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大学時代に友人達と設立した、
中世ポリフォニー合唱団で、
グレゴリオ聖歌から、モンテベルディー辺りまでの
宗教曲・また世俗曲を、歌った。
グレゴリオ聖歌は、ネウマ譜で歌った。
そして、あの関屋晋が率いる、晋友会合唱団では、
バッハから現代曲までの宗教曲を、
全て、歌ってきた。
まず、ラテン語、他には英語・ドイツ語・フランス語
様々な作曲家の宗教曲を歌った。
それは、生きた知識となった。
そうして、ミサ通常文などは完全に、
意味とともに暗記し、レクイエムも
沢山、勉強した。
あの頃の楽譜を見ると、よく歌ったな・・と、
感心する。そうそう、ロシア語の曲も歌った。
確か、ロストロポービッチの指揮で、練習中に
小澤征爾さんも友人のロストロポービッチさんが
チェリストで指揮は初めてだったので
心配で聴きに、来ていた。とても、楽しい練習だった
オーケストラは、晋友会とは、何回も一緒に舞台を踏んだ
新日本フィルハーモニーだった。小澤さんが、指揮者だったのだ。
私が、所属していた合唱団の指揮者であった
関屋晋が、小澤征爾さんに、その才能を認められ
世界の指揮者が、晋友会合唱団に、仕事を
依頼してきた。
それは、それは、素晴らしい体験をさせてもらった。
ヨーロッパの本場のオーケストラが日本のオーケストラと
如何に、響きが違うか・・・それは、顕著であった。
ロンドンフィルハーモニー交響楽団・ウィーンフィルハーモニー交響楽団
ベルリンフィルハーモ二ー交響楽団などなど・・枚挙に暇が無い
超一流の指揮者や超一流のオーケストラを客席で聴く事は
誰でもできるが、同じ舞台に立つ、そのための練習をともに積む
と言う経験は誰にでも出来る事ではない。
そこで、私は西洋音楽を聴く耳を育てた。
そして、超一流の音楽家たちとは、どういうものか
学ばせてもらった。
弦にしても、管にしても、一番違うのは、最初の音の立ち上がり
そして、響きである。
それは、言語にも、深く関係している。
中世ポリフォニー合唱団で、
グレゴリオ聖歌から、モンテベルディー辺りまでの
宗教曲・また世俗曲を、歌った。
グレゴリオ聖歌は、ネウマ譜で歌った。
そして、あの関屋晋が率いる、晋友会合唱団では、
バッハから現代曲までの宗教曲を、
全て、歌ってきた。
まず、ラテン語、他には英語・ドイツ語・フランス語
様々な作曲家の宗教曲を歌った。
それは、生きた知識となった。
そうして、ミサ通常文などは完全に、
意味とともに暗記し、レクイエムも
沢山、勉強した。
あの頃の楽譜を見ると、よく歌ったな・・と、
感心する。そうそう、ロシア語の曲も歌った。
確か、ロストロポービッチの指揮で、練習中に
小澤征爾さんも友人のロストロポービッチさんが
チェリストで指揮は初めてだったので
心配で聴きに、来ていた。とても、楽しい練習だった
オーケストラは、晋友会とは、何回も一緒に舞台を踏んだ
新日本フィルハーモニーだった。小澤さんが、指揮者だったのだ。
私が、所属していた合唱団の指揮者であった
関屋晋が、小澤征爾さんに、その才能を認められ
世界の指揮者が、晋友会合唱団に、仕事を
依頼してきた。
それは、それは、素晴らしい体験をさせてもらった。
ヨーロッパの本場のオーケストラが日本のオーケストラと
如何に、響きが違うか・・・それは、顕著であった。
ロンドンフィルハーモニー交響楽団・ウィーンフィルハーモニー交響楽団
ベルリンフィルハーモ二ー交響楽団などなど・・枚挙に暇が無い
超一流の指揮者や超一流のオーケストラを客席で聴く事は
誰でもできるが、同じ舞台に立つ、そのための練習をともに積む
と言う経験は誰にでも出来る事ではない。
そこで、私は西洋音楽を聴く耳を育てた。
そして、超一流の音楽家たちとは、どういうものか
学ばせてもらった。
弦にしても、管にしても、一番違うのは、最初の音の立ち上がり
そして、響きである。
それは、言語にも、深く関係している。
本格的な、「辻 友子」としての歌手活動は、
故 藤岡宣男と言うカウンターテノールの歌手の
歌声がきっかけだった。
その歌声を聴いて、私がずっと追い求め続けていた「歌声」だと
思った。
一歩前に出るのが、苦手な私が、初めて一歩前に出て
ボイストレーニングの指導を申し出た。
それが、私の人生の転機であり、本格的な歌手としての
歩みの始まりであった。
そして、それは、師であった、藤岡宣男が亡くなった後も
私の「目標」となった。
美しい日本語、そして、師匠が亡くなって後は、
美しい大和言葉へと、なった。
到達したわけではない。
今現在も、美しい日本語、美しい大和言葉を
発声する為に、師から教えていただいたこと。
また、万葉集の勉強、など様々なことを通して
「美しい日本語・美しい大和言葉」で、詠うことを
目指している。
きっと、その響きは、必ず、聴いた人の心に
何かを残すものになると思う。
故 藤岡宣男と言うカウンターテノールの歌手の
歌声がきっかけだった。
その歌声を聴いて、私がずっと追い求め続けていた「歌声」だと
思った。
一歩前に出るのが、苦手な私が、初めて一歩前に出て
ボイストレーニングの指導を申し出た。
それが、私の人生の転機であり、本格的な歌手としての
歩みの始まりであった。
そして、それは、師であった、藤岡宣男が亡くなった後も
私の「目標」となった。
美しい日本語、そして、師匠が亡くなって後は、
美しい大和言葉へと、なった。
到達したわけではない。
今現在も、美しい日本語、美しい大和言葉を
発声する為に、師から教えていただいたこと。
また、万葉集の勉強、など様々なことを通して
「美しい日本語・美しい大和言葉」で、詠うことを
目指している。
きっと、その響きは、必ず、聴いた人の心に
何かを残すものになると思う。
今年は、私は二度目となる、「東南アジア難民手渡し支援」の旅
自主公演も終わり、いよいよ、日にちも近づいてきた。
また、再会、出来るタイのみなさんや、
子供たち・・・そして、支援活動を手伝ってくださる
タイ在住の日本の方々とお会いするのが、
とても楽しみである。
支援活動が、楽しみとは不謹慎のようだが、
正直な気持ちだから、仕方がない。
再会できる子供たち、再会出来ない子供たち・・・
みんな、元気で居るのだろうか・・・・
物が溢れすぎて、日本人は何かを確実に失った。
でも、タイのように戻る・・・と言うことではなくて、
物が無い、と言う事を、実際に見て、知る、事は
大切なことのような気がする。
物が豊かなのが、悪いということではない。
物が豊かとはどういう事なのか、
物が無いと言う事はどういうことなのか、
見て知った上で、自分の生活を一つ一つ行うことが
大切だと思う。
自主公演も終わり、いよいよ、日にちも近づいてきた。
また、再会、出来るタイのみなさんや、
子供たち・・・そして、支援活動を手伝ってくださる
タイ在住の日本の方々とお会いするのが、
とても楽しみである。
支援活動が、楽しみとは不謹慎のようだが、
正直な気持ちだから、仕方がない。
再会できる子供たち、再会出来ない子供たち・・・
みんな、元気で居るのだろうか・・・・
物が溢れすぎて、日本人は何かを確実に失った。
でも、タイのように戻る・・・と言うことではなくて、
物が無い、と言う事を、実際に見て、知る、事は
大切なことのような気がする。
物が豊かなのが、悪いということではない。
物が豊かとはどういう事なのか、
物が無いと言う事はどういうことなのか、
見て知った上で、自分の生活を一つ一つ行うことが
大切だと思う。
芸をやる者は、政治的発言はしてはならないと、
昔どなたかに言われたことがあるが・・・・
今回のこのあまりにも無知な国会議員の
行動と、またその後のコメントは、
国会議員としてどころか、日本人として
恥ずかしさを通り越して、悲しくなってしまった。
戦後教育のなれの果てだろうか・・
正直、このような言葉は使いたくないが、
無知であることを知らない人間の
アホさに、呆然としてしまった。
(少なくとも、私は自分が無知無教養であることを
自覚している)
しかも、国会議員である。
我々の税金で、生活している人間である。
この人に、投票した方々は己を恥じるべきであろう。
せめて、自ら議員辞職を申し出る、知性と教養を
持てればいいけれど・・・
昔どなたかに言われたことがあるが・・・・
今回のこのあまりにも無知な国会議員の
行動と、またその後のコメントは、
国会議員としてどころか、日本人として
恥ずかしさを通り越して、悲しくなってしまった。
戦後教育のなれの果てだろうか・・
正直、このような言葉は使いたくないが、
無知であることを知らない人間の
アホさに、呆然としてしまった。
(少なくとも、私は自分が無知無教養であることを
自覚している)
しかも、国会議員である。
我々の税金で、生活している人間である。
この人に、投票した方々は己を恥じるべきであろう。
せめて、自ら議員辞職を申し出る、知性と教養を
持てればいいけれど・・・