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テラの会が、、まず、第一に行為し続けている事は
戦没者の追悼慰霊です。
衣服支援は、その活動の途中で、たまたま、持っていた
衣類を渡したときに、凄く喜ばれたことがきっかけで
、自然発生的に始まりました。
私は、何度も言うように、年に2回だけ、今のところ、インドネシア
と、タイを中心に行っております。
国内は、毎年夏に、「千鳥ヶ淵無名戦没者の碑」を訪れ
、「靖国神社参拝」に行きます。
そして、沖縄にも行きました。
千鳥ヶ淵はどこの誰か分からない、無名戦士のお骨が
35万余、保管されております。
靖国神社と違い、正直に言って、暗く重たい印象を受けます。
もっと、暗くて辛かったのは、沖縄の「白梅の塔」でした。
「ひめゆりの塔」ほど、知られていない「白梅の塔」
そこには、まるで、「たましい」が咽び泣くような
風の音が聞こえ、私は祈りながら、しゃがみこんでしまいました。
洞穴を見つけました。そこに、爆弾が投げ込まれ、みんな戦死したのです。
私は、完全な戦後世代です。この活動に関わるまで無関心とまでは
行きませんが、ここまで、深く感じることは出来ませんでした。
戦後67年、辛くて話すことの出来なかった戦争の生き残りの
方々が、これではいけない、と、語り始めています。
知らない世代の私たちも、アジアの過酷な環境の中で
戦死だけでなく、餓死や風土病や、心が壊れて亡くなられた方たちの
たましいが、安らかに、昇られますよう、祈ることを続けたいと思います。
そして、遺品の中に一番多く残されていた、本が「万葉集」であったことを
みなさに、伝え、考えて、感じてもらいたいと心から願います。
戦没者の追悼慰霊です。
衣服支援は、その活動の途中で、たまたま、持っていた
衣類を渡したときに、凄く喜ばれたことがきっかけで
、自然発生的に始まりました。
私は、何度も言うように、年に2回だけ、今のところ、インドネシア
と、タイを中心に行っております。
国内は、毎年夏に、「千鳥ヶ淵無名戦没者の碑」を訪れ
、「靖国神社参拝」に行きます。
そして、沖縄にも行きました。
千鳥ヶ淵はどこの誰か分からない、無名戦士のお骨が
35万余、保管されております。
靖国神社と違い、正直に言って、暗く重たい印象を受けます。
もっと、暗くて辛かったのは、沖縄の「白梅の塔」でした。
「ひめゆりの塔」ほど、知られていない「白梅の塔」
そこには、まるで、「たましい」が咽び泣くような
風の音が聞こえ、私は祈りながら、しゃがみこんでしまいました。
洞穴を見つけました。そこに、爆弾が投げ込まれ、みんな戦死したのです。
私は、完全な戦後世代です。この活動に関わるまで無関心とまでは
行きませんが、ここまで、深く感じることは出来ませんでした。
戦後67年、辛くて話すことの出来なかった戦争の生き残りの
方々が、これではいけない、と、語り始めています。
知らない世代の私たちも、アジアの過酷な環境の中で
戦死だけでなく、餓死や風土病や、心が壊れて亡くなられた方たちの
たましいが、安らかに、昇られますよう、祈ることを続けたいと思います。
そして、遺品の中に一番多く残されていた、本が「万葉集」であったことを
みなさに、伝え、考えて、感じてもらいたいと心から願います。
電話がかかってくる。
「もしもし、ホームページを見ました。
衣類を送りたいのですが・・・」
以前でしたら、
「ありがとうございます」と言って
全て送ってもらっていた。
ところが、保管場所が足りなくなってきた。
スタッフの、手弁当でやっているので、
経済的にもひっ迫してきた。そこで、考えた。
スタッフはボランティアって何??と言う所から
話し合い、議論を戦わせた。喧嘩もした。
最終的には、荷物+三千円を出して頂く、と言う
事になった。
そうしたいのではなく、そうしないと続けられない
からである。
スラムに住む子供たちや
大人にも、衣類を
直接、手でその人に、渡したいと思えば、
(注:これは、テラの会の基本理念)
例えば、丁寧にテラの会のホームページを見ていただければ、
また、旅日記を読んでいただければ、
前もって船便で送る費用、
我々が飛行機で行き、スラムに宿泊し
直接手渡しする為の処々の
費用が、かかることが分かるはずだと思う。
凄く詳しくホームページに、写真から旅日記から
記してある。
「テラの会」は、別に寄付が目的の団体ではないから、
自分たちに余裕があれば、そんなことはしないだろう。
私は、理事として年2回行く事、倉庫を借りること、
衣類の整理をすることなどをお手伝いさせてもらっいる。
「私の出来る事」である。
「私の出来る事」3千円が100人集まれば、30万円
1000人集まれば、300万円・・・
コンサートや映画や美味しいご飯には、決して
ものすごく高い金額ではないと思う。
でも、ボランティアとなると、何故、しり込みしてしまうのか
・・・・・・
「国際私設ボランティアテラの会」が、有名でないからか・・・
電話の方も、3千円と聞いて、「うっ」と詰まった。
「考えて見ます」と言うお返事だった。
戦没者追悼慰霊と共に、スラムの特に子供たちに
自分たちが出来ることをしたいだけなのだが、
中々難しい。
皆様はどうお考えになりますか?
「もしもし、ホームページを見ました。
衣類を送りたいのですが・・・」
以前でしたら、
「ありがとうございます」と言って
全て送ってもらっていた。
ところが、保管場所が足りなくなってきた。
スタッフの、手弁当でやっているので、
経済的にもひっ迫してきた。そこで、考えた。
スタッフはボランティアって何??と言う所から
話し合い、議論を戦わせた。喧嘩もした。
最終的には、荷物+三千円を出して頂く、と言う
事になった。
そうしたいのではなく、そうしないと続けられない
からである。
スラムに住む子供たちや
大人にも、衣類を
直接、手でその人に、渡したいと思えば、
(注:これは、テラの会の基本理念)
例えば、丁寧にテラの会のホームページを見ていただければ、
また、旅日記を読んでいただければ、
前もって船便で送る費用、
我々が飛行機で行き、スラムに宿泊し
直接手渡しする為の処々の
費用が、かかることが分かるはずだと思う。
凄く詳しくホームページに、写真から旅日記から
記してある。
「テラの会」は、別に寄付が目的の団体ではないから、
自分たちに余裕があれば、そんなことはしないだろう。
私は、理事として年2回行く事、倉庫を借りること、
衣類の整理をすることなどをお手伝いさせてもらっいる。
「私の出来る事」である。
「私の出来る事」3千円が100人集まれば、30万円
1000人集まれば、300万円・・・
コンサートや映画や美味しいご飯には、決して
ものすごく高い金額ではないと思う。
でも、ボランティアとなると、何故、しり込みしてしまうのか
・・・・・・
「国際私設ボランティアテラの会」が、有名でないからか・・・
電話の方も、3千円と聞いて、「うっ」と詰まった。
「考えて見ます」と言うお返事だった。
戦没者追悼慰霊と共に、スラムの特に子供たちに
自分たちが出来ることをしたいだけなのだが、
中々難しい。
皆様はどうお考えになりますか?
「国際私設ボランティアテラの会」の理事をさせていただいています。
活動6年目です。
最初は「戦没者追悼慰霊」から始まり、
スタッフは、ほぼ月一回と言うスケジュールで
活動しました。途中から、古着(日本の古着は古着ではない
ものが多いです。何しろ新品まであります)が必要とされている
事を知り、衣服支援もするようになりました。
私は、本業が「歌手」なので、年に2回の参加でしたが、
それでも、様々なことを教えられ感じさせられました。
活動費用は個人的なお知り合いや、
スタッフ自身のお金で賄っていましたが、
かなり、経済状況が逼迫して、現在は、寄付を募っています。
私は、理事としてスタッフの活動を見続けてきました。
活動報告や団体の告知より、実際の活動が先行し、これは
本当に心から活動したいのだなと感じて、
信頼性の高い活動だとわかりました。
何とか続けていただきたい
と、私なりに応援させて頂いております。
本当に勉強になります。みなさまにも、一緒に行って
頂きたいと思います。
NPO団体の裏事情、また、世の中の人々のボランティアに対する
考え方の狭さやいい加減さもよく分かりました。
また、一方で、良かった事は、戦後教育を受けた私は、
日本人として誇りを持てない国民だったのですが、
この活動を通して、日本人が、勿論どこでもとは言いませんが
私が想像していたよりずっと、アジアの人々から信頼され
愛されていることを知りました。
寧ろ、日本人自身の方が、日本や日本人を悪く低く
評価しています。
この活動のおかげで、「万葉集」と言う
日本人の心性のすべてが宿っていると言っても
過言ではない和歌集を、自身の音楽活動に
反映させることが出来たら・・・と考えるように
なったともいえます。
私の稚拙な文章をお読みになるより、このホームページの
リンクにあります、「国際ボランティアテラの会」の
ホームページを是非、見て読んでいただきたいです。
私も、再び行くでしょう・・・スラムのそして、メソットの
孤児院の子供たちに会いに・・・・
活動6年目です。
最初は「戦没者追悼慰霊」から始まり、
スタッフは、ほぼ月一回と言うスケジュールで
活動しました。途中から、古着(日本の古着は古着ではない
ものが多いです。何しろ新品まであります)が必要とされている
事を知り、衣服支援もするようになりました。
私は、本業が「歌手」なので、年に2回の参加でしたが、
それでも、様々なことを教えられ感じさせられました。
活動費用は個人的なお知り合いや、
スタッフ自身のお金で賄っていましたが、
かなり、経済状況が逼迫して、現在は、寄付を募っています。
私は、理事としてスタッフの活動を見続けてきました。
活動報告や団体の告知より、実際の活動が先行し、これは
本当に心から活動したいのだなと感じて、
信頼性の高い活動だとわかりました。
何とか続けていただきたい
と、私なりに応援させて頂いております。
本当に勉強になります。みなさまにも、一緒に行って
頂きたいと思います。
NPO団体の裏事情、また、世の中の人々のボランティアに対する
考え方の狭さやいい加減さもよく分かりました。
また、一方で、良かった事は、戦後教育を受けた私は、
日本人として誇りを持てない国民だったのですが、
この活動を通して、日本人が、勿論どこでもとは言いませんが
私が想像していたよりずっと、アジアの人々から信頼され
愛されていることを知りました。
寧ろ、日本人自身の方が、日本や日本人を悪く低く
評価しています。
この活動のおかげで、「万葉集」と言う
日本人の心性のすべてが宿っていると言っても
過言ではない和歌集を、自身の音楽活動に
反映させることが出来たら・・・と考えるように
なったともいえます。
私の稚拙な文章をお読みになるより、このホームページの
リンクにあります、「国際ボランティアテラの会」の
ホームページを是非、見て読んでいただきたいです。
私も、再び行くでしょう・・・スラムのそして、メソットの
孤児院の子供たちに会いに・・・・