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次は、チャームート学校施設への、支援である。
ここは、私も、何度か訪れ、、「さくら さくら」などを
歌った(トップページにも掲載している)
国連の支援を受けているという事を
今回、初めて知った。
子供たちに、衣類を手渡し、いつもなら、
色々とこちらがご馳走をいただくのだが、
今日は、スケジュールが立て込んでいて
次は、ミャンマー入国を控えているので、
「さくら さくら」を歌って、施設を後にした。
ずっと、そこで教師をしている若者が
英語で、「どうしたら、あなたの歌声を
聴く事が出来ますか?」と、言って下さった。
嬉しかった。
英文の名刺を、お渡して、「ホームページで
聴く事が出来ます」と言ったら嬉しそうに
頷いてくれた。
次はいよいよミャンマー入国である。
ここは、私も、何度か訪れ、、「さくら さくら」などを
歌った(トップページにも掲載している)
国連の支援を受けているという事を
今回、初めて知った。
子供たちに、衣類を手渡し、いつもなら、
色々とこちらがご馳走をいただくのだが、
今日は、スケジュールが立て込んでいて
次は、ミャンマー入国を控えているので、
「さくら さくら」を歌って、施設を後にした。
ずっと、そこで教師をしている若者が
英語で、「どうしたら、あなたの歌声を
聴く事が出来ますか?」と、言って下さった。
嬉しかった。
英文の名刺を、お渡して、「ホームページで
聴く事が出来ます」と言ったら嬉しそうに
頷いてくれた。
次はいよいよミャンマー入国である。
次なる支援場所は、
やはり以前訪れたことのあるところだ。
幼児が多く、責任者の方が不在だったので、
待たされることとなった。
責任者の許可がないと、支援も写真を撮ることも
出来ないというのだ。
しかし、待たされたお陰で、われわれは子供たちと
交流する時間を持てることになった。
後で、反省会をした時に、
このときの事を踏まえて、もっとゆったりと
子供たちと関わりをもちながら、
支援をしよう・・・と言う事になった。
足が、砂だらけ、お風呂もろくすっぽ入っていない、
子供たちが興味深そうに、我々を観察している。
すると、一人の男児が膝にちょこんと座った。
私を見上げる目が澄んでいる。
嬉しそうに、人懐こそうに、私に笑顔を向ける。
そうだな・・・スキンシップして欲しいんだな・・と、思う。
まだ、3歳で、名前はトミーと言った。
トミーは、中々膝から降りない。
羨ましそうに他の子が見ている。
一人一人抱いてあげたかっただが、
トミーに独占されてしまった。
主宰のk氏の膝には「ハナチャン」と言う女の子が
ずっと、座っている。
物も大事だけど、この子達は、
スキンシップが一番、足りないんだ。
そうこうしている内に、責任者が戻ってきた。
好意的に、衣類など受け取っていただいた。
「また来るねー!」
さて、次は、メソト最後の支援場所へと向かう。
チャームート学習施設である。
ここも、度々訪れた。
ホームページのトップにも、
「さくら さくら」を歌っている私が
掲載されている。
何回も訪れること・・・・継続すること・・・・
とても、大切なことだ。
私も、楽しみだった。
やはり以前訪れたことのあるところだ。
幼児が多く、責任者の方が不在だったので、
待たされることとなった。
責任者の許可がないと、支援も写真を撮ることも
出来ないというのだ。
しかし、待たされたお陰で、われわれは子供たちと
交流する時間を持てることになった。
後で、反省会をした時に、
このときの事を踏まえて、もっとゆったりと
子供たちと関わりをもちながら、
支援をしよう・・・と言う事になった。
足が、砂だらけ、お風呂もろくすっぽ入っていない、
子供たちが興味深そうに、我々を観察している。
すると、一人の男児が膝にちょこんと座った。
私を見上げる目が澄んでいる。
嬉しそうに、人懐こそうに、私に笑顔を向ける。
そうだな・・・スキンシップして欲しいんだな・・と、思う。
まだ、3歳で、名前はトミーと言った。
トミーは、中々膝から降りない。
羨ましそうに他の子が見ている。
一人一人抱いてあげたかっただが、
トミーに独占されてしまった。
主宰のk氏の膝には「ハナチャン」と言う女の子が
ずっと、座っている。
物も大事だけど、この子達は、
スキンシップが一番、足りないんだ。
そうこうしている内に、責任者が戻ってきた。
好意的に、衣類など受け取っていただいた。
「また来るねー!」
さて、次は、メソト最後の支援場所へと向かう。
チャームート学習施設である。
ここも、度々訪れた。
ホームページのトップにも、
「さくら さくら」を歌っている私が
掲載されている。
何回も訪れること・・・・継続すること・・・・
とても、大切なことだ。
私も、楽しみだった。
今日一日の、難民支援活動が、スムーズに進むか
今回は、かなりハードなスケジュールを組んでいるので
心配のあまり中々寝付けず、朝は5時に目覚めてしまった。
支援物資の最終チェックを済ませて、
八時過ぎに、ロビーに降りた。
S氏は道が混んでいたのか、少し遅れて到着。
S氏の長女の方、次女の方、また、S氏のご紹介による
今日一日、車を貸してくださり、道案内をしてくださる
「最後の日本兵」で有名な中野さんのご親戚の方・・・
そして、テラの会一行で、トラックの荷台に、人も荷物も
乗って、太陽の照りつける中、最初の支援場所
メソットのメータオクリニックへと向かう。
ここは、無償医療施設である。
ミャンマー難民や、働けない方々の為の
病院である。
もう何回も訪れて支援している。訪れるたびに
場所が大きくなり、中も整って来ている様である。
宗教関係の施設だと、色々と煩く言われることが
多いのだが(勝手に渡してはいけないとか、
写真は撮らないでとか)
ここは、何にも言われず、何度も訪ねて
顔見知りになっているのか、こちらの
支援も自由にスムーズにさせて頂いた。
医療施設では、何よりタオルが喜ばれる。
いくらあっても足りないからだ。
歩いて受け取りにこられる方ではなく、
ベットに横たわった方々に一枚ずつ
タオルを手渡す。
本当は、もっとたくさん、毛布とやタオルケットも
お渡ししたいのだが、我々の活動ではこれが限界である。
出来る事をできるだけする・・・が、我々の支援の在り方だから、
分不相応なことは出来ない。
もっと、ゆっくりしたかったが、何しろスケジュールが立て込んでいるので
そそくさと、次の支援場所へと向かった。
メソットの林の中にある、森の学校「ノーンボデーン」である。
メラキャンプから来た孤児の子がいる。幼児中心の施設である。
我々より先に、地元のボランティア団体が来ていて、スープ麺と、日本で言う
「みかん」のこぶりなのを、ご馳走していた。
急遽、そこでのビスケットの配布は、取りやめ、衣類の支援のみ行うことにした。
我々まで、どうぞと言われ、スープ麺をご馳走になり、昼ごはんをそれで、
済ませた。
支援の最中は、必死なので自分がどういう行動をしているか、
良くわかっていないのだが(もしかして、私だけかしら・・・)
とにかく、無事、そこも支援を終えた。道は悪いし、気温はどんどん
上がってくる。
トラックに乗って、ボッコンバッコンと揺られて、
車に乗っているのも楽ではない道である。
とりわけ、われわれは、車内に乗せていただいたが、
お手伝いくださっている、S氏の娘さんたちは、
荷台で荷物と共に揺られて、太陽は照り付けるし
さぞや大変だっただろうと、申し訳ないきもちになった。
お昼を過ぎ、次の支援地へと向かう。
いつものように、ラチャダで飛行による疲れは
取れなかったが、マンションアパートをタクシーで
出発した途端、気分が良くなったのは、
不思議だった。「気」というものは、侮れないものである。
国内線で、いよいよ、メソットへ向かう。
プロペラとエンジンの半々の小さい飛行機だ。
プロペラだと、落下しても、徐々に落ちて行くから
いいですね・・・などと、木村氏と話しながら
狭い機内に座った。
一時間ほどの飛行で、
いよいよ、今回の旅の大切な目的地である
メソットの飛行場に到着。
辺りは、丘と木・・・なんとものどかな風景である。
飛行場には、今回、多大なお世話をしていただくことになる
S氏と、次女の方が、わざわざ迎えに着てくださっていた。
「テラの会」は、東南アジアの15カ国以上を廻り、旅慣れしているとは
いっても、難民支援は当然辺鄙な場所が多いので、
現地の日本の方に、好意的に手伝っていただけることは、
本当に、我々も心強く、嬉しい気持ちになる。
2月の難民支援から、9ヶ月ぶりのS氏とそのご家族との再会を
お互い心から喜びながら、S氏の用意してくださった車で
ホテルへと向かった。
ホテルも、何回も泊まったホテルである。
一泊300バーツ(今は、円安なのが、貧乏な「テラの会」に
とって、今回はきつかった)日本円で、約1000円である。
しかし、さすがに、このホテルも古くなり、次回から
変えようと言う事になった。
何しろ、水シャワーで、しかも、まともに水が出ないのである。
部屋だけは広々として天井が高いのが救いだった。
S氏ご家族と、近くで簡単な食事を済ませ、
いよいよ、明日の難民支援の為の本格的な
最終打ち合わせを、済ませた。
S氏は、ご家族総出で丸一日手伝ってくださると、
快くおっしゃってくださった。何より、心強く、本当に
ありがたいことだと、しみじみと感じた。
我々の活動を、認め解ってくださる事が何より嬉しかった。
S氏によると、ミャンマーのミャワデーの寒村は、何もかも
足りないし、無い、と言う事だったので、
お菓子の卸しの店で、ビスケットの大きな缶を2箱、インスタントラーメンを
4箱、ジュースを50本ほど買いに行った。
明日に備え、早々と床に着いた。
明朝は8時出発である。
ここまで、えんやこらと持ってきた、一人40kgの荷物と
前もって、船便で送っておいた、7箱もの衣類やタオルや靴
そして、現地調達した、ビスケットとインスタントラーメンとジュース
・・・明日は、それを全て、S氏の用意してくださったトラックに積んで
S氏のご家族と共に難民支援活動に向かう。
活動に備え、早々と床に着いた・・・と、言っても、毎日、早々と
床に着くのが、支援活動に行っている時の生活である。
明日は、タイのメソットで5箇所、そして、更にミャンマーに入国し
ミャワデーの、はずれの村?ともいえない、貧しい人々の住んでいる
所での支援・・・何時に終わるのか検討もつかない。
上手く支援できればいいけれど・・・緊張を感じながら、眠りに着いた。
取れなかったが、マンションアパートをタクシーで
出発した途端、気分が良くなったのは、
不思議だった。「気」というものは、侮れないものである。
国内線で、いよいよ、メソットへ向かう。
プロペラとエンジンの半々の小さい飛行機だ。
プロペラだと、落下しても、徐々に落ちて行くから
いいですね・・・などと、木村氏と話しながら
狭い機内に座った。
一時間ほどの飛行で、
いよいよ、今回の旅の大切な目的地である
メソットの飛行場に到着。
辺りは、丘と木・・・なんとものどかな風景である。
飛行場には、今回、多大なお世話をしていただくことになる
S氏と、次女の方が、わざわざ迎えに着てくださっていた。
「テラの会」は、東南アジアの15カ国以上を廻り、旅慣れしているとは
いっても、難民支援は当然辺鄙な場所が多いので、
現地の日本の方に、好意的に手伝っていただけることは、
本当に、我々も心強く、嬉しい気持ちになる。
2月の難民支援から、9ヶ月ぶりのS氏とそのご家族との再会を
お互い心から喜びながら、S氏の用意してくださった車で
ホテルへと向かった。
ホテルも、何回も泊まったホテルである。
一泊300バーツ(今は、円安なのが、貧乏な「テラの会」に
とって、今回はきつかった)日本円で、約1000円である。
しかし、さすがに、このホテルも古くなり、次回から
変えようと言う事になった。
何しろ、水シャワーで、しかも、まともに水が出ないのである。
部屋だけは広々として天井が高いのが救いだった。
S氏ご家族と、近くで簡単な食事を済ませ、
いよいよ、明日の難民支援の為の本格的な
最終打ち合わせを、済ませた。
S氏は、ご家族総出で丸一日手伝ってくださると、
快くおっしゃってくださった。何より、心強く、本当に
ありがたいことだと、しみじみと感じた。
我々の活動を、認め解ってくださる事が何より嬉しかった。
S氏によると、ミャンマーのミャワデーの寒村は、何もかも
足りないし、無い、と言う事だったので、
お菓子の卸しの店で、ビスケットの大きな缶を2箱、インスタントラーメンを
4箱、ジュースを50本ほど買いに行った。
明日に備え、早々と床に着いた。
明朝は8時出発である。
ここまで、えんやこらと持ってきた、一人40kgの荷物と
前もって、船便で送っておいた、7箱もの衣類やタオルや靴
そして、現地調達した、ビスケットとインスタントラーメンとジュース
・・・明日は、それを全て、S氏の用意してくださったトラックに積んで
S氏のご家族と共に難民支援活動に向かう。
活動に備え、早々と床に着いた・・・と、言っても、毎日、早々と
床に着くのが、支援活動に行っている時の生活である。
明日は、タイのメソットで5箇所、そして、更にミャンマーに入国し
ミャワデーの、はずれの村?ともいえない、貧しい人々の住んでいる
所での支援・・・何時に終わるのか検討もつかない。
上手く支援できればいいけれど・・・緊張を感じながら、眠りに着いた。