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技術の素晴らしい演奏を、日本はかなり極めた・・・と、思う。
しかし、音楽性・人間性・そして、そこからあふれ出るパッション・・・・はだれも教えられない。
それは、自分の中から溢れてくるものだから・・・でも、それがあふれ出ている音楽を持つ人に
指導を受けると、音楽の洗礼を受けることが出来る・・・・と私は思う・・・
私が音楽に本当に目覚めたのは18歳の時・・・九州国立三大学ジョイント演奏会というのが
あった。みんなで力をあわせれば、東京から著名な指揮者を招くことが出来る・・・そのころ、全日
本音楽コンクールで毎年金賞を取り続けていた関屋晋という指揮者を若い力で招いた。
一年生は、ジョイントコンサートに参加できないが音楽科の生徒だった私は、譜めくりをすること
になった。関屋晋に生まれて初めて出会った。曲はブラームスのネニエとモテット・・・譜めくりを
しながら、私は音の息吹を全身に受けた・・・背中に戦慄が走った・・・・
音楽って素晴らしい・・・こころからそう感じた・・・・それから、何百回、関屋先生の指揮で歌ったで
あろうか・・・長い年月の間に先生は小澤征爾に認められ、ブルガリアのコンクールで
指揮者賞を受け世界の名だたるオーケストラと共演するまでになった。
先生の名前から晋友会と名づけられた合唱団は、ロンドンフィル・ベルリンフィル・ボストンフィル・
ウィーンフィル・他にも幾多の世界に名だたるオーケストラ、そして、日本は、N響・都響・新日フィ
ル・東京交響楽団・読売交響楽団など・・・ベルリンフィルにおいては、ベルリンフィル定期
公演に招かれ、CDに、カール・オルフのカルミナ・ブラーナを録音したり・・・という輝かしい経歴を
持つ・・・早稲田の政経出身の関屋先生はいったんはサラリーマンになったものの、どうしても
音楽の熱覚めやらず、合唱団の指揮者を始めたのだった。
それが、ここまでの道のりを上ってこれたのは、ひとえに純粋で素直な音楽への姿勢・努力・
そしてパッションである。このパッションが凄かった・・・・。江戸っ子の先生はいつもべらんめぇで、
「てめえら、モーツァルトのこのレクイエムをどうやったらそんなにつまらなく歌えるんだ」
と怒鳴りまくり、ちっちゃな体で、舞台の上を飛び回り走り回り、私たちは先生の熱に浮かされ、
先生を通して音楽からパワーを貰っていた。
そして、先生のお蔭で出会えた本物の音楽家たちとの時間・・・・これは何にも変えがたい
私の音楽のレッスンであったと今にして思うのである。
本物とはどういうものか・・・そこで、私は学んだ。
客席で客として聴くのではない・・・選抜された合唱団のメンバーとして同じ舞台に立つべく練習を
重ね、本番に臨むことができるのだ。
こんな素晴らしい体験があろうか・・・・・・小澤征爾さんは何度もレッスンしていただいた。彼の
パッションは確かに凄かった・・そして、凄まじい努力家だった。
ピエール・ブーレーズさんは、音楽を通して、素晴らしい頭のよさ音楽家としての素晴らしい知性
を感じた。
他にも枚挙にいとまがない・・・凄まじい感動の嵐であった・・・大学の授業で教えられるものでは
ないもの・・・でも、最終的に音楽にとってもっとも大切なもの・・・・それを教えられたと思う。
ウィーンフィル京都公演では、ラベルのダフニスとクロエで共演した。あの時のウィーンフィルが
アンコールで演奏した皇帝ワルツ・・・ワルツの本物を教えられた・・・そして、弦や管の、本場の
響き・・・正直にいうと、彼らに日本人は逆立ちしたってかないっこない決定的な違いがあった。
永遠に近づこうとしても、同じになりえないものを私ははっきりと感じ確信していた。
そして、また本物の西洋音楽の素晴らしさに、背中を再びあの戦慄が走った。
同じ舞台に立っていることさえ忘れて・・・・
西洋音楽の魔的な魅力と今は言わせていただくが・・・それは、確かに応えられない快感である
快感の嵐・・・である。だから分かる。取り憑かれてしまう気持ちが・・・・・・だって、私も勿論、
その一人だから・・・・