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今は亡き我が師匠、藤岡宣男が、
「みんな一生懸命生きているんだと思うといとおしい」
と言っていたことがあった。
人生の全てを歌う事に賭けていた藤岡宣男・・・流行の鬱真っ盛りで自分のことに精一杯だった
私は、師匠自身も大変なのに、何故そんなに余裕があるんだろうと思ったものだ。
今は思う・・・そう思うから、歌っているのだと・・・
師匠自身も私も具合が悪いのに、必死でレッスンをした。
お互い調子がいいとレッスン時間は5時間に及んだ。
忘れられない思い出であり、何よりも変えがたい私の真実である。
私はそれに残りの人生を賭けようと思ったのです。
私の人生の真実がそこにあるから・・・その真実を見極めたいから・・・・
藤岡さん、あなたの歌声をもう一度聞きたいです。
何度舞台で共演した事でしょうか・・・今となっては私の宝箱の中の宝石のような思い出であり、
変えられない貴重な経験です。
貴方を目指して歌います。それしか、わたしには 残されていません。
そこにしか、私の人生の真実はないのです。
藤岡宣男と言う山を目指して、歩んで生きたい・・・
昨日、9月25日は、一年の内で、私にとって大切な日です。
藤岡さんがこの世を旅立って、丸4年を迎えました。
あの日のことは、私の体のどこかに深く刻まれており、薄くなる事も、濃くなる事もありません。
苦しまずに旅立たれた事が、あの日の私の救いです。
藤岡さんに学んだ、歌唱の弟子としての年月は宝物のようなものです。
藤岡宣男さんとの出会いが会ったからこそ、今の私があります。
深い感謝の思いです。
声を出すという事、歌うという事、舞台に立つということの全てを教えていただいた、
珠玉のような時間は、体と心に刻まれています。
昨日もいらしたお客様が、
こんな素晴らしいカウンターテノールの歌声は今まで聞いたことがない。
惜しい方を亡くしましたね、と興奮気味におっしゃられて帰られました。
赤い薔薇が一輪飾られた、質疎な舞台に響く、この世にもういない歌手の歌唱のみでここまで
感動を与えられる・・・・やはり、凄い歌い手であった・・・という以外にないと思いました。
9月という月は、私にとって、一年の中で、大切な月です。
それは、藤岡宣男という歌手とこの世でのさよならをした月だからです。
4年を迎えますが、あの日のことは、何一つ忘れていません。
潔く美しく生きることを望んだ師匠 藤岡宣男は、その願いどおり、見事にこの世から去りました。
素晴らしい歌声を残して・・・・
その歌唱の水準の高さとは裏腹に、高ぶることなく奢ることなく、黙々と歌の道を極めていた
藤岡さんの姿は胸に焼き付いています。
偉そうにしないと、偉いと思えない方々もいらっしゃいます。悲しい事に・・・・
藤岡宣男は偉そうな歌手ではありませんでした。
だからこそ、あの高みにまで歌唱が素晴らしいものとなったのでしょう。
自分が偉いと思った瞬間から、その人の成長は止まります。
もう一度聴きたい・・あの歌声を・・・と、いつも思うのです。
ひたすらに、歌っていた藤岡さん・・・あなたの弟子の名に恥じる事が無いよう・・
でも、辻 友子らしく頑張ってまいりたいと思います。
見守ってくださいね・・・・
情報処理能力と芸術的感性というのは、相反する場合が多いですが、藤岡さんの場合は違っていました。
まず、情報を収集する・・・その中から、自分に必要な本物の情報をかなりの確率で見つけていました。
何故か・・・・それは、藤岡さんの目的が実に明確であったからです。
人はなかなか目的を明確に出来ません。
まず、長期的な・・・たとえば、20年後の自分とか・・・展望を立てる・・次に、年毎にクリアしていく目標・・・そしたら、次は月ごと・・毎日・・どんどん具体化されていきます。
勿論、この世は、当たり前ですが、平等でなんか全くありません。
性格も悪くて、実力も無いあの方が、何で・・・ということは往々にしてあるのです。
しかし、例えば、有名になる事に目的を置くと人生の選択は全く変わってきます。
お金も必要・・・知名度も人脈も必要・・・だけど・・それよりもっと大切なものを、見失っては元も子もないのです。
的確な情報を捕まえる聡明さ・・・その情報に振り回されない感受性の柔軟性・・・・
藤岡さんはそういうものを持ち合わせていたように思います。
今、朝の4時半、あまりに気持ちよく目覚めたので、つい先ほど見た夢の事を書いて見ます。
藤岡さんがこの世を去った9月25日、私の誕生日で4年を迎えます。
今まで折につけ、夢に現れてくださいます。
夢にも色々あるけれど、藤岡さんが現れる夢は、いつもとても、気持ちがいい・・・・・
なんだか安心してしまう。
神経が敏感な私の心が何かつつまれたような心地になって・・・・そして、最後は
仲間と勉強があるからといって去っていく・・・・私は取り残され・・・・淋しい気持ちになる・・
でも、目覚めると、とてもすっきりとして、健やかな気分になっています。
学ぶ事が大好きだった藤岡さんは、あの世でも楽しそうに学んでいるようです。
私も早く行って、教えてもらいたいとさえ思うのだけれど・・・
でも、私はこの世に生きている・・・
藤岡さん、私は相変わらずアホな亀さんですけれど、頑張りますから見守ってくださいね・・・
夢にいらしてくださって、ありがとう。
そうそう、一昨年肺がんでこの世を去った父も現れましたよ。
どこかの旅館で、楽しそうに仲間とお酒を飲んで・・・
よかったね、お父さん・・・あの世で楽しくやっているなら、私も何もいうことない・・
夢にも色々あるけれど、今朝はいい夢だったので、書いてみました。