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★ 御食向かふ 淡路の島に 直向かふ 敏馬の浦の 沖辺には
深海松採り 浦廻には 名告藻刈る 深海松の 見まく欲しけど
名告藻の 己が名惜しみ 間使も 遣らずてわれは 生けりともなし
★ みけむかふ あわぢのしまに ただむかふ みぬめのうらの
おきへには ふかみるとり うらみには なのりそかる
ふかみるの みまくほしけど なのりその おのがなをしみ
まづかひも やらずてわれは いけりともなし
★ 大君の食膳に供える粟、その淡路島に真正面に向き合う敏馬の浦の
沖のほうでは 深海松を採り、浦の廻りでは、なのりそを刈っている
深海松のように、深く見たいと思うけれど、 なのりそのように
私の名前が、噂になるのを畏れて、恋の使いも遣らずにいる
私は、とても生きている心地がしない
巻6-946 山部赤人
男らしくないですね・・・だったら、使いをやって、恋心を伝えたら
宜しいでしょうに・・・・だらしのない
深海松・・・深いところに生えていて中々見る事の出来ない例え
な告りそ・・・ 名を告げることに掛けた例え
深海松採り 浦廻には 名告藻刈る 深海松の 見まく欲しけど
名告藻の 己が名惜しみ 間使も 遣らずてわれは 生けりともなし
★ みけむかふ あわぢのしまに ただむかふ みぬめのうらの
おきへには ふかみるとり うらみには なのりそかる
ふかみるの みまくほしけど なのりその おのがなをしみ
まづかひも やらずてわれは いけりともなし
★ 大君の食膳に供える粟、その淡路島に真正面に向き合う敏馬の浦の
沖のほうでは 深海松を採り、浦の廻りでは、なのりそを刈っている
深海松のように、深く見たいと思うけれど、 なのりそのように
私の名前が、噂になるのを畏れて、恋の使いも遣らずにいる
私は、とても生きている心地がしない
巻6-946 山部赤人
男らしくないですね・・・だったら、使いをやって、恋心を伝えたら
宜しいでしょうに・・・・だらしのない
深海松・・・深いところに生えていて中々見る事の出来ない例え
な告りそ・・・ 名を告げることに掛けた例え
★ たまもかる からにのしまに しまみする
うにしもあれや いへおもはざらむ
★ 美しい藻を刈る辛荷の島で、餌を取る為に廻り飛ぶ鵜だとでも
いうのだろうか・・・・鵜ではない・・鵜ではないから
どうして家をい思わずにいられようか・・・・
巻6-943 山部赤人
「しもあればや」の略で「しもあれや」となる。万葉集は読んでいる歌を
漢字に当てはめたものを、また、読み下したものが、様々な研究者に
よって書かれている。どれが、正しいか、時代性もあり、分からないと
言うのが本当のところだろうか・・・私は、研究者ではないので、感性で
万葉の歌を受け止めたいと思う。
何故なら、漢字の音読みに当てはめただけで、全く漢字の意味とは別の
場合あり、漢字の意味も含めた上で当てはめた場合あり、上記のように
文法上のことを、省略して表現することあり・・素人は混乱する。
なので、感性で感じるままに読みたいと思う。それでいいと思う。
何故なら、万葉集は日本の人々のものであるから・・・・
うにしもあれや いへおもはざらむ
★ 美しい藻を刈る辛荷の島で、餌を取る為に廻り飛ぶ鵜だとでも
いうのだろうか・・・・鵜ではない・・鵜ではないから
どうして家をい思わずにいられようか・・・・
巻6-943 山部赤人
「しもあればや」の略で「しもあれや」となる。万葉集は読んでいる歌を
漢字に当てはめたものを、また、読み下したものが、様々な研究者に
よって書かれている。どれが、正しいか、時代性もあり、分からないと
言うのが本当のところだろうか・・・私は、研究者ではないので、感性で
万葉の歌を受け止めたいと思う。
何故なら、漢字の音読みに当てはめただけで、全く漢字の意味とは別の
場合あり、漢字の意味も含めた上で当てはめた場合あり、上記のように
文法上のことを、省略して表現することあり・・素人は混乱する。
なので、感性で感じるままに読みたいと思う。それでいいと思う。
何故なら、万葉集は日本の人々のものであるから・・・・