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ボイストレーニングを始めるに当り、
年齢制限は全くありません。
車椅子の方でも、今現在より、かなり美しい良い声で
歌うことが出来ます。
勿論、いくつでも大丈夫!!
筋肉を、鍛えるのに、年齢制限が
無いことはみなさん良くご存知ですよね。
声帯は、大雑把に言うと、やわらかめの
筋肉と粘膜で、出来ている2cmの、二枚の襞(ひだ)です。
それを、やさしくストレッチする方法があります。
ボイストレーニングを受けることに、体に悪いことが一つも無い
というのも、いくつになっても始められる理由の一つです。
ボイストレーニングを受けて、一人で唄を歌うようになることで
アンチエイジング効果も絶大!!
今より5歳・・・・いや人によっては10歳若く見られるでしょう。
実際、師匠 藤岡宣男は、40歳の時に完全に20代に見られていました。
芸能人ではないのに・・・・
そのぐらい、「歌う」と言う事は、「生きる」事に直結した
人間の「行為」です。
今のような、閉鎖的な人間関係な時代だからこそ
人は歌うべきです。
そして、より多くの皆さんが気持ちよく歌えれば
恐ろしい犯罪も減り、ご近所の方とも、
今より更に打ち溶け合えるでしょう。
まずは、ご自分が体験されるて、実感される
ことをお勧め致します。
コメントを寄せてくださった方へ・・・・
年齢制限は全くありません。
車椅子の方でも、今現在より、かなり美しい良い声で
歌うことが出来ます。
勿論、いくつでも大丈夫!!
筋肉を、鍛えるのに、年齢制限が
無いことはみなさん良くご存知ですよね。
声帯は、大雑把に言うと、やわらかめの
筋肉と粘膜で、出来ている2cmの、二枚の襞(ひだ)です。
それを、やさしくストレッチする方法があります。
ボイストレーニングを受けることに、体に悪いことが一つも無い
というのも、いくつになっても始められる理由の一つです。
ボイストレーニングを受けて、一人で唄を歌うようになることで
アンチエイジング効果も絶大!!
今より5歳・・・・いや人によっては10歳若く見られるでしょう。
実際、師匠 藤岡宣男は、40歳の時に完全に20代に見られていました。
芸能人ではないのに・・・・
そのぐらい、「歌う」と言う事は、「生きる」事に直結した
人間の「行為」です。
今のような、閉鎖的な人間関係な時代だからこそ
人は歌うべきです。
そして、より多くの皆さんが気持ちよく歌えれば
恐ろしい犯罪も減り、ご近所の方とも、
今より更に打ち溶け合えるでしょう。
まずは、ご自分が体験されるて、実感される
ことをお勧め致します。
コメントを寄せてくださった方へ・・・・
声が大きいと言う事と、声が響くと言うのは、
全く違うことです。
今時は、子供からお年寄りまでカラオケを楽しみます。
それは、とても良い時代と思うのですが、
実際に、ホールや、もしくは、野外などで
歌う声として通用するかどうか
というのは、全く違う問題です。
概して声が大きいというのは、側鳴りする場合が多いです。
側鳴りとは、側で聞くと、凄く大きな声に聞こえるのですが、
大きなホールでは、途中でストーンと、声が落ちて、後ろには
全く響いてきません。
片や、声が響くというのは、反響の違いはあっても、
大きなホールで、後ろまできれいに声が響いてきます。
隅々まで声が響き渡る・・とでも申しましょうか・・・
言葉もきちんと聞こえてきます。
私の師匠 藤岡宣男は、まさにこのように歌っておりました。
だからこそ、私は、師事をしたのです。
人は骨導音と回りに響いている自分の声を聞きます。
骨導音は、自分以外の人は聞く事が出来ません。
体の中で響いている振動だからです。
だから、人は自分の本当の声を一生聞くことは
出来ないのです。
体が楽器の、「歌う」と言う事は、だから、どうしても
ボイストレーニングをしてもらう人が必要なのです。
客観的に判断をしてもらう為にも・・・・
本当に、響いているときは、自分の中の振動は少なく
なんだか、頼りない声を出している感じがします。
そのとき、声の響きは体を離れ、遠くへ飛んでいます。
体に手ごたえを感じている内はダメなのです。
だから、師匠 藤岡宣男は、いつも私にこう言っていました。
体の中に意識を向けて、フォームで歌いなさいと・・・・
全く違うことです。
今時は、子供からお年寄りまでカラオケを楽しみます。
それは、とても良い時代と思うのですが、
実際に、ホールや、もしくは、野外などで
歌う声として通用するかどうか
というのは、全く違う問題です。
概して声が大きいというのは、側鳴りする場合が多いです。
側鳴りとは、側で聞くと、凄く大きな声に聞こえるのですが、
大きなホールでは、途中でストーンと、声が落ちて、後ろには
全く響いてきません。
片や、声が響くというのは、反響の違いはあっても、
大きなホールで、後ろまできれいに声が響いてきます。
隅々まで声が響き渡る・・とでも申しましょうか・・・
言葉もきちんと聞こえてきます。
私の師匠 藤岡宣男は、まさにこのように歌っておりました。
だからこそ、私は、師事をしたのです。
人は骨導音と回りに響いている自分の声を聞きます。
骨導音は、自分以外の人は聞く事が出来ません。
体の中で響いている振動だからです。
だから、人は自分の本当の声を一生聞くことは
出来ないのです。
体が楽器の、「歌う」と言う事は、だから、どうしても
ボイストレーニングをしてもらう人が必要なのです。
客観的に判断をしてもらう為にも・・・・
本当に、響いているときは、自分の中の振動は少なく
なんだか、頼りない声を出している感じがします。
そのとき、声の響きは体を離れ、遠くへ飛んでいます。
体に手ごたえを感じている内はダメなのです。
だから、師匠 藤岡宣男は、いつも私にこう言っていました。
体の中に意識を向けて、フォームで歌いなさいと・・・・
自然なご縁とともに、参加させていただいた、今度の行事を通して、
私なりに感じたことを、折々記したいと思います。
・お白石持行事は、庶民の行事です。庶民は入れない
外宮・内宮の神域に、このときばかりは庶民も入れるのです。
それは、400年前の室町時代から(戦国時代は、中断しましたが)
江戸時代になって、復活。それ以来、続いてきたこの行事。
老いも若きも、子供も、様々な職種の人も一緒になって、
エーンヤと掛け声を懸けながら、太い縄で、奉曳き車を引く。
いつの間にか、エーンヤの掛け声で、みんなと心が一つに
なっていく。神領民の人はお互い知っているが、一日神領民である
私も、自然にその輪の中に、完全に溶け込み、思いっきり
大きな声を出して楽しんでいた。
述べ25万人と言う。
今のように、お祭り気分ではなく(私だけか・・・)、私の思いは、
奈良の大仏様の 建築などを、思い出していた。
食料は無く、飢饉が流行り、餓死者が続出した あのころに、
天皇陛下の御命令で、貧しい庶民が一丸となって、建てた大仏様・・
楽しむというより、様々な建築材料を運んだりするときに、
体力も落ちていたであろう.
そのころの庶民は、こうやって、掛け声を掛け合って、心を一つにし、
励ましあう為にもエーンヤなどの掛け声や、独特の節回しの唄などが、
必要だったのであろう・・・
それは、一つの民謡の原点だなと、その時代の庶民達に思いを馳せながら、
私は、ふと綱を引いて、大きな掛け声を出していた。
・・・・・・続く・・・・・
私なりに感じたことを、折々記したいと思います。
・お白石持行事は、庶民の行事です。庶民は入れない
外宮・内宮の神域に、このときばかりは庶民も入れるのです。
それは、400年前の室町時代から(戦国時代は、中断しましたが)
江戸時代になって、復活。それ以来、続いてきたこの行事。
老いも若きも、子供も、様々な職種の人も一緒になって、
エーンヤと掛け声を懸けながら、太い縄で、奉曳き車を引く。
いつの間にか、エーンヤの掛け声で、みんなと心が一つに
なっていく。神領民の人はお互い知っているが、一日神領民である
私も、自然にその輪の中に、完全に溶け込み、思いっきり
大きな声を出して楽しんでいた。
述べ25万人と言う。
今のように、お祭り気分ではなく(私だけか・・・)、私の思いは、
奈良の大仏様の 建築などを、思い出していた。
食料は無く、飢饉が流行り、餓死者が続出した あのころに、
天皇陛下の御命令で、貧しい庶民が一丸となって、建てた大仏様・・
楽しむというより、様々な建築材料を運んだりするときに、
体力も落ちていたであろう.
そのころの庶民は、こうやって、掛け声を掛け合って、心を一つにし、
励ましあう為にもエーンヤなどの掛け声や、独特の節回しの唄などが、
必要だったのであろう・・・
それは、一つの民謡の原点だなと、その時代の庶民達に思いを馳せながら、
私は、ふと綱を引いて、大きな掛け声を出していた。
・・・・・・続く・・・・・
遷都の日まであと2ヶ月という、暑い夏の日
お白石持行事に参加しました。
正宮の回りに敷き詰められる、白い石英岩を
一日神領民で参加した町内は
陸曳き(おかびき)で、奉曳き車で町内を
ひきまわし、木遣り唄の勢いもよろしく
最後には、”エンヤ曳”で、神域に引き込みます。
木遣り唄は、若い男衆・女衆が歌います。
伊勢市民としての、誇りに満ちた彼女、
彼らの唄は素晴らしく、顔は輝いていました。
何百人かで、大蛇のような太い縄を、
曳き、町内を引き回す様は、圧巻でした。
勿論、私も、揃いの法被を羽織らせて
頂き、頭には、手ぬぐいをキュッと
かっこよく??締めて、え~んやこらと
年も省みず、楽しみました。
・・・・・・続く・・・・・
お白石持行事に参加しました。
正宮の回りに敷き詰められる、白い石英岩を
一日神領民で参加した町内は
陸曳き(おかびき)で、奉曳き車で町内を
ひきまわし、木遣り唄の勢いもよろしく
最後には、”エンヤ曳”で、神域に引き込みます。
木遣り唄は、若い男衆・女衆が歌います。
伊勢市民としての、誇りに満ちた彼女、
彼らの唄は素晴らしく、顔は輝いていました。
何百人かで、大蛇のような太い縄を、
曳き、町内を引き回す様は、圧巻でした。
勿論、私も、揃いの法被を羽織らせて
頂き、頭には、手ぬぐいをキュッと
かっこよく??締めて、え~んやこらと
年も省みず、楽しみました。
・・・・・・続く・・・・・