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お世話になっている方が、ご自分のライフワークとして、戦没者の追悼慰霊をなさっています。
お坊さんでも、神主さんでも、新興宗教の教祖でも、司祭でも牧師でもありません。
ただ、宗教の事は物凄くよく勉強しておられるようです。
クリスチャンでも有り、一時期は神学校に行っておられましたが、止めて、その後、
ありとあらゆる宗教を勉強して、今に至り、
「神仏は妄想である」という、ちょっと過激なエッセイもお書きになっておられます。
大切な人を亡くした経験が若い時から多くて、
その方たちを追悼される内に、
自然と戦没者への追悼慰霊に思いがつながったようです。
最初はそういう活動に私は違和感を禁じ得ませんでした。
音楽活動にはあまり関係ないし、しかも、宗教ですか?という、趣旨の良くわからない質問を
されて、変な誤解を受ける事もしばしばでした。
ただ、少し考えてみたのです。
私はよく信仰的と言われるけれど、何かの宗教団体には属した事はありません。
もし、本当にこの世で言う、神様のような人がいたら、
今ある様々な宗教団体を作るだろうか?立派な建物を作るだろうか?
お金をお布施としてかき集めるだろうか?
全部、変、おかしい?
自分より先に人のことを考え人の為に尽くすような人がなんだか立派なお洋服を着て、
手を振ってみたり・・・・何か違うのではないかと、少し宗教の事を学んだ私は気づき始めました。
果たして、宗教って一体何?
それは、歴史的に見ると、多くは、時の為政者たちが、宗教と結びき人々を治めるために
使われるものでした。そして、その行為は、実際の信仰の内容とはかけ離れたものであっても、
その時々で都合よく解釈されて利用されました。
私は、宗教音楽が好きでしたし、教会で宗教曲のコンサートをしていましたが、
なぜかとうとう、クリスチャンにもなりませんでした。
家は浄土宗ですが、適当なものです。
お知り合いの方が、追悼慰霊なさるときに、衣服をたまたま渡したら、大変喜んでくださいました。
私は、大量消費経済の頃、捨てる事をためらってはいけないという世の風潮に、中々準ずる事が
出来ず、勿体ないが先に立っていました。
今の日本では回りの方に、古着を渡したら失礼かしらとか・・凄く気を使います。
かといって、NPO法人もきちんとしているところと、そうでないところもあります。
日本側はきちんとしても、送られた先が、売ってお金にするとか、色々あるようだとも聞きました。
今お手伝いさせていただいている所は、直接、持って行って一ヶ月に一回、手渡しをする・・・・のです。
それは、大海の一滴にもなりませんが、お隣の家が、お隣の国になったと思うのです。
そう、私はその行為を通じて心を伝えているんだと思うようになりました。
喜んで頂く様子をみてると、私もその笑顔に励まされます。
そして、彼らの過酷な現実を目の当たりにして、日本の豊かさは一体どこからくるのか・・・
と思います。 わが身を振り返ると、恥ずかしい気持ちにさえなりました。
同じアジア人である日本人とは、生活のレベルがあまりにかけ離れているのです。
これは、政治の問題なので、そこまで個人的なことは関われませんが、
少なくとも、何も知らなかった私は、行く度に、謙虚な気持ちになっていきました。
そして、「困っている人がいたら、助けましょう」と、当たり前に教えられてきた事を、
実行できる場が与えられ、嬉しく楽しい気持ちです。
私は無宗教です。
とうとう、どちらの神様からもお呼びがかかりませんでした。
信仰と言うのは極めて個人的なもので、集団に属するものではありません。
集団と個人は別の生き物です。
どこかで、宗教は極めて個人的な情緒である、と書かれていました。
そうだ!個人的情緒なのだから、何かの宗教団体に属する必要はないのだと
今では思っています。
祈っても祈っても、空からパンも服も降ってきません。
昔の農民のように・・・おてんとさまを仰いでパンパンと拍手を打つぐらいでしょうか・・・・
そっか・・・・私の神様は・・・・おてんとさまかな??
今は草の根のような活動ですが、それでもお知り合いの方や全国から、衣類が送られてきて
嬉しい悲鳴を上げています。
確実に手渡し致しますから、もしこれをお読みになった方が、お送りしたいと思われましたら、
是非ご連絡ください。
今のところ女性物は山のようにあるのですが、ベビー服・男児服が圧倒的に足りません。
しみなどが付いていても、まだ着用出来るのであれば、是非送ってくださいね。
一枚きりの人がたくさんいらっしゃいます。
私は年に2回、付いて行かせて貰っておりますが、スタッフは、ほぼ月一回行っております。
連絡先 045-824-1812 です。