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当初、藤岡宣男さんは、私ともうお一方の男性
(その方も私と同じ「心の唄」のコンサートで弟子入りされたそうです)
二人が、初の弟子でした。
その男性は諸事情により途中で、レッスンをお止めになりました。
レッスンは5時間にも及ぶ事がたびたびありました。
帰りに車で藤岡さんを事務所にお送りしながら、
「あっという間に時間が経ってしまったね」
と、いわれ、凄く疲れさせてしまったかもと、気にしていた私は、
その言葉を聞き、心の中でほっとしていました。
とても、楽しく充実した時間でした。
なぜなら、音楽を教える立場と教わる立場がはっきりとしていて、
藤岡さんが極めて純粋に音楽に立ち向かっていたからであり、
それに安心した私がひたすら学び取る事に純粋に向かう事が出来たからだと思います。
それまでの先生のレッスンは、音楽以外のことに物凄く神経を使い、
その事で疲労困憊し歌の方に支障が出る事もありました。
藤岡さんは、私より四つ年下である。
弟子入りした時から、彼は私の師匠であり、私は弟子であった。
二人ともそこに何のわだかまりも疑問もない・・・・芸を磨くと言う事は信頼感関係のある徒弟制が
一番よいし、またそれが伝統・伝承であると藤岡さんもいおっしゃっていた。
彼は、歌の為になることは何でもチャレンジしていた・・・
バレー・今ではポピュラーになったアメリカのアレキサンダーテクニック・ヨガ・整体・
フェルデンクライスメソッド、他にも様々な事を、歌の発声の為に、取り入れた・・・
私は、そのエッセンスをいつも教えてもらっていたわけだ。
日本の音楽教育ではない・・・世界の中の日本の音楽教育を藤岡さんは変えたいと思っていた
音楽に対する感性が藤岡さんと私は大変近かったと思う・・・・
勿論・・・・・遥か遠い所は山のようにあったけれど・・・・
コンサートに行くと、いつも、受付に和服姿の男の方が立ってらっしゃいました。
クラシックのコンサートの受付なのに、着物姿で何か変なの・・・と少し思いましたが、藤岡さんの
歌を聴きに来ていたので、あまり気になりませんでした。
レッスンの回数とコンサートに行く回数を重ねていくうちに、人手が無い事fが分かりました。
「私でよければ、受付を致しますが・・・」
と申し出たんです。
藤岡さんのコンサートのお手伝いができる事がとても嬉しかった。
なんだか、落語家に弟子入りしたような気持ちでした。
全て、家内工業なのが、世の中の考えと違い、面白くて楽しくてなりませんでした。
20代後半に、子供のための手作りのオリジナルミュージカルを、
主婦仲間とやっていた時代を思い出しました。
お金を頂く仕事も沢山していましたが、精神はアマチュアでした。
しかし、ここは違う・・・・・舞台に人生をかけた男二人が命がけで格闘していました。
私は、身が引き締まる思いがして、心を打たれました。
2002年2月19日(火)、カウンターテナー藤岡宣男の歌声に出会って以来、
抑鬱でまともに外出も出来なかった私が、
藤岡さんのコンサートだけには必ず出向くようになった。
ある日は、聞いている間中、涙が止まらない時もあった。
それは歌の内容とかそういう感動とは違う何かを越えた物であった。
たとえようがない・・・・何か・・・・・綺麗な声とかシルクトーンとか色々言われていたけれど
そういうものではなくて・・・いつか、その神秘のベールが解き明かされる日が楽しみである。
私はこの人を目指したい・・・そう思った。
この人が登っている山を私も登りたい・・・・実際、藤岡さんは
「僕たちは同じ山を登っている。僕が少しだけ先を行っているだけなんだよ」と、言ってくださった。
なんと、謙虚な言葉であろうか・・・
藤岡さんは世界レベルの歌い手でありながら、人が20年かかって学ぶ事を
その聡明で明晰な頭脳と、音楽に対する一途で誠実な姿勢により数年で掴み取った。
でも、世の中の人は大多数はそのように学べないし、それを理解できないがゆえ、
中々有名にならなかった。
が、それゆえ、私は彼から一番弟子として学ぶ幸運を得る事が出来たのである
こんな凄い人が・・・・日本の歌手にいる・・・・誇りである
彼は権力におもねる事を嫌っていた・・・・何しろ藤岡さんの誕生日は12月14日・・・・・
あの大石内蔵介率いる赤穂浪士47士、討ち入りの日にこの世に誕生したのであるから・・・・
藤岡さんはその整った顔立ちと、ソフトな対応から、そのように見えなかったかもしれないが
魂はマグマのように燃えていた・・・・・軽いのりにも巧みに応じていたが、私は彼の心の奥を
知っていたと思う・・・それは彼が一番大切にしていた音楽への思いを知っていたからだ
ライブ録音CD「心の唄」のコンサート以来、私は藤岡さんの出演するものは余程のことが無い限り
聴きに行った。いろいろな方を連れて行った。
17人の学校先生を連れて行ったり、20名以上の生徒や父兄を連れて行った。
一人でも多くの人にこの素晴らしいカウンターテノールの歌手の歌声を聞かせたかった。
藤岡さんのコンサートのチケットは当時5千円・・・コンサートチケットの金額が下がってしまった今となっては、結構高い金額である。
(それだけ、クラシックコンサートはつまらないという事がみんなわかってきたのでしょう)
私は兼業主婦・・二人の娘を持ち、高校の非常勤教師のかたわら俗に言う、家庭と仕事の両立、というものをやっていた。
それまで、わたしは自分の音楽や勉強や娯楽にかかるお金は自分で払うという方針でやってきた。
藤岡さんにレッスンを受ける。そうすると、自分に足りないものいらないものが少しずつ見えてくる。
レッスン代も大変だったが(我が家は珍しく主人が家計を握っているので生活費だけだ)
たとえば、声を出すための大切な楽器である体を整える事
様々な本、楽譜、
そして、今まではあまり美容に興味も無かったのだが、舞台上で一時間以上も、自分の姿を
人前に晒す・・・という責任から来る必要なもの・・・・などお金はどんどんかかる
無い脳みそで、懸命に考えた・・・どこから、お金を捻出するか・・・・
それまで、私は合唱団の指導や指揮を任されていた。
熱心さのあまり、週2回のところを週5日いったりしていた、
体力と時間も限られている。勤務契約のとおりに週2日に戻した。
その分、自分の時間を増やす事ができる。
ブランド物や高い化粧品やアクセサリー、おしゃべりランチもしていなかったので、そこは削るものが無い。
洋服を買わないと決めた・・・以来8年間一着も洋服を買っていない。
余計なお付き合いもしない。まぁ、その頃は酷い抑鬱症で、あまり、人付き合いもよくなかったけれど
勿論、水道光熱費も抑える。
ただでさえ少ない友人が減ってしまったが、それで終わる付き合いならそんな程度だろうとも思った
口が卑しいので、食費だけはあまり、削れなかった。
とにかく馬鹿な私なりに工夫をして、音楽にかかる費用とお金を捻出したのだ
週に2日の仕事と週に一回のレッスン、多い時は2回・・・殆ど寝込んでいた私だが、
この二つのことだけは、這うようにしても通った