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そのほかの情報・・・・
最後の日は、帰国の飛行機の
関係で、マニラ泊でした。
前回、泊まったホテルが予約でいっぱいで
仕様がなく、テラの会としては かなり
高級なホテルに一泊する事になりました。
一泊、二人で2500ペソ(5000円)です。
でも、これぐらいは 許されても良いのでは・・・・
マニラは自然災害も多く、火事も多いです。
2~3日前にも、大火事があったそうです。
大洪水もありました。
4ヶ月前にも、大火事がありました。
物乞いする人も、増えます。
中国からの北京ダックの密輸のトラックも
つかまりました。
毎日のように、けっこうな事件が起こっているようです。
片や、私が知らなかった事は、
イロイロの空港やエアポートバスも
日本の支援によって
建設され、作られていた事です。
イロイロという町も知らなかったです・・・
理事としては 恥ずかしい限りですね。
「辻さん、パプアのラバウル空港も、日本資本なんだよ」
と、教えられました。
日本って 結構 偉い!!
最後の日は、帰国の飛行機の
関係で、マニラ泊でした。
前回、泊まったホテルが予約でいっぱいで
仕様がなく、テラの会としては かなり
高級なホテルに一泊する事になりました。
一泊、二人で2500ペソ(5000円)です。
でも、これぐらいは 許されても良いのでは・・・・
マニラは自然災害も多く、火事も多いです。
2~3日前にも、大火事があったそうです。
大洪水もありました。
4ヶ月前にも、大火事がありました。
物乞いする人も、増えます。
中国からの北京ダックの密輸のトラックも
つかまりました。
毎日のように、けっこうな事件が起こっているようです。
片や、私が知らなかった事は、
イロイロの空港やエアポートバスも
日本の支援によって
建設され、作られていた事です。
イロイロという町も知らなかったです・・・
理事としては 恥ずかしい限りですね。
「辻さん、パプアのラバウル空港も、日本資本なんだよ」
と、教えられました。
日本って 結構 偉い!!
今頃、テラの会一行は飛行機に乗って
いらっしゃるでしょうか?
それとも、乗り継ぎで待っているのでしょうか?
きっと、クタクタになって、帰国されるに違いありません。
事務所に到着する前に、なんとかして、
ご報告を、済ませねば・・・・・
代表から聞いた、そのほかの事です。
テラの会は、旅先で不思議な出会いが
よくあります。奇跡・・とまではいきませんが、
導かれたような感じはします。
今回は、代表が道を間違えた所から始まりました。
チャーチを、見てみようと、
間違えて入った路地で、主婦のような女性がいました。
話してみると、日本語が少し通じます。ご主人が
日系の企業に勤めていたそうです。
そして、チャーチに連れて行くといいます。
神父さんに逢わせると言うのです。
なすがままに付いて行くと、
司祭さまでした。
代表は、カソリック教徒でもあるので、
吃驚したそうです。
司祭さまには、アポイントを取らなければ
気軽には会えないそうです。
司祭さまは、代表を歓待し、中に案内しました。
普段、イエス・キリストの像が掛けられているところには
マリアさまのお母様のアンナの像が賭けられており、
聖人の像は全て女性だったそうです。
それでは、イエス・キリストは何処へ・・・・
チャーチの後ろに掛けられていました。
面白い事ですね。
ロザリオが20ペソで売られていたそうです。
また、情報収集の為に、スエヒロと言う、
戦前からあるという、食堂を捜しました。
スエヒロの名前は残っておりましたが、
高級ホテルの日本料理やに
なっていました。
日本統治時代や戦争中の話を
伺いたかったのですが、初代の
店主とは、全く関係の無い人に
名前のみ渡されたようで、写真が
残っておりましたが、その当時の事や
創立当時の事を知っている人は、
もうおりませんでした。
フィリピンは、とりわけマニラは
危険といわれますが、確かに
銃社会ですし、タイのように
適当な国でも、王様には敬意を払い
王様も国民の事を考えるというような
国家ではありません。
土着の民族は、スペイン統治時代に
やられてしまい、殆ど伝統と言うものを
壊されました。言葉は少し残っては
いるものの、英語が共通語です。
田舎に住み、教育を受けられない
子供達や大人達は、
その村以外は知らないので貧しいですが
意外に、穏やかで平和だったようです。
ただし、マニラは別だと、代表はおっしゃっておりました。
いらっしゃるでしょうか?
それとも、乗り継ぎで待っているのでしょうか?
きっと、クタクタになって、帰国されるに違いありません。
事務所に到着する前に、なんとかして、
ご報告を、済ませねば・・・・・
代表から聞いた、そのほかの事です。
テラの会は、旅先で不思議な出会いが
よくあります。奇跡・・とまではいきませんが、
導かれたような感じはします。
今回は、代表が道を間違えた所から始まりました。
チャーチを、見てみようと、
間違えて入った路地で、主婦のような女性がいました。
話してみると、日本語が少し通じます。ご主人が
日系の企業に勤めていたそうです。
そして、チャーチに連れて行くといいます。
神父さんに逢わせると言うのです。
なすがままに付いて行くと、
司祭さまでした。
代表は、カソリック教徒でもあるので、
吃驚したそうです。
司祭さまには、アポイントを取らなければ
気軽には会えないそうです。
司祭さまは、代表を歓待し、中に案内しました。
普段、イエス・キリストの像が掛けられているところには
マリアさまのお母様のアンナの像が賭けられており、
聖人の像は全て女性だったそうです。
それでは、イエス・キリストは何処へ・・・・
チャーチの後ろに掛けられていました。
面白い事ですね。
ロザリオが20ペソで売られていたそうです。
また、情報収集の為に、スエヒロと言う、
戦前からあるという、食堂を捜しました。
スエヒロの名前は残っておりましたが、
高級ホテルの日本料理やに
なっていました。
日本統治時代や戦争中の話を
伺いたかったのですが、初代の
店主とは、全く関係の無い人に
名前のみ渡されたようで、写真が
残っておりましたが、その当時の事や
創立当時の事を知っている人は、
もうおりませんでした。
フィリピンは、とりわけマニラは
危険といわれますが、確かに
銃社会ですし、タイのように
適当な国でも、王様には敬意を払い
王様も国民の事を考えるというような
国家ではありません。
土着の民族は、スペイン統治時代に
やられてしまい、殆ど伝統と言うものを
壊されました。言葉は少し残っては
いるものの、英語が共通語です。
田舎に住み、教育を受けられない
子供達や大人達は、
その村以外は知らないので貧しいですが
意外に、穏やかで平和だったようです。
ただし、マニラは別だと、代表はおっしゃっておりました。