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本日は、寿町の衣服支援のお手伝いをした。
今ではもう顔なじみなった人がいる。
前回行った時に、
「待ってたよ」と言われた車椅子のおじいちゃん・・
普通のズボンではなくて、ジャージーのズボンじゃないと
脱ぎ着がしにくいから・・と言う。
それが、普通のズボンはあるけれど、ジャージーと言うか
パジャマのズボンのようなものは、意外に無いのです。
世の殿方は、背広は何着も持っているけれど、
自宅でくつろぐお洋服は、少ないみたい。
それに反して、女性の衣類の多さったらない。
倉庫一杯分、全部女性物、もう一つの倉庫は
男性、子供、学用品、その他・・・と言う状態である。
女性がおしゃれ好き、買い物好きなのは、悪い事では
ないけれど、改めて、認識させられた。
家で着る、ゆったりしたズボンやトレーナー、重宝します。
捨てずに洗濯して、大切にしまって置いてください。
今のところ、収容能力を越えてしまったので、
また、減ったら、テラの会ホームページでも、
理事である私のホームページでも告知を致します。
今日は、いつもの方が、いらしゃらなくて
新しい方ばかりで、少し戸惑いましたが、
その内に、また慣れることでしょう。
今ではもう顔なじみなった人がいる。
前回行った時に、
「待ってたよ」と言われた車椅子のおじいちゃん・・
普通のズボンではなくて、ジャージーのズボンじゃないと
脱ぎ着がしにくいから・・と言う。
それが、普通のズボンはあるけれど、ジャージーと言うか
パジャマのズボンのようなものは、意外に無いのです。
世の殿方は、背広は何着も持っているけれど、
自宅でくつろぐお洋服は、少ないみたい。
それに反して、女性の衣類の多さったらない。
倉庫一杯分、全部女性物、もう一つの倉庫は
男性、子供、学用品、その他・・・と言う状態である。
女性がおしゃれ好き、買い物好きなのは、悪い事では
ないけれど、改めて、認識させられた。
家で着る、ゆったりしたズボンやトレーナー、重宝します。
捨てずに洗濯して、大切にしまって置いてください。
今のところ、収容能力を越えてしまったので、
また、減ったら、テラの会ホームページでも、
理事である私のホームページでも告知を致します。
今日は、いつもの方が、いらしゃらなくて
新しい方ばかりで、少し戸惑いましたが、
その内に、また慣れることでしょう。
11月5日(月)に、横浜山手イギリス館にて、
「第23回 万葉のこころを歌う 辻 友子 リサイタル」
を、開催いたします。
万葉集を、オリジナル楽曲でというだけでも、
日本に類を見ないのに、ショパンのノクターンと
組み合わせで聴けるなんて、どこにもないコンサートです。
ノクターンの語源はラテン語で、Noxから派生し、修道院で
行われる晩祷のことを言うそうです。まぁ、夜の瞑想と言うか
黙祷というか・・・・それが、サロン音楽と結びついて、ノクターン
と言うジャンルが形成されたようです。
ショパンは、ノクターンを、作曲全般の時期に渡って作っているので
ショパンの作風を研究する上でも、ノクターンと言うジャンルは
重要です。
また、聞き覚えのある曲が多いのも特徴ですね。
万葉集では「ぬばたまの夜の月かな・・・」・などと
申しますが、ショパンにとっての夜想曲は、どのような
想いであったのか・・・比較してみると面白いかもしれません。
どちらにしても、どこででも聴けるコンサートではありません。
楽しみにいらしてくださいね!!
「第23回 万葉のこころを歌う 辻 友子 リサイタル」
を、開催いたします。
万葉集を、オリジナル楽曲でというだけでも、
日本に類を見ないのに、ショパンのノクターンと
組み合わせで聴けるなんて、どこにもないコンサートです。
ノクターンの語源はラテン語で、Noxから派生し、修道院で
行われる晩祷のことを言うそうです。まぁ、夜の瞑想と言うか
黙祷というか・・・・それが、サロン音楽と結びついて、ノクターン
と言うジャンルが形成されたようです。
ショパンは、ノクターンを、作曲全般の時期に渡って作っているので
ショパンの作風を研究する上でも、ノクターンと言うジャンルは
重要です。
また、聞き覚えのある曲が多いのも特徴ですね。
万葉集では「ぬばたまの夜の月かな・・・」・などと
申しますが、ショパンにとっての夜想曲は、どのような
想いであったのか・・・比較してみると面白いかもしれません。
どちらにしても、どこででも聴けるコンサートではありません。
楽しみにいらしてくださいね!!
日本は、近代西洋を(ヨーロッパとアメリカ)を「進歩」の
文明と信じてその文物移入に努めて来ましたけれど、
ほかならぬこの西洋は、18,19世紀の前後300年間ほどに
途方も無い数の黒人奴隷を両大陸間で売り買いした文明でも
ありました。その間、アフリカから拉致売買された黒人の総数は
1500万人に上るであろう、と言うのが、現在、最も権威ある
西洋側の専門家達の定説になっています。
20世紀の初めに至るまで、全欧米の諸国家は「人道的・・・
文明的・・・全能の神の御名により」を謳い文句に、実際は
奴隷制度の黙認に過ぎない合同規約ー南ア連邦のアパルトヘイト
に至っては、事実上の廃止まで、実に1993年まで待つ必要が
あったのです。
「アパルトヘイト」とは、「アフリカ収奪の最暴力的、最長的形態」
といわれた、黒人への徹底差別政策の事です。ポルトガル人・
新教徒系フランス人・他のヨーロッパ人によって、20世紀後半に
至るまで繰り返し法令化され、それによると、土地の92パーセント
余りは白人のもの、そのわずか残余が黒人のものに過ぎないとされ
黒人は都市区域から完全追放、また、人口増加を恐れて、白人との
性的関係まで、禁止されるというような、非人間的扱いでした。
この悪夢のようなアパルトヘイト法が、廃止と決まったのは、
ようやく、1990年(平成2年)のことです。そして、その事実上の
廃止まで、さらに3年間待たねばなりませんでした。
-祈りの御歌より抜粋ー
文明と信じてその文物移入に努めて来ましたけれど、
ほかならぬこの西洋は、18,19世紀の前後300年間ほどに
途方も無い数の黒人奴隷を両大陸間で売り買いした文明でも
ありました。その間、アフリカから拉致売買された黒人の総数は
1500万人に上るであろう、と言うのが、現在、最も権威ある
西洋側の専門家達の定説になっています。
20世紀の初めに至るまで、全欧米の諸国家は「人道的・・・
文明的・・・全能の神の御名により」を謳い文句に、実際は
奴隷制度の黙認に過ぎない合同規約ー南ア連邦のアパルトヘイト
に至っては、事実上の廃止まで、実に1993年まで待つ必要が
あったのです。
「アパルトヘイト」とは、「アフリカ収奪の最暴力的、最長的形態」
といわれた、黒人への徹底差別政策の事です。ポルトガル人・
新教徒系フランス人・他のヨーロッパ人によって、20世紀後半に
至るまで繰り返し法令化され、それによると、土地の92パーセント
余りは白人のもの、そのわずか残余が黒人のものに過ぎないとされ
黒人は都市区域から完全追放、また、人口増加を恐れて、白人との
性的関係まで、禁止されるというような、非人間的扱いでした。
この悪夢のようなアパルトヘイト法が、廃止と決まったのは、
ようやく、1990年(平成2年)のことです。そして、その事実上の
廃止まで、さらに3年間待たねばなりませんでした。
-祈りの御歌より抜粋ー
アンゴラの首都(ルアンダ)にしても、20世紀初め
-1904年ーに至っても、まだ次のような信じられない
光景が展開していたのです。
「目の前の平原の木には、そこにぶらさがった手かせ足かせ
に黒人奴隷たちが、一面にくくりつけられている。次の人間貨物
を船積みして帰ってくるときに、まだ、こいつらを使えるだろうとの
奴隷商人たちの魂胆である・・・・・」
ある西洋人のジャーナリストにリポートされた、この地獄絵は、
さすがに先進諸国にスキャンダルを巻き起こしたと言われますが、
驚くのはまだ、早すぎます。
ここでの、奴隷制は第一次世界大戦後まで、廃止される事は
なかったのですから。現在、アンゴラ共和国と呼ばれるこの国
そのものが、このような苛酷な収穫によって、ただの「飢えの国」
と呼ばれるまでに崩壊してしまっっていたのです。
第2次世界大戦後、ヨーロッパを宗主国とするアフリカ諸国は
共和国として一応、独立はしたものの、その後もなお、豊富な
天然資源を求める諸大国の利害と結びついて、明日なき紛争の
拡大に苦しみ続けています。
-祈りの御歌より抜粋ー
-1904年ーに至っても、まだ次のような信じられない
光景が展開していたのです。
「目の前の平原の木には、そこにぶらさがった手かせ足かせ
に黒人奴隷たちが、一面にくくりつけられている。次の人間貨物
を船積みして帰ってくるときに、まだ、こいつらを使えるだろうとの
奴隷商人たちの魂胆である・・・・・」
ある西洋人のジャーナリストにリポートされた、この地獄絵は、
さすがに先進諸国にスキャンダルを巻き起こしたと言われますが、
驚くのはまだ、早すぎます。
ここでの、奴隷制は第一次世界大戦後まで、廃止される事は
なかったのですから。現在、アンゴラ共和国と呼ばれるこの国
そのものが、このような苛酷な収穫によって、ただの「飢えの国」
と呼ばれるまでに崩壊してしまっっていたのです。
第2次世界大戦後、ヨーロッパを宗主国とするアフリカ諸国は
共和国として一応、独立はしたものの、その後もなお、豊富な
天然資源を求める諸大国の利害と結びついて、明日なき紛争の
拡大に苦しみ続けています。
-祈りの御歌より抜粋ー
★ まどあけつつ ききゐるにゅーす なんアなる
あぱるとへいとほう はいされしとぞ
美智子皇后陛下
アフリカにおいては、何千年間というものの、賢者によって
知恵が語り継がれてきました。また、賢者のみが
真に語る力というものをそなえているとされてきております
アンゴラにおいても、口伝は、記述聖典と同格の厳しさを保ち
ことば(パロル)は神聖とされてきました。
ブラック・アメリカでは、実用文字がシステム化されなかったために
かえって、パロル文化、すなわち「豊饒の聖言」を大切にしてきた
とも言えるでしょう。
日本の和歌も、それが文字によって書き留められる以前、上古の昔に
すでに音によって歌われ、文字が出来てからも歌われ続けてきました。
宮中での歌会始は、その生ける伝統の素晴らしい継承をあらわして
いるのです。
ヤマト民族ー古代日本民族の名ーの古い古い感情が、いまなお
そのなかに息づいていると感じるようになりました。
-祈りの御歌より抜粋ー
あぱるとへいとほう はいされしとぞ
美智子皇后陛下
アフリカにおいては、何千年間というものの、賢者によって
知恵が語り継がれてきました。また、賢者のみが
真に語る力というものをそなえているとされてきております
アンゴラにおいても、口伝は、記述聖典と同格の厳しさを保ち
ことば(パロル)は神聖とされてきました。
ブラック・アメリカでは、実用文字がシステム化されなかったために
かえって、パロル文化、すなわち「豊饒の聖言」を大切にしてきた
とも言えるでしょう。
日本の和歌も、それが文字によって書き留められる以前、上古の昔に
すでに音によって歌われ、文字が出来てからも歌われ続けてきました。
宮中での歌会始は、その生ける伝統の素晴らしい継承をあらわして
いるのです。
ヤマト民族ー古代日本民族の名ーの古い古い感情が、いまなお
そのなかに息づいていると感じるようになりました。
-祈りの御歌より抜粋ー