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昨日は、午前中、自宅にてボイストレーニング指導
私自身、様々な先生に教えていただいた。
イタリアでプロのオペラ歌手の指導をされている先生、
日本語には精通して、邦楽も学ばれて、日本歌曲を中心に
指導なさる先生、他にも多々いらっしゃる。
勿論、故藤岡宣男氏は、言うまでもない。氏については
藤岡宣男についてのブログで詳しく書いているので
ここでは書かない。もっとも、影響を受けた歌手である。
自分が自然に自由に、気持ちよく思った通り歌う為、まだまだ
勉強である。だから、様々なジャンルの歌のボイストレーニングを
勉強している。
指導料は馬鹿にならない。大体一時間一万円は払っている。
そこで学んだことを、ここには書けないぐらい破格のレッスン料で
指導している。だから、私のレッスンはお得である。
午後は、東京の中野まで、中西進先生の、万葉講義を受けにいった。
私も今回のコンサートは、万葉は大伴家持をテーマにしているのだが、
中西先生も大伴家持についてお話しくださった。
彼の持つ、とても繊細な部分についてのお話が中心であった。
取り上げられた和歌も、私がコンサートで歌う曲と、結構かぶっていた
受講生の前で、コンサートも紹介していただいたが、まぁ、横浜まで
来られる人はそうそういないであろう・・・
私の地道にコツコツと・・・はいつまで続くのであろうか・・・
私自身、様々な先生に教えていただいた。
イタリアでプロのオペラ歌手の指導をされている先生、
日本語には精通して、邦楽も学ばれて、日本歌曲を中心に
指導なさる先生、他にも多々いらっしゃる。
勿論、故藤岡宣男氏は、言うまでもない。氏については
藤岡宣男についてのブログで詳しく書いているので
ここでは書かない。もっとも、影響を受けた歌手である。
自分が自然に自由に、気持ちよく思った通り歌う為、まだまだ
勉強である。だから、様々なジャンルの歌のボイストレーニングを
勉強している。
指導料は馬鹿にならない。大体一時間一万円は払っている。
そこで学んだことを、ここには書けないぐらい破格のレッスン料で
指導している。だから、私のレッスンはお得である。
午後は、東京の中野まで、中西進先生の、万葉講義を受けにいった。
私も今回のコンサートは、万葉は大伴家持をテーマにしているのだが、
中西先生も大伴家持についてお話しくださった。
彼の持つ、とても繊細な部分についてのお話が中心であった。
取り上げられた和歌も、私がコンサートで歌う曲と、結構かぶっていた
受講生の前で、コンサートも紹介していただいたが、まぁ、横浜まで
来られる人はそうそういないであろう・・・
私の地道にコツコツと・・・はいつまで続くのであろうか・・・
歌の活動とは別に、フィリピンのバコロドへ、
食糧支援と戦没者追悼慰霊の旅に行く。
経済的な理由でしばらく途絶えていた活動を
再び再開できる。なんとうれしい事であろうか。
しかし、衣服支援は再開できない。古着に見合わない
送料と手間がかかるのだ。
この活動は、国際ボランティアテラの会の主催者である
木村天山氏を中心として活動している。
私は、代表として、お手伝いさせていただく。
とても嬉しい。
日本は未だに遺骨収集に、予算を組まない。いや多少は
遺骨収集したらしいが、未だに、幾多の遺骨がそのまま放置され
追悼慰霊も殆ど行われていない。
第二次世界大戦で、病気や飢餓などで、戦死した
若い無名の多数の兵隊たちの魂は、未だに彷徨っている。
彼らの魂を、帰りたい場所へとお送りするお手伝いを
木村天山氏が、なさっておられる。
これは、誰にでも出来うることではないと思う。
私見で書かせてもらうと、輪廻転生を繰り返した魂を更に
精進して、けがれない魂になった、その魂の持ち主だけが
できうることだ。それも、その道へと、自然に導かれるのだ。
食糧支援と戦没者追悼慰霊の旅に行く。
経済的な理由でしばらく途絶えていた活動を
再び再開できる。なんとうれしい事であろうか。
しかし、衣服支援は再開できない。古着に見合わない
送料と手間がかかるのだ。
この活動は、国際ボランティアテラの会の主催者である
木村天山氏を中心として活動している。
私は、代表として、お手伝いさせていただく。
とても嬉しい。
日本は未だに遺骨収集に、予算を組まない。いや多少は
遺骨収集したらしいが、未だに、幾多の遺骨がそのまま放置され
追悼慰霊も殆ど行われていない。
第二次世界大戦で、病気や飢餓などで、戦死した
若い無名の多数の兵隊たちの魂は、未だに彷徨っている。
彼らの魂を、帰りたい場所へとお送りするお手伝いを
木村天山氏が、なさっておられる。
これは、誰にでも出来うることではないと思う。
私見で書かせてもらうと、輪廻転生を繰り返した魂を更に
精進して、けがれない魂になった、その魂の持ち主だけが
できうることだ。それも、その道へと、自然に導かれるのだ。
経済的な理由と、体調の悪化から、停止していた
テラの会の活動が再開することになった。
テラの会主宰の木村天山氏が、また、
再び活動されるのだ。
テラの会代表である私も、とてもうれしい気持である。
但し、衣服支援は再開のめどがつかない。我々のやり方では
公明正大なのですが、あまりに手間とお金がかかるのである。
大金持ちでもなければ、出来ないのだ。だから、衣服支援は
本当にやりたいのだが、停止である。
しかし、戦没者追悼慰霊は、始まることとなった。
そう言っていると、BSで、インパール作戦の慰霊の旅という
番組がやっていた。
インパール作戦の説明はしない。インターネットで引けばいくらでも
出てくるので・・・
日本人なら、追悼慰霊をせずにはおられないだろう。
興味のある方、詳しいことを知りたい方は、
国際ボランティアテラの会を、検索してください。
テラの会の活動が再開することになった。
テラの会主宰の木村天山氏が、また、
再び活動されるのだ。
テラの会代表である私も、とてもうれしい気持である。
但し、衣服支援は再開のめどがつかない。我々のやり方では
公明正大なのですが、あまりに手間とお金がかかるのである。
大金持ちでもなければ、出来ないのだ。だから、衣服支援は
本当にやりたいのだが、停止である。
しかし、戦没者追悼慰霊は、始まることとなった。
そう言っていると、BSで、インパール作戦の慰霊の旅という
番組がやっていた。
インパール作戦の説明はしない。インターネットで引けばいくらでも
出てくるので・・・
日本人なら、追悼慰霊をせずにはおられないだろう。
興味のある方、詳しいことを知りたい方は、
国際ボランティアテラの会を、検索してください。
万葉のこころを歌う、と銘打って、コンサート
活動を続けています。
その心は・・・
万葉集には、日本人の、ありとあらゆる心性が
詠われているからです。
その後の、古今集、新古今などは、勅撰和歌集なので、
歌を詠んだ階層が限られます。
万葉集は、天皇・農民・乞食・遊女・貴族と、ありとあらゆる
階層の人々の歌があり、また読み人知らずの歌も沢山あります。
私なりの解釈で言うと、詠み人知らずの和歌は、詠い継がれてきたものです。
だから、それこそ、日本人の心性だと、思うのです。
日本人の心性は、大和心・・・・おほいなるやはらぎのこころ
争い・競争・妬み・嫉妬を、出来る限りもたずに
やはらぎの心で、物事や人に接すること、とでも言いましょうか・・・
すべての事が、そういう心根で動いてくれたら、と願わずにいられません
活動を続けています。
その心は・・・
万葉集には、日本人の、ありとあらゆる心性が
詠われているからです。
その後の、古今集、新古今などは、勅撰和歌集なので、
歌を詠んだ階層が限られます。
万葉集は、天皇・農民・乞食・遊女・貴族と、ありとあらゆる
階層の人々の歌があり、また読み人知らずの歌も沢山あります。
私なりの解釈で言うと、詠み人知らずの和歌は、詠い継がれてきたものです。
だから、それこそ、日本人の心性だと、思うのです。
日本人の心性は、大和心・・・・おほいなるやはらぎのこころ
争い・競争・妬み・嫉妬を、出来る限りもたずに
やはらぎの心で、物事や人に接すること、とでも言いましょうか・・・
すべての事が、そういう心根で動いてくれたら、と願わずにいられません
歌手になったのは、39歳のとき。凄く遅いスタートだ。
それ以前に歌っていた合唱団はとてもハイレベル。
小澤征爾に認められてから、次々とすごい仕事が舞い込み、
世界的な指揮者の指導を受け世界でトップレベルのオーケストラと
同じ舞台に立たせてもらった。
それは、私にとってとても貴重な経験でした。耳も鍛えられ
一流の方の合唱指導を受けた。大切な財産だと思う。
どこかで、役に立てたいと思い、コーラスを作ることにした。
合唱団の中で、ストレスを感じ始めた。身体の中で
もやもやと動くものが合った。団員がピリピリしていて、
きつい言葉が飛び交う。舞台は一流のプロばかり、自分たちも
一流の合唱団だと言う、プライドもあったのだろう。
ハーモニーを楽しむなんて、雰囲気ではない。
とてもシビアだった。
ヤマハで、ふと手にした地味なチラシ・・・
それが、人生を変えたのだった。
藤岡宣男と言う、声種では、素人はあまり聞き覚えの無い
カウンターテナー。
私の好きな曲ばかり並んでいた。
オペラのアリア・日本歌曲・ドイツリート
女子高の非常勤講師をしていた私は、仕事帰り
みなとみらいホールに飛び込んだ。
それ以前に歌っていた合唱団はとてもハイレベル。
小澤征爾に認められてから、次々とすごい仕事が舞い込み、
世界的な指揮者の指導を受け世界でトップレベルのオーケストラと
同じ舞台に立たせてもらった。
それは、私にとってとても貴重な経験でした。耳も鍛えられ
一流の方の合唱指導を受けた。大切な財産だと思う。
どこかで、役に立てたいと思い、コーラスを作ることにした。
合唱団の中で、ストレスを感じ始めた。身体の中で
もやもやと動くものが合った。団員がピリピリしていて、
きつい言葉が飛び交う。舞台は一流のプロばかり、自分たちも
一流の合唱団だと言う、プライドもあったのだろう。
ハーモニーを楽しむなんて、雰囲気ではない。
とてもシビアだった。
ヤマハで、ふと手にした地味なチラシ・・・
それが、人生を変えたのだった。
藤岡宣男と言う、声種では、素人はあまり聞き覚えの無い
カウンターテナー。
私の好きな曲ばかり並んでいた。
オペラのアリア・日本歌曲・ドイツリート
女子高の非常勤講師をしていた私は、仕事帰り
みなとみらいホールに飛び込んだ。