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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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これは、師匠である藤岡宣男の口癖であった。

「この世と、蜘蛛の糸一本で繋がっているんだね」

「オフィスtw2に来てよかったね。食い物にされてしまうよ」

と言いながら、5時間もレッスンを受けたこともある。


師匠と弟子としては、かなり相性の良い方だったかもしれない。

賢い藤岡さんにアホで間抜けな私。

勿論、レッスン代を支払う関係としてだが・・・・・


藤岡さんは、中々人に気を許さない人だった。

育った環境もあるのだろう。

瞬時にして人の性格の本質を見抜くような

鋭い感性をもっていらした。


私には、弟子にしては、気を許してくださったと思う。

我が家で、食事をしたこともある。

家人も含めて、木村氏、藤岡さん、私で

お寿司を、家人の行きつけの昔の丸ビル

時代のおすし屋さんに、食べに行ったこともある。


新しい丸ビルの吹き抜け部分で、舞台を作り

藤岡さんに歌って頂いたときは、

うつくしい日本の歌が、辺りに響き渡り

歩く人がみな立ち止まり聴き入っていた。

家人も私も大満足だった。


日本語の本が売れまくっている、

斉藤孝さんとも、共演した。

斉藤さんには申し訳ないが、

しゃべる講演より、

藤岡さんの歌の方が

「美しい日本語」として

説得力があった。


もっともっと、藤岡さんの舞台を

聴きたかったと今でも思う。


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・・・と言うのに、多くの藤岡さんの周りの人は

木村天山を恐れた・・・いや、嫌いだった・・・

いや得体が知れなかった・・・怪しげだった・・

・・・らしい・・・。

なんとなく判る。

本人も判っていて、着物をいつも着て、

長い髪を縛り、下駄で、風を切るように

歩く・・・眼光鋭く・・・何かの拍子に

もの凄い大きな怒声を浴びせかける。

そりゃ、そりゃこわいでしょ。

相手は怖いもの知らず・・・あっ、一つだけ

怖いんだそうな・・・幽霊が・・・ぷっ


いつ怒鳴られるか判らない。

私など、小さな心を痛めぬように

なんとか、上手くかわしてきたが、

それでも、何度か怒鳴られた。

泣きましたよ。


一番怖いのは、怒鳴り声よりも

本当の事しか言わないこと。

みんな、奥底に秘めて隠していることを

そのまんま、言っちゃう、書いちゃう、

興味のある方は、私のリンクの

木村天山ホームページをクリックなさると良い。

すさまじい数の、ブログが出てきます。

その興味の広さといったら・・・・並みの人間ではない

今日は、この辺で・・・・

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木村天山・・・・・名前からして、怪しげで、運命カウンセラー占い師

などと言う、これまた怪しげな雰囲気に似つかわしい仕事をなさってきた。

その傍ら、和芸と名のつく,ありとあらゆるものに興味を示し、

日本舞踊・裏千家・池ノ坊・詩吟・古典着付け(3本の帯だけで、着物を着る)

などなど・・・上げたら、きりが無い・・・

しかも、半端なく、教授、准教授の資格も取り、

200名弱のお弟子さんたちをまとめあげ、

また、北海道テレビにも、バンバン出演、全国講演行脚をなさり、

有限会社を経営し、

収入がいくらか、分からぬうちに、折々、盗み取られ

又、あるときは、某博多のホテルの地下で、幽霊が出ると言う噂が立ち

清め祓いを依頼され、

又、あるときは、高所恐怖症なのにヘルメットをかぶらせれ、(ぷっ)

何十階というまだ建築中のビルの一番上に登らされた。

勿論、清め祓いのためである。

中々いらっしゃらない人生の持ち主である。

普通のおばさんだった私は、

この方に出逢って、人生の流れを変わらされた。

お互いに愛しても愛されても居ないので(注:私は旦那持ちです)

縁といしか言いようがない。

しばらく、彼の話をつづけよう・・・・おっもろいで・・・・・

あら、お下品・・・とても、面白うございます・・・

それでは、また・・・・

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中田喜直ではないけれど、藤岡さんとの

「夏の思い出」は、時効だと言う事で、ばらしちゃおう・・・


藤岡さんは、トランクス一つで、事務所でうろうろしていた。

昼も事務所の白いソファーでよく寝ていた。


何しろ、毎日、藤岡さんのプロデューサーとお話を

させていただき、週に2度はレッスンに通っていた私である。


知りたくなくても知ってしまう。

藤岡さんも私を女性と思っていないのか、全く平気・・・

おばさんでも、女性なのよ・・・とは思わなかったが。


食事はプロデューサーにおんぶに抱っこの藤岡氏。

何しろ、手を出してちょきちょきして(すみません。孫が

いるもので・・・)

「何それ?」と言われて「お箸頂戴」などとのたまわって

いたらしい。

そういうときの藤岡さんは、私が言うのもなんだけれど、

(師とはいえ、私の方が4つ年上だからね)

とても、可愛らしかった。


レッスンも短パン、あの頃は、ひざの所で

少し絞るパンツが流行していて、流行に敏感な

藤岡さんは早速穿いていたけれど、スマートで

ダンディーな容姿の藤岡さんには妙に似合わな

かった事を覚えている。


暑いけれど、いつも清潔な香りのするTシャツ

を着ていた。

のちに、分かったことだが藤岡さんのお母様が

洗濯好きで、毎日何回も、洗濯機を回していたらしい。

だから、いつも、清潔で良い香りのするTシャツを身に着けて

いたのだ。

「辻さんち、電気代いくらする?」と、聞かれたことがある。

「○○円」と、答えると、

「やっぱり、うちはおかしいよね。母子二人なのに・・」

と言っていた。

多分、あの頃から藤岡さんのお母様の認知は始まっていたのだろう。


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からたちのはなが さいたよ

しろいしろい はながさいたよ


からたちのとげは いたいよ

あおいあおいはりのとげだよ


からたちは はたのかきねよ

いつもいつも とおるみちだよ


からたちも あきはみのるよ

まろいまろい きんのたまだよ


からたちのそばで ないたよ

みんなみんな やさしかったよ


からたちのはなが さいたよ

しろい しろい はなが さいたよ



この「北原白秋 作詞 、山田耕筰 作曲」の名歌は

西洋音楽を学んだ山田耕筰と、詩人 北原白秋が

喧々諤々、いかにして、日本語を美しく表現するか

と言う事で出来た曲である。傑作である。


それを、私は、初舞台で歌った。

この曲は、本当に難しい曲である。


「からたちの花」・・・・藤岡宣男の、絶品の

この曲を前にすると、ただうな垂れてしまう。

そのぐらい美しく歌っている・・・・・

いつか、いつの日か・・・・

辻 友子しか歌えない、「からたちの花」を歌う。


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