一人乗って、サザエ・牡蠣・鮑・海藻を取り、
刺網で、磯魚を取る。
50歳くらいの時は、15メートルと潜れるが、
今は、3メートル・・・それでも、身体の続く限り
漁をする。
二人三脚で漁をしてきたカカアが死に一人ぼっちに・・・
それで、無学でも俳句を詠んで心をまぎらわしてきた。
★ 間引菜や 妻も間引かれ 石の下
本名は房太郎。俳号は凡太。
★ 月上る レイテの海も 照らすかや
戦争中の特攻は飛行機だけでなくボートでも行われた。
火薬を積んで敵艦に体当たりする。私は、フィリピンの
レイテ島で、作戦助手のようなことをしていた。漁師だから
船の扱い方や潮の事がわかるだろうというわけだった。
つらかった。米軍機の餌食になるばかり。死ぬも生きるも
人生は運だ。
★ 花を待つ 追伸多き 戦友(とも)の文
俳句をやっていると、気持ちがおおらかになる。
★ 大夕焼け 不平不満も 消えにけり
(日経新聞 8月30日 朝刊より)
13歳で素潜りをする漁師となり、86歳の今も
潜っている。
戦時中は、特攻の船に乗っていた。
★ 海草に 日を入れ直し 夏惜しむ
新潟県、出雲崎で、磯見漁師と言えば
小船に一人乗って、サザエ・牡蠣・鮑・海藻を取り、
刺網で、磯魚を取る。
50歳くらいの時は、15メートルと潜れるが、
今は、3メートル・・・それでも、身体の続く限り
漁をする。
二人三脚で漁をしてきたカカアが死に一人ぼっちに・・・
それで、無学でも俳句を詠んで心をまぎらわしてきた。
★ 間引菜や 妻も間引かれ 石の下
本名は房太郎。俳号は凡太。
★ 月上る レイテの海も 照らすかや
戦争中の特攻は飛行機だけでなくボートでも行われた。
火薬を積んで敵艦に体当たりする。私は、フィリピンの
レイテ島で、作戦助手のようなことをしていた。漁師だから
船の扱い方や潮の事がわかるだろうというわけだった。
つらかった。米軍機の餌食になるばかり。死ぬも生きるも
人生は運だ。
★ 花を待つ 追伸多き 戦友(とも)の文
俳句をやっていると、気持ちがおおらかになる。
★ 大夕焼け 不平不満も 消えにけり
(日経新聞 8月30日 朝刊より)
今日は、藤岡さんの歌声に出会って、10年を経ち、
その死から、もうすぐ7年を迎えようとしている。
時々、訪ねる一人この世に残された藤岡さんのお母様・・
グループホームから、特別養護老人ホームへと移され、
静かに暮らしている。
身体を動かすことも、ままならず、良くしゃべる事も
出来なくなってしまった。
身内と絶縁状態で暮らしてきた藤岡母子は、
息子の死で、お母様はひとりぼっちになってしまわれた。
その後を、藤岡氏のプロデューサーである木村氏が
全て手続きをされて、無事に恙無く今まで生活されてきた。
よかったね・・・お母さん・・・呆けてしまって・・・
全てが分かったら、どれほどの絶望感か計り知れない。
木村氏と二人で行くと、なんとなく判るのか、一生懸命手や足や口を
動かそうとされる。
私は不謹慎だけれど、「もう少しで、
貴女の大切な宣男ちゃんと会えますよ」と心で話しかける。
貴女の、たいせつな宣男さん・・・・あなたは、とっても小柄なのに
息子の宣男さんは、背が高くて足が長くてかっこよかったですね・・・
頭もよくて、賢い人でしたね。良い息子さんでしたね。
とっても、素敵に生き切りましたよ。見事でしたよ。
貴女は殆ど聴いていないかもしれないけれど、
素晴らしい歌を歌っていたんですよ。
それはそれは、凄い歌唱でした。
今聴いても、私は涙が溢れるんです。
そんな素晴らしい息子さんでしたよ。
もうすぐ、会えますよ・・・・と。
その死から、もうすぐ7年を迎えようとしている。
時々、訪ねる一人この世に残された藤岡さんのお母様・・
グループホームから、特別養護老人ホームへと移され、
静かに暮らしている。
身体を動かすことも、ままならず、良くしゃべる事も
出来なくなってしまった。
身内と絶縁状態で暮らしてきた藤岡母子は、
息子の死で、お母様はひとりぼっちになってしまわれた。
その後を、藤岡氏のプロデューサーである木村氏が
全て手続きをされて、無事に恙無く今まで生活されてきた。
よかったね・・・お母さん・・・呆けてしまって・・・
全てが分かったら、どれほどの絶望感か計り知れない。
木村氏と二人で行くと、なんとなく判るのか、一生懸命手や足や口を
動かそうとされる。
私は不謹慎だけれど、「もう少しで、
貴女の大切な宣男ちゃんと会えますよ」と心で話しかける。
貴女の、たいせつな宣男さん・・・・あなたは、とっても小柄なのに
息子の宣男さんは、背が高くて足が長くてかっこよかったですね・・・
頭もよくて、賢い人でしたね。良い息子さんでしたね。
とっても、素敵に生き切りましたよ。見事でしたよ。
貴女は殆ど聴いていないかもしれないけれど、
素晴らしい歌を歌っていたんですよ。
それはそれは、凄い歌唱でした。
今聴いても、私は涙が溢れるんです。
そんな素晴らしい息子さんでしたよ。
もうすぐ、会えますよ・・・・と。
ザンビアのゴッドフリー・シマシク元駐日大使から、
現地の子供たちがはだしで走り回り、破傷風などに
感染して死亡するケースが相次いでいることを
そごう横浜の内田店長が知らされ、そごう、西武の
全26店舗で2009年9月から、買い物客の不要になった
子供靴を割引券と交換して下取りし、アフリカに贈る
「子供靴下取りキャンペーン」をスタート。
これまでに公益財団法人「ジョイセフ」の仲介で
計約8万5千足をアフリカ諸国に贈った。
関東学院小学校
六浦小学校
両校で、来年6月に横浜市で
「アフリカ開発会議」が開催されるのを受け
アフリカに少しでも貢献しようと、7月中旬から
在校生に呼びかけ、スニーカーやサンダルなど
334足を集めた。
靴は、そごう・西武の全店舗で集まった
2万5千足と一緒に、9月に横浜港から
出荷され、クリスマス直前の12月に現地の
子供たちに届けられる予定という。
読売新聞 (8月28日朝刊より)
「国際ボランティアテラの会」の活動は今年で
7年目となる。
戦没者追悼慰霊から、たまたまインドネシアのバリ島のウブドの
村の人々から、持っていた衣類やタオルを大変喜ばれ、追悼慰霊
と共に、衣服支援・食糧支援・学用品支援・タオル支援などが
始まった。
全国(代表が札幌のメディアで活躍していた関係上
北海道からの古着・・・が一番多かった)からの衣類や学用品や
タオルや靴も贈られて来た。
テラの会としては、出来うる限り、受け取って
いたのだが、三つの倉庫が満杯になり、
99パーセントは、「テラの会」の自腹で活動
していたので、経済的に底を付いてしまった。
その為、やむなく今は寄付を募っているが、
有名でもない「テラの会」に
寄付する人は、中々現れない。
テラの会のホームページを読んで、見て、もらえたらなぁと
思う。
さて、上記の活動は、素晴らしいと思う。靴に留まらず
「テラの会」が訪ねた様々なアジアの国も、スラムの人々も
子供ははだし、服も着ていない子、ノート一冊も無い子
など、沢山いた。いっぱいいっぱい、持っていきたくても
お金も人手もかかる。こういう取り組みが全国のあらゆる
デパートでも、スーパーでも行われて欲しい。
残念なのは、割引券を貰えるから、靴を持っていった、
と言う、母親たちの心である。
もう履かないのに、それでも割引券につられると言う
話は、なんとなく心さびしい。
けれど、それにしても、はだしのアフリカの子供たちに
2万5千足の靴が、クリスマスプレゼントとして贈られると
思うと、嬉しい・・・とても嬉しい。
我々「テラの会」が訪ねたいくつものアジアの諸国の
スラムや、貧しい人々や子どもたちにも、
日本ではポイポイ捨てられる、新品同様の様々な
衣類や靴、タオルなどが、沢山沢山、贈られるように、
祈るばかりです。
現地の子供たちがはだしで走り回り、破傷風などに
感染して死亡するケースが相次いでいることを
そごう横浜の内田店長が知らされ、そごう、西武の
全26店舗で2009年9月から、買い物客の不要になった
子供靴を割引券と交換して下取りし、アフリカに贈る
「子供靴下取りキャンペーン」をスタート。
これまでに公益財団法人「ジョイセフ」の仲介で
計約8万5千足をアフリカ諸国に贈った。
関東学院小学校
六浦小学校
両校で、来年6月に横浜市で
「アフリカ開発会議」が開催されるのを受け
アフリカに少しでも貢献しようと、7月中旬から
在校生に呼びかけ、スニーカーやサンダルなど
334足を集めた。
靴は、そごう・西武の全店舗で集まった
2万5千足と一緒に、9月に横浜港から
出荷され、クリスマス直前の12月に現地の
子供たちに届けられる予定という。
読売新聞 (8月28日朝刊より)
「国際ボランティアテラの会」の活動は今年で
7年目となる。
戦没者追悼慰霊から、たまたまインドネシアのバリ島のウブドの
村の人々から、持っていた衣類やタオルを大変喜ばれ、追悼慰霊
と共に、衣服支援・食糧支援・学用品支援・タオル支援などが
始まった。
全国(代表が札幌のメディアで活躍していた関係上
北海道からの古着・・・が一番多かった)からの衣類や学用品や
タオルや靴も贈られて来た。
テラの会としては、出来うる限り、受け取って
いたのだが、三つの倉庫が満杯になり、
99パーセントは、「テラの会」の自腹で活動
していたので、経済的に底を付いてしまった。
その為、やむなく今は寄付を募っているが、
有名でもない「テラの会」に
寄付する人は、中々現れない。
テラの会のホームページを読んで、見て、もらえたらなぁと
思う。
さて、上記の活動は、素晴らしいと思う。靴に留まらず
「テラの会」が訪ねた様々なアジアの国も、スラムの人々も
子供ははだし、服も着ていない子、ノート一冊も無い子
など、沢山いた。いっぱいいっぱい、持っていきたくても
お金も人手もかかる。こういう取り組みが全国のあらゆる
デパートでも、スーパーでも行われて欲しい。
残念なのは、割引券を貰えるから、靴を持っていった、
と言う、母親たちの心である。
もう履かないのに、それでも割引券につられると言う
話は、なんとなく心さびしい。
けれど、それにしても、はだしのアフリカの子供たちに
2万5千足の靴が、クリスマスプレゼントとして贈られると
思うと、嬉しい・・・とても嬉しい。
我々「テラの会」が訪ねたいくつものアジアの諸国の
スラムや、貧しい人々や子どもたちにも、
日本ではポイポイ捨てられる、新品同様の様々な
衣類や靴、タオルなどが、沢山沢山、贈られるように、
祈るばかりです。