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沖縄より戻りました。
第2次世界大戦の沖縄戦で亡くなられた20万余の方々の追悼慰霊碑の並ぶ、平和の礎(いしじ)
と、白梅(しらうめ)の塔を訪ね、黙祷させていただきました。
又、私にとって初めての国内衣服支援のお手伝いをさせていただきました。
少しづつ、書いていきます。
ともかく、今日は帰ってすぐ、新聞社の取材もあり、くたびれましたが、充実した日でした。
明日は、ブログお休みします。
お友やん (2009年9月28日 11:36) | コメント(0) | トラックバック(0)
本日より、沖縄に参ります。
明後日、戻りますので、明日のみブログお休みしま~す。
沖縄物語書きます。
お楽しみに・・・・・
わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 落らまくは後
明日から、2泊3日で、沖縄に追悼慰霊・衣服支援のお手伝いに行きます。
お知り合いの方が、近しい方を沢山見送られた経験から、
自然に戦没者の慰霊に心が向かわれた活動を、
ほんのちょっとだけ、お手伝いさせて頂かせてもらっております。
昭和の歴史など恥ずかしい事に殆ど興味のなかった私ですが、お手伝いをしているうちに自然と
様々な事を知ることになりました。
第二次世界大戦の最後の激戦地 沖縄の話は、姫百合部隊のお話に留まらず、あまりに、
過酷で残酷です。
戦争のない幸せな時代に生まれた自分の幸せを思うと同時に、
自決したり、同じ日本人から殺されたりした、若い人々の事を思うと
戦争のさなかで、生きたくても生きられなかった無念の想いが伝わってきます。
同じ日本人なのに・・・・
彼らの思いを知ることは、日本人としての、義務なのではないかとさえ思います。
そして、如いては日本を知ることになると思います。
たまたまご縁があって、お手伝いをさせていただく幸運を大切にしたいと思います。
久しぶりに我が家のご主人様が仙台よりお帰りなられるとのこと・・・腕を振るってご馳走しなければと・・・
必須お刺身・秋刀魚は炭火で焼いたろか・
ついでに、目に入れても痛くないぐらい可愛がっている孫たち(男児4歳2歳)と、じいじのコミニケーションのためにも、おいしい夕飯で心温まる家族の会話というものを、せねば・・・・ということで、
冷奴・焼きナス・・・・渋いのう・・・チキンソテートマトソースかけ・・・ニラ玉・・・何故よ・・・これ・・・
節操のないメニューね。好きこんなん・・・あっとはぁなんてたって、「だごじる」これは主人の里で
古くから伝わるお汁で、家族全員大好きだ。ここで、私は、一家の主婦としての力をみなに示すのだ。
いつもいつもたっぷりいただいて、感謝・感激・雨・あられの木村家の皆さまからの、
本場李利尻昆布と、九州産は、煮干、干ししいたけをつけて火にかける。
その間にサトイモ・かぼちゃ・大根・ごぼう・こんにゃく・にんじん・小松菜を切っておく。
中力粉に塩を入れて、温かいお湯で混ぜ合わせていく、みみたぶぐらいのやわらかさになったら、またよくこねて、親指大につまんでとる。濡らして絞った、ペーパータオルを上にひろでて、乾燥しないように、そしてあたたかいところに置く。
だしがとれたら、適当にきった野菜をぼんぼんといれて火を通す。
昆布のうまみと野菜のうまみが混ぜ合わさっていい風味を醸しだしている。
野菜に火が通った所で、さっきのお団子を手の指で延ばしていく。伸ばして引き裂いたりしながら、次から次と入れていく。
これがだご・・・である。入れ終わった頃には、野菜も煮えている。麦こうじ味噌を煮溶かす。
こまつなを山盛り入れて出来上がり・・・・
これさえ作れば、「だんなは納得里の味」というやつです。
というわけで、本日の献立は
お刺身・秋刀魚の炭火焼(うまいで~)・冷奴(庭の紫蘇かけて)焼きなす(しょうがたっぷり)
チキンソテートマトソースかけ・そして、私が手剥きした栗ご飯・そして、ふるさとの味手間隙かけた「だごじる」
みなさん大喜び!!作ったものを喜んで食べていただける・・・こんな幸せありませんよね。
タイに2ヵ月半留学していた仲良し?の青年が元気に、母国日本に、帰国しました。
なんだか、久しぶりに会う彼の顔は、少し精悍さを増し、男らしくなっています。
何だか、頼もしい感じ・・・・
HIVの子どもたちに衣服の支援に行ったり、様々な層の人々との交流をしてきた彼の
生のタイの様子を、聞かせて貰えるのが楽しみです。
実際、目で見て、会って、生活して・・・これに勝る説得はありません。
彼のレポートを読むのが楽しみです。
10月には、タイのチェンマイでコンサートがあります。
現地で準備してくださっている方と共に、きっと彼も大活躍でしょう・・・
今から、とても楽しみにしています。
私のもう一つの楽しみ・・・衣服支援にも行きます。
よく、辻さんにとって歌うことはどういうことですか?と、聞かれます。
「歌う」ことは「生きる」ことです、と、即答すると、少しびっくりされます。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、実際的な話をしたいと思います。「歌う」という行為は
体と密接に繋がっています・・・というより、体が楽器そのものです。
体から、声は解き放たれます・・・これは、プロだからとかアマダからという話ではないのです。
当たり前のことなのです。
日頃から歌わない人が歌っても、声はその人の体を通して、周りに伝わっていきます。
その人のその時の年齢・心・・・もっと言えば人生が反映されます。
顔や体は人生の癖や、特徴があらわれます。いくら隠しても、出てしまうのです。
だから、自分が出したい声は、その生き方で決まると言っても、過言ではないのです。
体を整える事は、心を整える事であり、人生を整える事です。
そのように歌ってしまうのです。
だから、歌うことが生きることだというのは、何も大袈裟な表現でもなんでもないのです。