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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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昨日は、午前中、自宅にてボイストレーニング指導

私自身、様々な先生に教えていただいた。

イタリアでプロのオペラ歌手の指導をされている先生、

日本語には精通して、邦楽も学ばれて、日本歌曲を中心に

指導なさる先生、他にも多々いらっしゃる。

勿論、故藤岡宣男氏は、言うまでもない。氏については

藤岡宣男についてのブログで詳しく書いているので

ここでは書かない。もっとも、影響を受けた歌手である。

自分が自然に自由に、気持ちよく思った通り歌う為、まだまだ

勉強である。だから、様々なジャンルの歌のボイストレーニングを

勉強している。

指導料は馬鹿にならない。大体一時間一万円は払っている。

そこで学んだことを、ここには書けないぐらい破格のレッスン料で

指導している。だから、私のレッスンはお得である。

午後は、東京の中野まで、中西進先生の、万葉講義を受けにいった。

私も今回のコンサートは、万葉は大伴家持をテーマにしているのだが、

中西先生も大伴家持についてお話しくださった。

彼の持つ、とても繊細な部分についてのお話が中心であった。

取り上げられた和歌も、私がコンサートで歌う曲と、結構かぶっていた

受講生の前で、コンサートも紹介していただいたが、まぁ、横浜まで

来られる人はそうそういないであろう・・・

私の地道にコツコツと・・・はいつまで続くのであろうか・・・

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歌の活動とは別に、フィリピンのバコロドへ、

食糧支援と戦没者追悼慰霊の旅に行く。

経済的な理由でしばらく途絶えていた活動を

再び再開できる。なんとうれしい事であろうか。

しかし、衣服支援は再開できない。古着に見合わない

送料と手間がかかるのだ。

この活動は、国際ボランティアテラの会の主催者である

木村天山氏を中心として活動している。

私は、代表として、お手伝いさせていただく。

とても嬉しい。

日本は未だに遺骨収集に、予算を組まない。いや多少は

遺骨収集したらしいが、未だに、幾多の遺骨がそのまま放置され

追悼慰霊も殆ど行われていない。

第二次世界大戦で、病気や飢餓などで、戦死した

若い無名の多数の兵隊たちの魂は、未だに彷徨っている。

彼らの魂を、帰りたい場所へとお送りするお手伝いを

木村天山氏が、なさっておられる。

これは、誰にでも出来うることではないと思う。

私見で書かせてもらうと、輪廻転生を繰り返した魂を更に

精進して、けがれない魂になった、その魂の持ち主だけが

できうることだ。それも、その道へと、自然に導かれるのだ。


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経済的な理由と、体調の悪化から、停止していた

テラの会の活動が再開することになった。

テラの会主宰の木村天山氏が、また、

再び活動されるのだ。

テラの会代表である私も、とてもうれしい気持である。

但し、衣服支援は再開のめどがつかない。我々のやり方では

公明正大なのですが、あまりに手間とお金がかかるのである。

大金持ちでもなければ、出来ないのだ。だから、衣服支援は

本当にやりたいのだが、停止である。

しかし、戦没者追悼慰霊は、始まることとなった。

そう言っていると、BSで、インパール作戦の慰霊の旅という

番組がやっていた。

インパール作戦の説明はしない。インターネットで引けばいくらでも

出てくるので・・・

日本人なら、追悼慰霊をせずにはおられないだろう。

興味のある方、詳しいことを知りたい方は、

国際ボランティアテラの会を、検索してください。

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万葉のこころを歌う、と銘打って、コンサート
活動を続けています。

その心は・・・
万葉集には、日本人の、ありとあらゆる心性が
詠われているからです。

その後の、古今集、新古今などは、勅撰和歌集なので、
歌を詠んだ階層が限られます。

万葉集は、天皇・農民・乞食・遊女・貴族と、ありとあらゆる
階層の人々の歌があり、また読み人知らずの歌も沢山あります。
私なりの解釈で言うと、詠み人知らずの和歌は、詠い継がれてきたものです。
だから、それこそ、日本人の心性だと、思うのです。

日本人の心性は、大和心・・・・おほいなるやはらぎのこころ

争い・競争・妬み・嫉妬を、出来る限りもたずに
やはらぎの心で、物事や人に接すること、とでも言いましょうか・・・

すべての事が、そういう心根で動いてくれたら、と願わずにいられません

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歌手になったのは、39歳のとき。凄く遅いスタートだ。
それ以前に歌っていた合唱団はとてもハイレベル。
小澤征爾に認められてから、次々とすごい仕事が舞い込み、
世界的な指揮者の指導を受け世界でトップレベルのオーケストラと
同じ舞台に立たせてもらった。
それは、私にとってとても貴重な経験でした。耳も鍛えられ
一流の方の合唱指導を受けた。大切な財産だと思う。
どこかで、役に立てたいと思い、コーラスを作ることにした。

合唱団の中で、ストレスを感じ始めた。身体の中で
もやもやと動くものが合った。団員がピリピリしていて、
きつい言葉が飛び交う。舞台は一流のプロばかり、自分たちも
一流の合唱団だと言う、プライドもあったのだろう。
ハーモニーを楽しむなんて、雰囲気ではない。
とてもシビアだった。

ヤマハで、ふと手にした地味なチラシ・・・
それが、人生を変えたのだった。
藤岡宣男と言う、声種では、素人はあまり聞き覚えの無い
カウンターテナー。
私の好きな曲ばかり並んでいた。
オペラのアリア・日本歌曲・ドイツリート
女子高の非常勤講師をしていた私は、仕事帰り
みなとみらいホールに飛び込んだ。

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