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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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みなさま、おはようございます!

本日、11月23日夜遅く、「テラの会」一行は

到着予定です。

毎回、そう思うのですが、テラの会は、何の事故も無く

酷い事にも遭わず、恙無く活動を終える事がまず、

在り難くすばらしい事だと感じております。

何かあっても不思議ではない所に、いつも滞在し

活動しているからです。


ところが、なんとここに来て

今朝、最後のお電話を致しました所、

デモの為、空港封鎖になるかもしれない・・・

と言う情報を受けました。

タイと言う国の、良い意味でも悪い意味でも

適当さ、いい加減さ、をよくご存知の、代表は

笑っておられました。

「どうなるか、わからないけれど、代わりに

私が演説する」と、おっしゃっておられました。

「それはいい案ですね。じっと待っているより・・」

と、答えた私は、おかしいのでしょうか・・・?

さて、帰りもチャイナエアラインでの台北経由

で、お帰りになります。


無事、到着のご連絡をお待ちいたします。





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戦没者追悼慰霊・衣類、タオル・食料・文具支援も、

全て無事終えて、テラの会一行は、

今、パタヤに居ます。

前にも書いたように、どっと疲れが出て、

24時間 観光の街 パタヤ で、

ゆっくりと体を休めているようです。


パタヤのホテルもいつものホテルに

移動しました。

何度も泊まっているので、もう顔なじみです。

従業員のおばさんたちが、話しかけてきます。


げんきだったぁ~

私、今ここ突き指したのよ・・・とかなんとか、

まるで、ご近所さんのようです。

代表は持っていた冷えピタを、彼女の指に

巻いてあげました。

彼女は嬉しそうに、仕事に戻っていきました。


明日の朝早く、帰国の途につかれます。

夜遅く、日本に着きます。

本当に、お疲れ様でした。

来年の一月は、私も同行します。


今から楽しみです。

拍手[1回]

私の日々徒然は、只今、「テラの会」一色に

なってしまいました。


しかし、なんと「テラの会 副代表」に昇格致しましたので

仕方がありません。

昇格手当て欲しいなぁ・・・・


さて、支援活動報告、です。

メーソートの森の中の学校??で

とても楽しく嬉しいことがありました。

それは、私も今回「テラの会」が訪れるのを

楽しみにしていた、前回「さくらさくら」」を歌った

元豚小屋?を、改良?して、学び生活している

所です。


このトップページにも動画が出ています。

そこは、ビルマ人のおばぁちゃんが、管理しています。

NGOは、関係しておらず雰囲気も前のままでした。


前回、このおばぁちゃんはいらっしゃらなかったのですが、

「子供達から、あなた方の話を聞いている。」

「僕は洋服を貰った」とか、本の日本の国旗を

指差して「この国旗の国の人だよ」とか、なんと!

「さくらさくら」を覚えてくれていました。


日本と言うと「さくらさくら」になっていたのです!!

テラの会一行は大歓迎を受け、手作りのきのこの

てんぷらや、自分達で作ったポテトチップなど、

こちらが恐縮してしまうほどだったようです。


テラの会も、ビスケットやジュースや衣類や文具を

渡しました。新しい情報ですが、鉛筆より、ボールペンを

使うようです。


駆け寄って握手を求めてきた少年は、もう卒業?していました。

あの澄んだ瞳が濁らないように、巣立ってくれたら・・と

願わずにはおられません。

女性の先生は、他所のに移ったようです。男性の先生は

凛々しくハンサムになって活躍しているようです。

残念なことは先生が、一人しか居ないことです。


代表とおばぁちゃんは、イロイロ語り合ったようです。

メータオクリニックにタオルや衣類を

持って行く話をしたら、「ありがとう。あそこは

大変だから、みんな喜ぶと思う」と、おっしゃって

おられたようです。とても、温かみと包容力のある

おばぁちゃんで、貧しくても、ここに居る子供は、

ここに居る間は幸せでしょう・・・・


大きな支援であっても、

小さな支援であっても、

その子供の人生の責任を取る事は出来ません。


一人の子が大怪我をして、ボランティアの医師に

助けられたとしても、どこか、別の場所では、

別の子が、無意味な砲撃で亡くなったり、

売買されたりしているのです。

それが、現実です。


メーソートの森には、これからも難民や子供たちが

集まって来るでしょう。何もかも足りない所です。

持っていけるものは持って行って渡したい・・

それだけの事・・・人として普通の事をしたいだけです。


メータオクリニックは、様々な国の人が、様々な形で

支援していました。「テラの会」を、変な目で見ることも無く

とても自然に受け入れてくれました。とってつけたような

ことも言わないし、干渉もしない。

なので、大変スムーズに、バスタオルやタオルや衣類を

渡して歩くことが出来ました。

ここは、もっとも、タオルやバスタオルが必要な所です。


メーソートのホテルのメイドさんたちも私達には何か

ありませんか?と言って来ました。彼女たちは、安い月給で

働き、家族に仕送りしているのです。

ホテルにいた5名のメイドさんたちにも、好きな服をどうぞと

言って渡してきました。私が行った時も、渡した記憶があります。


これで、全てを渡し終えたのでした。時間が前後しましたが、

お許しくださいませ。



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テラの会は、その9でご報告の通り、

今現在パタヤに居ます。

全ての支援を終え、体を休めているようです。


パタヤは、凄く楽しそうな観光地らしく、

(私も行った事がないので分かりません)

観光で来る人にとっては、必要なものが

全てあるだろうと、代表がおっしゃっていました。

また、賑やかで24時間ずっと遊べる所のようです。


テラの会は、パタヤも何度も訪ね、海岸沿いの

ストリートチルドレンに、衣服支援や、食糧支援を

してきました。


せっかくだから、一晩ぐらい夜の街に繰り出そう・・

と、いつも意気込みはあるのですが、如何せん

毎度の事で、疲れ果てて早々と眠り、食事も

外の屋台で買ってきて、部屋で食べるという

ありさまです(笑)


そのぐらい疲れるのです。

何故でしょうか?


それは、代表の場合特に、一人ひとりの

目線に立って、その子の心に寄り添うからです。

そして、サイズを合わせ、どちらにしようか?

などと、心の交流やスキンシップをしながら

「手渡し」するからです。


そんな馬鹿げた支援を、とお思いになりますか?

私はそうは思いません。

私が、その子供だったら、日本から来たと言う、

ちょっと変てこな着物を着たおじさんが、

とても優しい笑顔で、丁寧に選んで私に

この洋服をくれたと、心に残る事でしょう。


子供・・・特に、恵まれない子供は、すぐ見抜きます。

この大人は嘘つきか、そうでないか・・・

子供たちが嬉しいと私達も嬉しい・・・共感です。

本当のコミュニケーションだと思います。


子供達から教えられた・・・とか、

そんなものでもない。ただ、楽しく共感しあうのです。


今の日本に一番欠けているものでは

ないでしょうか?


一枚の衣類が、一本の鉛筆が、

「こころ」を伝えます。日本の心です。


大きな団体だから出来る事・・・

医者だから出来る事・・・・

etc・・・・・・・

だったら、テラの会が出来る事を

すればいい・・・・

もっと言ったら、あなたが出来る事を

すればいい・・・・

何もしないなら、何も言わないで・・

何も思わないで・・・・・欲しい。

拍手[2回]

テラの会は、一昨日、メーソートのドムアン空港

(国内線)から、バンコクへ飛び、バンコクから

バスに思いっきり揺られて、パタヤに、居ます。


あのパタパタ飛行機(私がネーミング)は、結構

怖くて楽しい・・・足元のすぐ下は、広がる空間で

あることがリアルに伝わってきて、一度乗られると

良いと思います。一応プロペラとエンジンの混合です。

鉄の塊の中に居て、空中に浮いてるっていうの!!

実感できます。


バスは3時間・・・これが、疲れるったら何の・・

何しろ道が立派だから、バスの大荷物のように、

なすがまま、きょうりがぱぱ・・状態。眠る事もできず

身を任せるしか方法がありません。


でも、出来うる限りお金を使わないため、自分達の限界と

経済を計算しながら、旅を続けます。

本当に節約の旅です。


さて、今朝の電話の前に、メーソートの追悼慰霊・衣服支援etc

について、まだ書いていない事を伝えます。


私も訪ねた森の学校の中で、いくつかはNGOによる、支援が始まり

食べ物や飲み物また、寝る場所には不自由がないようだったので

或る意味安心致しました。しかし、子供達の生活のお世話を実際に

行っているのは、実はビルマ人か、タイ人で、一ヶ月1000バーツで

子供達のお世話をしているようでした。

プロテスタントですから、礼拝には、必ず参加させられているようです。


そして、以前訪ねた森の学校には、まだ幼稚園ぐらいの子は

そこに残されていました。何故だか解りません。

また、NGOが、管理している場所で働いている若者も、衣服が無いようで

代表に、ぼく達の分は何かありませんか?と、聞かれたそうです。

それで、さしあげたとおっしゃっていました。


その日は、中野さんの息子さんの奥様(NGOの方で聡明で何ヶ国語も

話す方・・・)は、いらっしゃれなくて、中野さんのお孫さんが車を運転して

くださり、中野さんの親友のHさんと、

そのお嬢さん(先日、日本に語学留学でいらした方)と、

お姉さんが森の学校の案内や、支援のお手伝いもしてくださいました。



テラの会を通じてこのような交流、またお付き合いが始まるのは

本当に嬉しい事です。何もいわなくても通じるからです。

だから、言葉が通じなくても大丈夫なのです。



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