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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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昨日は、私の師匠である、藤岡宣男さんの月命日祭でした。

毎月一日、藤岡宣男さんを偲んで、縁ある方々と集います。

昨日は、留学されている一名を除いて、ほぼいつものメンバーが集まりました。

みんなで、集まるだけで何だか楽しい、皆に会えるというだけで・・・・

また、元気を貰って頑張ろうと思いました。

藤岡さん、皆さん、どうもありがとう!!

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TW2の事務所には木村氏への、贈り物が毎日のように届いていた。

魚沼産こしひかりから、上等のアスパラガスやら、ステーキ肉・・・・・なぜ、木村氏にそんなに

贈り物が多いのだろうと不思議に思って聞いてみた。

「茶道や日本舞踊や生け花の昔のお弟子さんたちから送ってくる」と、おっしゃっていた。

人望の厚い人なのだなと思ったものである。

そして、そのおいしい贈り物を一番味わっていたのは、藤岡さんであった。

外での仕事が無い日は、大半の時間を事務所で過ごしていた藤岡さんは、料理まめな木村氏が

送られてくる美味食材を、ダイナミックに調理したものを真っ先に食すのだった。私も事務所での

レッスンの折には、時々おすそ分けをしてもらった・・・今でも懐かしい思い出である。

とりわけ、ステーキ肉は美味しく、木村氏はあまり肉を召し上がらないので肉好きの藤岡さんは

必然的に独り占めして、食べていた。でも、時々私が貰っているのを知って、「あまり、辻さんに

あげちゃ駄目」と言っていたと、木村氏が私に言っていた事がある。私はその話になんだか

藤岡さんらしくなくて可笑しく思ったのを憶えている。「藤岡が残りの2枚のステーキ肉は僕が

食べるから辻さんにあげちゃ駄目って言うんだよ」と、木村氏が私に言う・・・・なんだか、子ども

みたいあだな・・・・と、思った。誰の前でも、スマートにおっとりと振る舞っていた藤岡さんだが

木村氏の前では、子どものようだなと感じていた。

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40歳を過ぎたおばさんが、歌を習いたいと言って来て、本気に教える先生がいるだろうか?

「いいんじゃない・・趣味で」と、思うのが関の山だと思うし、お金になるから教えようと思うのが

普通だろう・・・・藤岡さんが全くそう思わなかったとは、私は思っていない。実際、人に教えるのは

イヤだと言っていたのを、木村氏が説得してくれて初弟子として、レッスンが始められたらしい。

でも、最初はそう思っていたとしても、実際の指導は、真摯であり、素晴らしく価値のある実りある

ものであった。それは、音楽に対してのまた、歌に対しての藤岡宣男という歌手の姿勢を

良くあらわしていると思う。人に教える技術は、上手く歌える技術とは違うものを要するし、

更に、舞台に立つ人間と教える人間とは、相容れない要素も多々あり、難しい。

藤岡宣男さんと私は師弟としての相性もかなり良かったと思う。

それ以上に、「歌手 藤岡宣男」は、「指導者としての素晴らしい素質」と「舞台に立つ人間としての

素晴らしい素質」の両方を持ち得ていた「極めて数少ない稀有な才能の持ち主」であったと

私は思う。(一応、ここで断っておくが、私は大学の音楽科を卒業し、声楽も様々な先生に師事して

レッスンをしてきていた。藤岡さんが声楽の師として初めてではないけれど、藤岡さんに教わった

実感から、大変申し訳ないがそれ以前に習ってきた先生に習ったという実感が持てないのだ。

そのぐらいに、「歌手 藤岡宣男」の指導力は高かったということである)

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歌手 藤岡宣男の驚異・・・・・その一つに、体型と顔の変容があると思う。

多分、歌手としての活動を始めてすぐぐらいの藤岡さんを知っている人と、横浜に来てからの

藤岡さんを知っている人は、同人物とは思えないほど、変化していたと思う。


たまたま、藤岡さんの楽譜や本や書類に混じって、藤岡さんの20代の写真が我が家にあった。

藤岡さんと食事も共にしたことのある夫が、その見慣れぬ男性の写真を見て動揺し(笑)、娘に

これは誰だ?と聞いたらしい・・・娘はさすがに、わかって、藤岡さんだよと言い、家庭争議には

発展しなかった。


私自身もレッスンを受けていくうちに、藤岡さんが変容していく様を見ることになった。

「僕、胸のこの部分が厚くなってきて、首からこの部分が伸びてきて、顔がウルトラマンのように

なってきたと言われる」と、レッスンの時に藤岡さんは得意げにしゃべっていた。

実際、私も藤岡さんを見ていて、そう思った。

歌う顔、歌う体に藤岡さんは変容していった。

歌うためにあらゆる努力を惜しまなかった藤岡さんに、歌の神様が味方したのだろうか・・・・

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藤岡さんの事を、他の誰よりも身近にいた木村氏は、「のぶおくん」と呼んでいた。

いつも、3歳の息子でも呼ぶように、藤岡さんの事を気遣い、お世話をしていた・・・


「僕、最初に木村さんに会ったとき、僕の一番嫌いなタイプだった」と藤岡さんは言っていた。

その理由は、木村氏が周りの迷惑を考えない大きな声でしゃべる事やでかい態度をとっていた

ことだと、藤岡さんが、言っていた。

その二人はこの世で何の結びつきだったか・・・凡人の私は知るよしもないが、私から見ていた

二人を少しずつ書いてみたい。何故なら、多分そのことについては、私が一番知っているからだ。

毎日、木村氏と私は電話で話をしていた。その頃の私は酷い鬱状態・・・家庭はめちゃくちゃ・・

そんなわたしを見かねてか・・木村氏は毎日電話をくれた。そのときに必ず二人の共通の話題・・

それは、「藤岡さんの事」が話された。藤岡さんはどう思っていたか知らないが、

前日の藤岡さんの行動は木村氏から私に全て話された・・・

だから、私はお二人の生活や心的状況を、自然と全てに近く知っている・・・好むと好まざるとに

関わらず・・・

私が車を持っていて、運転も出来る関係上、よくお二人は私の車に乗車された。

乗る時はよくお二人は喧嘩をしていた。家でも、ホールでも、どこでもよく喧嘩をするのだった。

木村氏は外だからといって、自分を抑えることはあまりしなかったように見えた・・・いいや、むしろ

外の方が感情的に見えたと思う・・・実際のご本人は、誰よりも優しい穏やかな心を持ちあわせて

おられる。

よくお二人は、何故、あんなにタイプの違う二人が・・・と、色々取りざたされたようだ。

確かに、私もそう思う時もあった。だが、実はお二人は、とてもよく似ていたのだ・・

人としての表現が違うだけで・・・わかりやすく共通していたのは、二人とも舞台・芸・・・・

と言うものに対しての、純粋な姿勢と熱い情熱とを持っていたことだと思う。

魂が熱かった・・・温度としては藤岡さんのほうが熱いかも・・・とさえ思う。

大の男が二人、どんな小さな舞台でも淡々とそして、真摯に向かっていた・・・私はずっと

それを見続けた。そのことで、あたり構わず二人は討論していた・・・・藤岡さんの舞台は

どれも素晴らしく勉強になり、彼を見続ける機会に恵まれた自分の幸運を思った。

木村氏はそんな藤岡さんを命を張って守っていらした・・・と、私は感じた。

命を張って、人一人・・・今時、親でさえできない人もいる事を、他人に対してやっていた・・・・

それが、「木村天山」・・・という人間である事を最近ようやく、確信している。

命を張って守っている人の心に勝るものがあろうか・・・・ありはしない。

ど演歌が好きで、魚が好きで、フランス料理なんて気取ったものなんか食べるもんかという木村

氏と、おしゃれが好きで買い物が好きで、ヨーロッパが好きでフランス料理やワインも大好きな

藤岡さんは、趣味の面ではまったく相容れなかった。でも、もっともっと、深いところでお二人は

深く結びついているように思えた・・・それは、魂レベルかもしれない・・・とさえ思う。

現在もこれである・・・と断定は出来ない。私もあの世に行ったら、わかるかも・・・知れない

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