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★ やすみしし わご大君の 夕ふされば 見し賜ふらし 明けくれば 問ひ賜ふらし
神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひ給はまし 明日もかも 見し賜はまし
その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに悲しび 明けくれば うらさび暮し
荒栲の 衣の袖は 乾る時もなし
★ やすみしし わごおおおきみの ゆふされば みしたまふらし あけくれば とひたまふらし
かむをかの やまのもみぢを けふもかも とひたまはまし あすもかも めしたまはまし
そのやまを ふりさけみつつ ゆうされば あやにかなしび あけくれば うらさびくらし
あらたへの ころものそでは ふるときもなし
★ あまねく世をお治めになっていらっしゃるわが大君が、夕べにはご覧になっていらした、
朝にはおことばをおかけになっていらした、神の山の黄葉に、
今日もお言葉をかけていらしたでしょうに・・・・明日もご覧になっていらしたでしょうに・・・・
その山を、遠く見やりながら、夕暮れを迎えると、なんだか悲しみに沈み、
朝になっても、うら寂しく過ごし、粗布でおった喪服の袖も乾くことがありません。
巻2-159 持統天皇
天武天皇(686年)崩(かむあが)りまししときに、大后(おほきさき・・・持統天皇)の
作りませる御歌一首
神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひ給はまし 明日もかも 見し賜はまし
その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに悲しび 明けくれば うらさび暮し
荒栲の 衣の袖は 乾る時もなし
★ やすみしし わごおおおきみの ゆふされば みしたまふらし あけくれば とひたまふらし
かむをかの やまのもみぢを けふもかも とひたまはまし あすもかも めしたまはまし
そのやまを ふりさけみつつ ゆうされば あやにかなしび あけくれば うらさびくらし
あらたへの ころものそでは ふるときもなし
★ あまねく世をお治めになっていらっしゃるわが大君が、夕べにはご覧になっていらした、
朝にはおことばをおかけになっていらした、神の山の黄葉に、
今日もお言葉をかけていらしたでしょうに・・・・明日もご覧になっていらしたでしょうに・・・・
その山を、遠く見やりながら、夕暮れを迎えると、なんだか悲しみに沈み、
朝になっても、うら寂しく過ごし、粗布でおった喪服の袖も乾くことがありません。
巻2-159 持統天皇
天武天皇(686年)崩(かむあが)りまししときに、大后(おほきさき・・・持統天皇)の
作りませる御歌一首
★ かむやまに たなびくくもの あおくもの ほしはなれいき つきをはなれて
★ 神山にたなびく雲・・・青雲は、星を離れ・・・月を離れて・・・・・
巻2-161 持統天皇
これも、諸説あるようで、中国の思想に通じていないとわからない部分があるようです。
向南山・・・を、中西先生は神山と、また、他には北山・・・という説もあります。
青雲は、白雲より、遥かな広がりのあるものとして、用いられているようです。
また、星は、古来日本人には、あまり親しみのある表現ではなく、やはり中国的表現だそう・・・
そういうところからも、前首と合わせて、陰陽師の代作では・・・という説もあるらしいです。
どちらにしても、雲に魂が宿る・・・雲をその人としてみる・・・
というのは、当たり前の感覚だったのですね・・・・
天皇の魂が、月も星も離れて・・・遠くにいってしまった・・・という悲しみの心情表現です。
★ 神山にたなびく雲・・・青雲は、星を離れ・・・月を離れて・・・・・
巻2-161 持統天皇
これも、諸説あるようで、中国の思想に通じていないとわからない部分があるようです。
向南山・・・を、中西先生は神山と、また、他には北山・・・という説もあります。
青雲は、白雲より、遥かな広がりのあるものとして、用いられているようです。
また、星は、古来日本人には、あまり親しみのある表現ではなく、やはり中国的表現だそう・・・
そういうところからも、前首と合わせて、陰陽師の代作では・・・という説もあるらしいです。
どちらにしても、雲に魂が宿る・・・雲をその人としてみる・・・
というのは、当たり前の感覚だったのですね・・・・
天皇の魂が、月も星も離れて・・・遠くにいってしまった・・・という悲しみの心情表現です。