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代表とスタッフは、タイのチェンライから、いよいよミャンマーへと
出発した。三等バス・・要するに、一番安いバスである。
35バーツ・・日本円で約100円ほど、それに一時間半乗る。
揺れるなんて表現では足りない乗り心地だったそう・・・
国境のタイ側の川沿いには、以前来た時に、衣服を支援した子どもたちは
見当たらなかった・・代表は、その子たちに再会するのを楽しみにして
いたようだ。そばらく、休んでいると、初めて会う子どもたちが出てきた
・・・女の子は4歳から6歳ぐらい、男の子は6歳から10歳ぐらい・・
今までの子どもたちと違って、自分から物乞いをしてきた。「マネー」
と言う・・・行きかう人々は、みんな無視している。彼らは余計に
大きな声で、しつこく「マネー」「マネー」というのだった。
代表はそういう子供たちの姿を見て、悲しかったようだった。
それでも、貧しいからである。
衣服を支援し、いよいよ、ミャンマーに入国。
民主化が進んでいるせいだろうか・・以前と違い非常に好意的に
スムーズに入国が済んだ。
早速、テラの会は、以前行った、スラムに向かった。
そこのスラムも変わっていた・・立派な建物が出来ていた・・・と
思ったら、入口だけで、中に入ると以前のままだった。
もう一つ、そこはスラムではなかったのだ。ミャンマーの普通の人々が
住んでいる場所だった。でも、テラの会の代表を覚えていた人々が
いた。以前、支援した服を着ている女の子もいる。嬉しい。
みんなでパーティのようなことしていたらしい・・・衣服を渡そうと
すると、「いらない」と言う。貧しいけれど必要でないものはいらない
のである。それで、支援はしなかった。
そこからが、いかにも「テラの会」であった。
偶然にも(いつも・・そうだけれど・・・)そこにいた、青年が
英語が喋れたので、スタッフが様々な事を話していると、タチレクに
どこからも支援を受け事がない、孤児院がいくつかあるという・・・
いつも、こうなのだ。私はこれこそ「奇跡」だと思う。
空中に浮かんだりするようなことは、けして「奇跡」ではない。
大体、空中に浮かんだからどうだっていうのだ。
話がそれてしまった。いつも、導かれるように至極、自然に事は
進んでいく。その青年が案内をしてくれ、バイクタクシーに乗り
その施設に向かう。そこは、ツードラゴン僧院と言って、尼僧さんが
子供たちの世話をしているらしい。勿論、公の機関も民間の機関も
どこも、知らない、だから、どこからも支援を受けたことがない、
孤児院である。最近、テラの会の役割が分かってきたような気がする。
どこからも、だれからも、感心を寄せられない人々や施設・・・そこに
いつも、「国際ボランティア テラの会」は導かれていくのである。
いつものように一人一人に手渡しをして、代表は、もっともっと渡したい
と言っていた。「必ずまた来るからね」一人ずつ握手をし名前を聞いた。
テラの会が見えなくなるまで、子どもたちも尼僧さんもずっと手を振っていた。
次回は、是非私も同行したいと思う。
その青年も、バイクタクシーの運転手まで、荷物を運ぶのを手伝って
くれたり、イミグレーションまで、見送ってくれた。
実に、さわやかな、充実した支援だったと、代表は申しておりました。
豊かな日本、貧しいアジアの国・・・何故か、子供たちの笑顔が多いのは
貧しくてもみなで助け合っている村などです。
ものの豊かさでは、幸せを感じることは出来ない・・何が幸せか・・・
考えさせられます。頭ではなく・・・心で・・・
出発した。三等バス・・要するに、一番安いバスである。
35バーツ・・日本円で約100円ほど、それに一時間半乗る。
揺れるなんて表現では足りない乗り心地だったそう・・・
国境のタイ側の川沿いには、以前来た時に、衣服を支援した子どもたちは
見当たらなかった・・代表は、その子たちに再会するのを楽しみにして
いたようだ。そばらく、休んでいると、初めて会う子どもたちが出てきた
・・・女の子は4歳から6歳ぐらい、男の子は6歳から10歳ぐらい・・
今までの子どもたちと違って、自分から物乞いをしてきた。「マネー」
と言う・・・行きかう人々は、みんな無視している。彼らは余計に
大きな声で、しつこく「マネー」「マネー」というのだった。
代表はそういう子供たちの姿を見て、悲しかったようだった。
それでも、貧しいからである。
衣服を支援し、いよいよ、ミャンマーに入国。
民主化が進んでいるせいだろうか・・以前と違い非常に好意的に
スムーズに入国が済んだ。
早速、テラの会は、以前行った、スラムに向かった。
そこのスラムも変わっていた・・立派な建物が出来ていた・・・と
思ったら、入口だけで、中に入ると以前のままだった。
もう一つ、そこはスラムではなかったのだ。ミャンマーの普通の人々が
住んでいる場所だった。でも、テラの会の代表を覚えていた人々が
いた。以前、支援した服を着ている女の子もいる。嬉しい。
みんなでパーティのようなことしていたらしい・・・衣服を渡そうと
すると、「いらない」と言う。貧しいけれど必要でないものはいらない
のである。それで、支援はしなかった。
そこからが、いかにも「テラの会」であった。
偶然にも(いつも・・そうだけれど・・・)そこにいた、青年が
英語が喋れたので、スタッフが様々な事を話していると、タチレクに
どこからも支援を受け事がない、孤児院がいくつかあるという・・・
いつも、こうなのだ。私はこれこそ「奇跡」だと思う。
空中に浮かんだりするようなことは、けして「奇跡」ではない。
大体、空中に浮かんだからどうだっていうのだ。
話がそれてしまった。いつも、導かれるように至極、自然に事は
進んでいく。その青年が案内をしてくれ、バイクタクシーに乗り
その施設に向かう。そこは、ツードラゴン僧院と言って、尼僧さんが
子供たちの世話をしているらしい。勿論、公の機関も民間の機関も
どこも、知らない、だから、どこからも支援を受けたことがない、
孤児院である。最近、テラの会の役割が分かってきたような気がする。
どこからも、だれからも、感心を寄せられない人々や施設・・・そこに
いつも、「国際ボランティア テラの会」は導かれていくのである。
いつものように一人一人に手渡しをして、代表は、もっともっと渡したい
と言っていた。「必ずまた来るからね」一人ずつ握手をし名前を聞いた。
テラの会が見えなくなるまで、子どもたちも尼僧さんもずっと手を振っていた。
次回は、是非私も同行したいと思う。
その青年も、バイクタクシーの運転手まで、荷物を運ぶのを手伝って
くれたり、イミグレーションまで、見送ってくれた。
実に、さわやかな、充実した支援だったと、代表は申しておりました。
豊かな日本、貧しいアジアの国・・・何故か、子供たちの笑顔が多いのは
貧しくてもみなで助け合っている村などです。
ものの豊かさでは、幸せを感じることは出来ない・・何が幸せか・・・
考えさせられます。頭ではなく・・・心で・・・