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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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家人の故郷は、日本歌曲「荒城の月」で、有名な

大分県竹田市の 故 滝 廉太郎の住まいの近くである。

「荒城の月」のモデルとなった、岡城趾は、敢えて、

城を再建せずに、城跡と、石垣のみ残している。

家人は高校時代は、良くここに上り、

おにぎりを頬張っていたと聞いた。


私は、城の無い、石垣が好きである。

陳腐な城が建つより、よほど、情感をそそられるからである。

石垣に建てられた、「滝 廉太郎」の、銅像は、いまいち好みでは

ないけれど、そこに吹く風は、とてもさわやかである。


昔、とあるママ友?から、(大分って福岡のどこ?)とか、

(九州なのにほっぺが赤くないのね)などと、言われた。

九州の中の、大都市(だと思っていた)福岡の中心部で育った私は、

福岡市を都会だと、思っていたから、横浜のママ友?の

その言葉にショックを受けた。


横浜に住んで、25年近くなるけれど、今でも横浜を特別に都会だとも

思わない。寧ろ、やたらに、食費が高いし、交通費がかかる。

お金を持っていないと、暮らせない。東京はもっとお金がかかる。


福岡市は、空港が近く便利であった。そのため、ビルの高さに規制が

かかり、高いビルは建てられない。

福岡市の中心部天神界隈は、何でも揃う、

物価の安い暮らしやすいところだった。

それなのに、ビル規制のお陰で、空が広かった。

だから、高いビルで、空が直線的に切り取られる

風景は無く、それも、暮らしやすさの一つの効果

だった。


今、私は、都内を車で乗り回し、横浜はかって知ったる

所となった。その横浜の田舎とまでは、いかない所に

居を構えている。近くのスーパーは結構安いし、

馴染みの野菜やさんも見つけた。

福岡の西新商店街のような所ではないけれど、

暮らしやすい。


福岡市に長く住んだけれど、その中で父の仕事の関係で

3年ごとに転居を繰り返して育ったせいだろうか・・・

どこに住んでも、その場所と

ある一定の距離感を持つようになってしまった。


家人は思いっきり、竹田を愛しているようだが、

私には、そのような郷土愛?が、あまりない。


ただ、一回だけ、私は「ふるさと」を実感して

大泣きしたことがある。

その時、私は感動のあまり、しゃくりあげ、

涙が止まらず、隣に座っていた娘が

「ママ、どうしたの?

大丈夫?」と、心配されるほどだった。

その故郷とは・・・・・(笑わないで欲しい)


「地球」であった。


奇しくも、私が代表を務める、

「国際ボランティア テラの会」の

テラは「地球」という、意味だそうである

(私が、命名したわけではないので、知らなかった)


テラの音・・・(ここでは、そう呼ばせて欲しい)を、

私は聞いた。


宇宙衛星かぐやが、

月に衝突する直前に見た「地球の姿」を

私は見た。


その「地球」の音は、アクア(水)の音であり、

生きているからこその、音であった。


その「地球」の姿は、あまりにも美しく懐かしく

宇宙衛星かぐやの目に、心に、

生きている「地球」への限りない「愛」と、「賛美」を

感じた。

私は地球人なのだ・・・と、心底そう思った。

そして、

私の、故郷は、「地球」なのだと














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