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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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今日は、歌うのでは無くて、万葉集のレクチャーでした。

地味な黒縞模様の結城紬に紫のモダン帯、襦袢は紅と、

粋に着たつもり・・・着物姿でお話しするときお茶を

飲むのに、ペットボトルをぐい飲みは嫌だな・・・と、

思っていたら、お台所の棚の隅から、古い水筒が出てきました。

今はもう、どこにも売っていない、蓋になっているカップに注いで飲む

タイプです。思えば、お茶や水のペットボトルが発売されたとき、

うっそだぁ~、お茶やお水を売るなんて、と思っていたら、大当たり

それから、続々と新商品が売り出されました。

その時、一番抵抗を覚えたのが、ぐい飲みしなきゃ飲めないこと。

自分用コップを持ち歩けばよいけれど、喉を平気で人様の目に晒すのが

とても嫌だったのです。しかし、時の流れとともに、いつの間にか

慣れてしまっていましたが、さすがに着物姿では嫌だなと、思って、

運よく出てきた水筒を、持っていきました。

これで、ほっと一安心。

熱い煎茶を、カップに注いで飲みました。

大切にしなきゃ・・・この水筒

もう、どこにも売ってない・・ぐい飲みタイプばかりだから

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昨日は、京都の着物を取り扱って、別府で仕事をしている

呉服屋さんの叔母が、趣味で描いてる洋画の先生の個展が、

日本で最も古い洋画商である日動画廊で、開催されていた。


良い天気でもあるし、夜は水天宮前の日本食料理屋さんで、

会食の予定があったので、叔母の所で作ったばかりの、もう

滅多なことではお目にかかれないであろう、手織りの結城紬

に紫色の、これも叔母と仕事をしている方のデザインで、モダンと

和を折衷させた帯を締めて、銀座へ出かけた。


叔母から頂いたハガキの絵では、少し気難しそうな中年の男性を

想像していたが、現れたのは何の気どりもない、若い先生だった。

ここで写真を載せれば、こんな下手な文章を長々と綴らなくてもよいのだが

まだ、その技術は習得していない、、、悲しい、、、


先生と叔母の話や絵の話などして、一人でふらっと銀座を散歩した。

三越で、お手洗いを待っていると、後ろの婦人から、なんて素敵な帯と

着物でしょと、言われた。嬉しかった、、


夜は、楽しい賑やかしい会食をし、一日が終わった。

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長い事、病で臥せっていたり、

子育てで苦しんだり、人並みに苦労をし、やっと

この年齢になって、ぶれない自分になった。

人生の早い時期からぶれない人は、すごいなと思う。


戦没者追悼慰霊活動、また、難民支援活動は、木村先生は

違うと思うけれど、私ごときは自己満足の最たるものだと分かっている。

この活動に、参加させていただき本当に有難いと思っている。


駄目だらけの自分だけれど、歌うことが、自分を負のエネルギーの

世界から、立ち直らせてくれたのだ。

音楽・・・その中で「歌う」ことは、私が生きることに、直接繋がる行為

であり、万葉集は、私の求め続けてきた、その心性を、

一人でも多くの方々に伝えたいと思うものとなった。


大和心と書いて、おほひなるやはらぎのこころ と読む。

争わない・対立しない・競争しない・・・和と言う言葉は 

あえる  とも読む。豆腐の白和えとか・・

豆腐の白和えの様な、日本の伝統 上手に和えたら、とても美味しくなる

世の中もそうであればよいのに・・・


負のエネルギーは怒りや憎悪や憎しみしか生まず、それに翻弄される方々は

いつか同じことが、自分に全て跳ね返ってくる。


生まれただけでも奇跡なのだ。その奇跡を死ぬまで、生き切りたい・・

明日がどうなるのか、わからないのだから・・・

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テラの会の活動は10年以上になるのだが、追悼慰霊に伴い

ストリートチルドレンやスラムの方々(子供を含めて)衣服支援と

筆記用具、食糧などを支援するようになっていった。

木村先生のお弟子さんが、インドネシア人と、結婚され、そのウブドと

言う村にみんなで訪ねると言う時に、村の人たちは、お洋服とかタオルとか

足りていないから喜ぶと聞いて、その時に、古着の綺麗なものとか

持参したのだったと思う。また、クタの街を徘徊するストリートチルドレン

達の、生活・・・それは、裸足、ぼろぼろの服、明らかに食糧が足りていない、

という状態などを、木村先生が、見て、何かできないか・・という事で

始まったのだと思う。一応、それで、私が代表として、衣類等の支援を、

引き受けることになったと記憶している。

何事も、やって見なければ、事の真実はわからない。

大海の一滴にもならないテラの会の活動であるが、追悼慰霊と、共に

やらずにはおれなかったのだ。先生も私も・・・

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万葉歌手 辻友子のほかに、テラの会代表と言う肩書も持っている。

但し、本当のことを言うと、主宰の木村先生が、全ての計画を立てておられ、

それに乗っかって、自分ができることをしているだけである。


この活動は、木村先生のもとに、サイパンで取材旅行をしている

女性から、行くたびに、日本兵の幽霊を見ると言う相談を持ち掛けら

れたことから、始まっている。

それまでに、清め祓いを、しばしば頼まれていた木村先生は、

サイパンに行こうと、決断された。

残念なことに、私はテラの会初めての活動となったこの旅に参加していない。

木村先生は、それでサイパンの戦記を詳しく読まれ、サイパンに旅立った。

詳しいことは、木村天山ブログの追悼慰霊の旅日記を、お読みになってください。

それから、怒涛のような、「テラの会 東南アジア追悼慰霊の旅」が始まるのだ。

沢山の不思議な出会いがあり、導かれるように追悼慰霊の旅が続いた・・・

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