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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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2013年11月26日(火)早朝、6時過ぎ、YCATに着く。

7時のバスで成田へ。

同行スタッフの手づくりの美味しいお握りを、(しばらく、

日本とお別れだ)と、思いながらしみじみといただく。


チェック イン。

私が荷物を詰め込み過ぎて、重量オーバー・・・・

しかし、なんとか?乗り切る。

機内持ち込み含めて、一人40㎏まで。

前夜、朦朧とした頭で詰め込んで

少しでも多くの衣類を持って行きたい思いが

あったのか、計算間違いをしていたらしい・・・。

他のスタッフに迷惑をおかけしてしまった。

反省。これから、少なめに入れよう。


タイ航空で行きは、風の関係か、航路の関係か、

6時間半かかる。

映画がやっていたので、観る。「風と共に去りぬ」だった。

名作だ。


タイのスワナンプーム空港から、タクシーで

バンコクのラチャダと言う下町に行く。

そこの、マンションアパートを常時使用している。

ひとまず、飛行機での疲れを取る為である。


今回は同行しなかったスタッフの一人が

語学留学の為、滞在していた所である。


ところが、そこが、随分と様変わりしていた。

主宰のk氏はショックを受けた様子だった。

いつもはそこで、旅疲れがすっきり取れ、

支援に向かっての動きがスムーズに行く。

しかし、今回は、スタッフ全員、疲れが

取れないのである。私は逆に具合が悪くなり

熱まで出してしまった。


そこのマンションアパートのオーナーが、居なくなり

気が沈んでいた。

以前のような、はつらつとした雰囲気は無い。

どんよりと、重たい感じに変わっていた。


せっかく、体調を整える為に泊まったラチャダの

マンションアパートは、今回は最悪だった。


しかし、屋台の通りで美味しいお粥の店を見つけた。

一杯百円だ。大好きなマンゴーは、時期はずれなのか

緑色をしていた。


熱を出した日は、スタッフに、大好きなココナツを買って

来て貰い、その生ジュース(点滴のようなものだ)を飲み

皮の裏の白い所を、スプーンで削り落として食べ、

ずっと寝ていた。


幸い一日で熱は下がった。



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11月26日から12月6日と言う、11日間に及ぶ

タイ・ミャンマーでの、難民支援活動及び追悼慰霊活動

を無事終了し、帰国いたしました。


今回は、とても冷静に、活動を考えることが出来、

また、年齢と共に体力が落ちていることを実感させられた

旅でした。


毎日、少しずつ、旅のご報告をしていきます。

乞うご期待!!

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(管理人より)


テラの会代表、辻友子は、チェンマイでの活動を終えました。

着いた日の夜に、これまで活動を全面的に支援してくださった、現地在住のKさん一家と、

旧交をあたためました。

翌日、三輪タクシー(トゥクトゥク)にのり、チェンマイ郊外の、野戦病院跡地で慰霊

しました。

インパール作戦で敗退した日本軍兵が、かつぎ込まれた場所です。

当時の建物が残っており、いまでは、資料館として整備されています。

前回来た時よりも、きれいになっていました。

有志の方たちの手が入った模様です。


さて、チェンマイでの活動も終わり、あとはバンコクへ戻るだけです。

二日ほど休憩をとり、そのまま帰国します。


あっという間の10日間でした。

はじめは、気候になれず、すこし体調を崩しかけた辻でしたが、

すぐに持ち直し、予定していたスケジュールをすべてこなすことが

できました。


くり返しになりますが、私たちの活動は、日本で寄付等で支援して下さる皆様、そして

現地で実際の活動に従事して下さる、協力者の方々なくしては、ありえません。


深く感謝するとともに、あらたな活動目標も見えて参りましたので、さらなる応援を

求めたい所存です。


今回なによりも大きな発見は、ビルマの農村の疲弊でした。

田畑は荒れ放題で、娯楽のひとつもなく、政府からの支援も、ほぼ無いといっていい

有り様でした。


民主化に舵を切ったビルマですが、そうした現実を見るにつけ、簡単にはいかないとの

思いを強くしました。


そこで、日本の優良な農作物の種を、ビルマに持ちこめないか、検討しています。

空き地はたくさんあるので、そこで荒地に強い大豆など、農作物を育てることが

できれば、村の人たちの食べ物にできます。


近くに川はあるので、そこから水を引けばよいのです。

政府は、そのような実態を、あまり国際社会に知られたくないはずです。

自分たちは、うまくやっている、と発展しつつある部分のみ、公にしています。

日本企業も、投資などを活発にしようとしているようですが、最底辺の貧しい人には、

そう簡単に富は行き届きません。


いろいろと、問題も見えてきて、これからやるべき課題も見えた旅でした。


とはいえ、やはり、どうしても健康で、エネルギーのある、若さというものの

必要性を感じもしました。

自分たちの力だけでは、どうしようもありません。

是非とも、若い人たちの手を借りたいと思います。

いま、日本と東南アジアの距離は急速に、縮まっています。

かつてなかったほど、物や人材の、交流が活発になっています。

アフリカや中南米、ヨーロッパもさることながら、何より身近なのは、

東南アジアです。残念ながら東アジアは、歴史問題がこじれて、未来が明るいかどうかは

誰にもいえない状況です。


東南アジアと手をとりあい、ともに平和で、豊かな暮らしを築きあげることが、

できないでしょうか。

圧政と搾取の関係ではなく、共存・共栄の関係で・・・


そんな理想を、テラの会は、忘れないようにしたいものです。







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(管理人より)

タイとミャンマーの国境の町、メソト。

今日は、10時間をかけ、タイ側の施設と、ミャンマー側の貧しい村とを、まわりました。


ビスケットの大きな缶づめを、3個、インスタントラーメンやジュースなど40人分ほど、

その他、衣服やタオルを140キロ、全て渡し終えました。


訪れたところは、

1、メータオクリニック (無償医療施設で、ミャンマーからの難民や、不法労働者などを中心に、医療を施している)

2、森の学校ノーンボデーン (メラキャンプなどから、両親のいない子供や、いたとしても、育てられない子供たちを、保護して、宿舎、教育などを施している)

3、民家を使った小規模な、孤児院

4、今回初めて行った施設

5、チャームート学習支援施設 (児童労働などで、教育の機会のないミャンマー人の子供たちを中心に、土日を使って教育を施している)

6、ミャンマーの山奥にある、極貧者の村

辻友子は、テラの会代表として、道なき道をトラックで走り、全活動に参加しました。

現地では、7人もの協力者の方々が、全面的にサポートしてくれました。

何の見返りも求めず、ただただ無心に、私たちの活動を支えていただいた、皆さん。

とにかく感謝せずには、おられません。


私たちは、自分たちがやりたいから、やっているけれど、それを支える皆さんこそ、

素晴らしい心の持ち主だと思います。



ミャンマーの町、ミャワディーにも、入りました。

日本人など、ほとんど訪れることのない町です。

観光地でもなく、タイ北部と接するメーサイ・タチレクのように、旅行者が行きやすい

場所でもありません。

本当に、素のままの、ミャンマーの田舎です。


Sさんの親せきの案内で、入り組んだ細い道を奥へ奥へと入りました。

すると、枯れた田んぼに囲まれた、集落がありました。

どうやって暮しているのかさえ、分からないほどの荒れようでした。

衣服やビスケットを渡しだすと、どこからともなく、村人がどんどん集まってくれました。

みなさんに、とてもとても喜んでもらいました。


彼らの貧しさは、日本では想像すら、できないものです。

日本で、いくら貧しいといっても、程度が違います。

村人は着の身着のまま、着た切りスズメ。

ビスケットのような甘いお菓子も、ろくに食べる機会がない。

そんな様子を身をもって知った辻は、日本がいかに恵まれているか、いかに良い国かを、

心底、実感したということです。


さいごまで付き合ってくれた、Sさんたちのため、中華料理屋へ行き、夕飯をご一緒しました。

車の中に乗っているだけでも、かなり疲労したのに、荷台にのっていた、Sさんたちは、

なおのことお疲れになったことでしょう。

それでも、私たちの活動だけには、特別に協力して下さっています。

たとえ、他の団体が、同じような活動をメソトでしたいと、申し出があったとしても、

それを手伝っている余裕はない、とのことでした。

Sさんたちにも、生活があります。それを押してテラの会に協力して下さったことには、

何度感謝しても、感謝しきれません。


さて、今回の活動で、いろいろなことを感じ、また学ばせてもらった辻友子。

帰国して、本人のことばで、貴重な体験を語ってくれることでしょう。

明日は、チェンマイへ向かいます。





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(管理人代筆)

今朝、辻友子は、バンコクを経ち、今回の目的地である、メーソートへ向かいました。

バンコクでは、気候の急な変化からか、少し体調を崩していた辻ですが、

メーソートへ着くと、だいぶ元に戻ったようです。


メーソートは、タイとミャンマーを結ぶ町。

こんかいは、初の試みとして、ミャンマー側の町、ミャワディーでも、活動します。

明日は、5か所をまわる予定です。


支援物資は、あらかじめ送っておいたものを含め、140キロほどになりました。

辻友子は、40キロ近い支援物資を、メーソートまで運びました。

このようにいうと、簡単そうにきこえますが、実際やってみるととても大変です。


ふつう、人間が持てる重量は、25キロが限界だといわれています。

それ以上を持つと、腰などを痛めてしまいます。

その限界をこえて、カートなどを使ったとはいえ、不案内な外国で

物資を運ぶのは、それだけでも、相当なストレスです。


それでも、自分の体をつかって、物資を現地まで運ぶ、これに勝る方法はないのです。

そして、手渡す人にも、顔と顔を向き合わせ、確かに渡します。

テラの会の活動は、そうした地道な努力によって、支えられています。

メーソートでは、在留邦人のHさんと、最後の日本兵といわれたNさんの遺族の

方々が、手伝って下さいます。

彼らの協力なくしては、これほど充実した、素晴らしい活動は、できません。


Hさん家族は、娘さんが日本へ留学したいとのことで、

今後もさまざまな面で、関わっていくことになりそうです。


最後の日本兵と言われた、Nさんの遺族も、一時マスコミに

取り上げられ、話題になりましたが、いまは平穏な日々を暮していらっしゃいます。

とても親切で、遠慮深い方たちで、いつも手伝ってくれることに、ただただ感謝です。


明日は、朝8時に出発し、いつ活動が終わるかは、未定です。

ミャンマーの町にも入る予定なので、きっと午後過ぎになるでしょう。

写真やビデオをたくさんとってもらう予定なので、

後日、皆さんにその様子を紹介できると思います。


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