×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
PR
6月の細かい雨が降りしきる印北東部マニプール州ロトパチン村。
英兵の機関銃や砲撃で、インパールを目前に多くの日本兵が
落命したことから地元住民が「レッド・ヒル」(赤い丘)と呼ぶ小山がある。
近くに住むアチョウバさん(87)は、村に食べ物を請いに来た日本兵を
覚えていた。「兵士の一人は「フジワラ」と名乗った。
みんな礼儀正しかったのが印象的だった」と遠くを見つめる。
・・・・・・・・・道を知らずとも連なる日本兵の亡骸をたどれば
ビルマに着いた。3万人が犠牲となり、今も1万柱以上の遺骨が
この地に眠る。
日本政府は34年ぶりに犠牲者の遺骨収集に動き始めた。
・・・・・・・今後は、激戦地のインパールやコヒマでの収集作業を
本格化する計画だ。
「無駄な戦争でしたよ」東京都に住む殿塚常治さん(98)は
作戦を振り返る。・・・・・「まだ息をしている兵士が居ても
誰も助ける気力も無い。惨めなもんでした。」
インドには独自の評価がある。
「インパール作戦はインド独立に大きな影響を与えた」と
マニプール大学のM・ジテンド・ラ・シン教授(歴史学)は
指摘する。大敗を喫したが、日本軍と共に闘ったインド
国民軍の存在が英国を驚かせ、同胞を奮い立たせて
結果的に独立を早めたとみる。
・・・・・・・「経済面での接近が進む日印関係の底流に
歴史の強い絆があったことを印象づけたい。勇敢な
日本人を我々は決してわすれませんから」
「マイ・ジャパニーズ・ニース(私の日本人のめい)」と
題した映画・・いわばインド版「ビルマの竪琴」の
監督のモーヘン・ナオレム氏弁
他にもそのような例が多々あります。テラの会の基本活動「戦没者
追悼慰霊」を、続けていきたいと強く思います。
英兵の機関銃や砲撃で、インパールを目前に多くの日本兵が
落命したことから地元住民が「レッド・ヒル」(赤い丘)と呼ぶ小山がある。
近くに住むアチョウバさん(87)は、村に食べ物を請いに来た日本兵を
覚えていた。「兵士の一人は「フジワラ」と名乗った。
みんな礼儀正しかったのが印象的だった」と遠くを見つめる。
・・・・・・・・・道を知らずとも連なる日本兵の亡骸をたどれば
ビルマに着いた。3万人が犠牲となり、今も1万柱以上の遺骨が
この地に眠る。
日本政府は34年ぶりに犠牲者の遺骨収集に動き始めた。
・・・・・・・今後は、激戦地のインパールやコヒマでの収集作業を
本格化する計画だ。
「無駄な戦争でしたよ」東京都に住む殿塚常治さん(98)は
作戦を振り返る。・・・・・「まだ息をしている兵士が居ても
誰も助ける気力も無い。惨めなもんでした。」
インドには独自の評価がある。
「インパール作戦はインド独立に大きな影響を与えた」と
マニプール大学のM・ジテンド・ラ・シン教授(歴史学)は
指摘する。大敗を喫したが、日本軍と共に闘ったインド
国民軍の存在が英国を驚かせ、同胞を奮い立たせて
結果的に独立を早めたとみる。
・・・・・・・「経済面での接近が進む日印関係の底流に
歴史の強い絆があったことを印象づけたい。勇敢な
日本人を我々は決してわすれませんから」
「マイ・ジャパニーズ・ニース(私の日本人のめい)」と
題した映画・・いわばインド版「ビルマの竪琴」の
監督のモーヘン・ナオレム氏弁
他にもそのような例が多々あります。テラの会の基本活動「戦没者
追悼慰霊」を、続けていきたいと強く思います。
T学園音楽学部器楽科ピアノ専攻は、
T学園の幼稚園から、ずっと、通っている子もおり、
大体、ピアノ専攻の子は高校からまず、入ります。
内部生と言うそうです。
娘のように大学から入る子は
外部生・・・・・
先生方は、大学の先生が高校から
教えていらっしゃるので、環境としては
内部生は恵まれていると思います。
親としては、彼女の音楽性を、より深めて
そして
それを表現できる正しい技術力・正しい筋肉の
使い方・演奏家としての心構え・・・など、
教えていただきたいなぁと思いました。
と言うのも、私は、国立の教育大学
音楽学部の出身で、ピアノ以外に、
教育関係の勉強が大変だったのと
演奏家になるための大学ではないので
音楽の勉強は出来ても、演奏家に
必要な要素は教えてもらえなかったからです。
一年間通って、あまり意味がないと思えば、
やめてもいい・・・外国に行きなさい・・・
などと、親としては、不謹慎な助言をしていました。
無意味な所に高いお金を払うのは
勿体無いから、留学したほうがいい・・
などと言って・・・
私が経験上最も恐れたのは、
舞台に立つまでの、様々な経験
(コンクールも含めて)で、追い詰められ
精神的な酷いダメージにより、
身体にその記憶が残ることです。
私自身は、神経が太いほうでなかったので
大変、気になりました。
これはあくまでも、私個人の考えです。
T学園の幼稚園から、ずっと、通っている子もおり、
大体、ピアノ専攻の子は高校からまず、入ります。
内部生と言うそうです。
娘のように大学から入る子は
外部生・・・・・
先生方は、大学の先生が高校から
教えていらっしゃるので、環境としては
内部生は恵まれていると思います。
親としては、彼女の音楽性を、より深めて
そして
それを表現できる正しい技術力・正しい筋肉の
使い方・演奏家としての心構え・・・など、
教えていただきたいなぁと思いました。
と言うのも、私は、国立の教育大学
音楽学部の出身で、ピアノ以外に、
教育関係の勉強が大変だったのと
演奏家になるための大学ではないので
音楽の勉強は出来ても、演奏家に
必要な要素は教えてもらえなかったからです。
一年間通って、あまり意味がないと思えば、
やめてもいい・・・外国に行きなさい・・・
などと、親としては、不謹慎な助言をしていました。
無意味な所に高いお金を払うのは
勿体無いから、留学したほうがいい・・
などと言って・・・
私が経験上最も恐れたのは、
舞台に立つまでの、様々な経験
(コンクールも含めて)で、追い詰められ
精神的な酷いダメージにより、
身体にその記憶が残ることです。
私自身は、神経が太いほうでなかったので
大変、気になりました。
これはあくまでも、私個人の考えです。
次女が音大に通っています。
高校3年生の時に、
家庭内で色々と大変なことがあり、
家族全員、彼女の受験を忘れるほどでした。
ほったらかしにされた彼女はそれでも、
普通大学を受けるためなんとか
勉強に励んでおりました。
受験の年の一月・・・・
何科に進むのか、彼女自身の心が
中々決まりません。
受験まで私大なら後2ヶ月です。
私は、無能な母親ですから、
オロオロしながら、ただ見守っておりました。
ある日突然、彼女が昔から師事しておりました
ピアノの先生の所に行く事になりました。
経緯は忘れましたが、確か一月も中旬だったと思います。
帰宅するなり、娘は言いました。
「私、T大音楽学部器楽科ピアノ専攻を受ける事にした」
「だって、あと一ヶ月切ってるよ」と、私・・・
「分かってる。先生と話し合って、G大は今からだと無理だけど
T学園音楽科ピアノ専攻なら受かるだろうって・・・」
私は、ひぇ~と思いながら、音楽に進むかもしれない
娘の苦労と喜びを思いました。
それから娘はまず、音大の高い月謝を払ってもらえるように
父親の説得にかかりました。
父親のほうは音楽には全く関心がなく、芸術にどれほどの金銭と
精神的な苦労などがあるのか知りません。
どうやって説得したのか、大学でかかる費用は出して貰える様に
なりました。
そして、猛練習・・・後、21日ほどです。
紆余曲折があり、必ずしもピアノ教育に熱心な母親でなかった
私は、何も出来ません。ただ、彼女がここにきて選んだ道が
開けることを祈りました・・・・・
そして、合格!
やはり、合格は嬉しいものです。
人並みの親らしく喜びました。
高校3年生の時に、
家庭内で色々と大変なことがあり、
家族全員、彼女の受験を忘れるほどでした。
ほったらかしにされた彼女はそれでも、
普通大学を受けるためなんとか
勉強に励んでおりました。
受験の年の一月・・・・
何科に進むのか、彼女自身の心が
中々決まりません。
受験まで私大なら後2ヶ月です。
私は、無能な母親ですから、
オロオロしながら、ただ見守っておりました。
ある日突然、彼女が昔から師事しておりました
ピアノの先生の所に行く事になりました。
経緯は忘れましたが、確か一月も中旬だったと思います。
帰宅するなり、娘は言いました。
「私、T大音楽学部器楽科ピアノ専攻を受ける事にした」
「だって、あと一ヶ月切ってるよ」と、私・・・
「分かってる。先生と話し合って、G大は今からだと無理だけど
T学園音楽科ピアノ専攻なら受かるだろうって・・・」
私は、ひぇ~と思いながら、音楽に進むかもしれない
娘の苦労と喜びを思いました。
それから娘はまず、音大の高い月謝を払ってもらえるように
父親の説得にかかりました。
父親のほうは音楽には全く関心がなく、芸術にどれほどの金銭と
精神的な苦労などがあるのか知りません。
どうやって説得したのか、大学でかかる費用は出して貰える様に
なりました。
そして、猛練習・・・後、21日ほどです。
紆余曲折があり、必ずしもピアノ教育に熱心な母親でなかった
私は、何も出来ません。ただ、彼女がここにきて選んだ道が
開けることを祈りました・・・・・
そして、合格!
やはり、合格は嬉しいものです。
人並みの親らしく喜びました。
八月の暑い陽射しと、蝉の泣き声が聞こえてくると、
戦災で亡くなった方々に思いを馳せる・・・
ロンドンオリンピックでアジア人としては、めざましい活躍を
見せてくれる日本の若者たち・・・・
本当に、白人に負けぬ、身体と体力を持つようになってきたんだなぁと
実感する。
そしてまた、この暑い夏の最中で、人知れず、餓死・疫痢・赤痢などで
亡くなり、今現在もまだ、遺骨も帰らぬ、若者たちの事を思う・・・・
時代が違っていたとはいえ、その差はあまりに酷い・・・
戦争で若い命を落とした方々の事を忘れてはいけない・・・
戦争の事を忘れてはいけない・・・・
それほど、私を含めた人間は、賢くない・・・
戦没者の方々に心から、哀悼の意を表します。
今も、一触即発の世界情勢を、彼らはどのように
思うのだろうか・・・・
歴史は繰り返すと言う。
いつ戦争が起こってもおかしくないだろう・・・
戦災で亡くなった方々に思いを馳せる・・・
ロンドンオリンピックでアジア人としては、めざましい活躍を
見せてくれる日本の若者たち・・・・
本当に、白人に負けぬ、身体と体力を持つようになってきたんだなぁと
実感する。
そしてまた、この暑い夏の最中で、人知れず、餓死・疫痢・赤痢などで
亡くなり、今現在もまだ、遺骨も帰らぬ、若者たちの事を思う・・・・
時代が違っていたとはいえ、その差はあまりに酷い・・・
戦争で若い命を落とした方々の事を忘れてはいけない・・・
戦争の事を忘れてはいけない・・・・
それほど、私を含めた人間は、賢くない・・・
戦没者の方々に心から、哀悼の意を表します。
今も、一触即発の世界情勢を、彼らはどのように
思うのだろうか・・・・
歴史は繰り返すと言う。
いつ戦争が起こってもおかしくないだろう・・・
本物を観るのは、二度目、一回目はニューヨーク在住の友人が取ってくれた
席で「王様と私」を観た・・・そのころ、ブロードウエイでCATSの全盛時代・・・
辻さんはマイノリティだから、こっちにしたわと言われた。
とにもかくにも、ずらりと並んだブロードウエイの劇場、大きさも様々、
もっとたくさ観劇すればよかった。いつか、ブロードウエイのはしごに行きたい。
アメリカのエンターテーメントは、やはり、半端じゃない。
さて、今日は本物の「ウエストサイドストーリー」名作である。
遠藤周作の樹座でウエストサイドストリーもやった。若かったなぁ・・私・・・
思い出と共に大変楽しませていただきました。
ミュージカル・・・やっぱいいなぁ・・・・
席で「王様と私」を観た・・・そのころ、ブロードウエイでCATSの全盛時代・・・
辻さんはマイノリティだから、こっちにしたわと言われた。
とにもかくにも、ずらりと並んだブロードウエイの劇場、大きさも様々、
もっとたくさ観劇すればよかった。いつか、ブロードウエイのはしごに行きたい。
アメリカのエンターテーメントは、やはり、半端じゃない。
さて、今日は本物の「ウエストサイドストーリー」名作である。
遠藤周作の樹座でウエストサイドストリーもやった。若かったなぁ・・私・・・
思い出と共に大変楽しませていただきました。
ミュージカル・・・やっぱいいなぁ・・・・