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シェムリアップに滞在していた、テラの会一行は、本日、タイ、バンコクに戻ります。
シェムリアップは、あのアンコールワットの一番近くの町で、世界から観光客が集まる
ため、今までのアジアの町と違い、ホテル・ゲストハウス・ドミトリーなど、宿泊施設
も充実しており、安いものから、高いものまでさまざまです。また、食事も、観光客に
対応して、日本食レストランもたくさんあり、あと目立ったのが、韓国料理屋だそう
です。
日本人も今までテラの会が訪ねたところと違い、若い人も非常多く、代表は、少し期待
感を持っていたようです。其の話は、また、後ほど・・・
活気のある町といいいましても、少し離れると貧村が続きます。
トゥクトゥクの人が、親切で、あちこち案内をしてくださったようです。
貧農・・・・それは、どこかにあるものではなく、どこにでもあるものでした。
三箇所で、子供たちに鉛筆やノート、そして、大人の衣類・・それは、いつものように
当然のことながら、大変喜ばれました。トゥクトゥクの運転手が、自分も貧しいから
欲しい・・・渡し始めると、次から次と人が集まり、あっという間に、せっかく6kg
オーバーしても航空会社が大目にみてくれた衣類させ、瞬く間に無くなりました。
遠く日本から、持ってきた物が、一瞬にして無くなり、まだまだ、全く当然の事ながら
足りないのです。
アジアの人々の多くは、みんな貧しい・・・
ある18歳のウエートレスをして働いている女性は、月15ドルの賃金だそうです。
ドルは、今77円ほどですから、押してしるべしですね。
だから、テラの会は、日本人から見れば、一泊1500円ですが、彼らから見れば
一ヶ月のお給料でも一泊もできないのです。
代表は衣服支援の後、疲れたけど充実感がある・・とおっしゃていましたが、今回は
空しくなった・・・と、初めておっしゃいました。
渡しても渡しても足りない・・・格安とはいえやはり、高い航空運賃を払ってまで
行っている活動です。
其のとき、私は、日本で、ごみを出していました。衣類は、新聞などと一緒に決められ
た日に出さなければなりません。ごみの山の中に、衣類を混ぜて出している袋がいくつ
かありました。衣類だけの袋もありました。
寿町に、衣服を渡しにいっているので、思わず、おじさんたちが喜ぶだろうなと
思ってしまいました。
日本では処分に困るごみが、アジアのいたるところでは、宝の山なのです。
日本のごみは、アジアの宝・・・
ここで、私の立場を明らかにしておきたいと思います。私は、テラの会理事をさせてい
ただいております。理事として行っていることは倉庫の管理費用を出す、また、衣類な
どの移動や整理、国内での支援、そして、楽しみにしている年に2回のアジアでの活動
です。もっと、テラの会の活動もしたいのですが、私は歌手活動が自分の優先順位の
一番と決めている事と、予算が無く、一緒に行く回数は限られます。
しかし、大きな無駄とも思える、大海に涙の一滴とも思えるこの「テラの会」の活動を
純粋に喜んで前向きにやっている代表の姿に、励まされます。
そして、舞台でちゃらちゃらと歌を歌っている自分と重ね合わせます。自分の分を知る
のです。
代表の口から初めて、活動の後に空しさを感じた・・・と、聞きました。
そんなことやっても、空しさを感じるだけだと言って、最初からしなかった人とは
同じ言葉でも、全く重みも内容も違うのです。
6年間、テラの会は、なんとか、活動を続けてきました。
自分たちの手と足で・・・・
そして、トゥクトゥクの運転手は言いました。孤児院にも、寄付しないでくれと・・
あなた方のやっている方法がもっとも確実です・・・と。もちろん、そんな孤児院
ばかりではないでしょう。でも、寄付したものを売りさばいたり、自分のものにする
人のいる孤児院もあるのです。貧しい子供を餌にして・・・人間は戦争と言うことを
正義にして平気で人を殺せるではありませんか?
人間は、そういうものである・・・だから、いい人間も悪い人間もないのです。
たとえば、代表は言いました。自分たちは、安いものを食べているけれど、一番
貧しい人々の食べているものを、食べることはできない・・・と。
けれど、「テラの会」のように、その人に、その子にお金ではなく、今必要なもので、
自分たちができることをしたり、渡したりする・・・という行為が一番確実なのです。
よその国からの援助金を其の国政府高官たちだけのものにして、贅沢三昧、国民は
やせ衰え、国はいつまでも発展しない・・・挙句の果てに、お金をもらった国に向けて
発射する核爆弾を作るような、国家もあるのです。
かたや平和を訴え、同じ口で、正義のための戦争をすると言う。世の中は矛盾だらけ
です。そこで、信じられるものは、「行為」のみでしょう。
私は「歌う」と言う「行為」を続けたい・・・みなさんは、どんな「行為」を続けたい
ですか?よろよろと歩く老人を見て、自分もいつかこのような日が来る。其のときに
自分なりに、やってきたと、心穏やかに満足できる自分でありたい。
テラの会の話から、ずれてしまいましたが、テラの会の活動が、馬鹿・アホ・間抜け
な私に、ここまで考えさせてくれました。
具体的に方法をひとつ言えば、海外観光するときに自分の数枚の衣類と数枚のタオルと
鉛筆とノートを少しでももって、少し視線を変えてみれば、それを、必要としている
人々の姿が見えてきます。立派な世界遺産を見る目を、一度だけでもずらしてみて欲
しい。最初は一人でもそれが、百人になれば千人になれば・・・大きな量になります。
難しいことでも、選ばれた人のすることでもないです。勇気は少し入ります。
テラの会が、団体化しないのは、そのような理由もあります。すべては個人的なもの
です。あなたが、何をするか・・・にかかっている。
さて、もうひとつの現実を話します。「テラの会」は、経済的に限界に来ました。
今、今後どうするか摸索中です。
そして、これも、現実です。
若輩の身で大変偉そうに、書いてしまったご無礼をこれをお読みになられた皆様に
お詫び申し上げます。
シェムリアップは、あのアンコールワットの一番近くの町で、世界から観光客が集まる
ため、今までのアジアの町と違い、ホテル・ゲストハウス・ドミトリーなど、宿泊施設
も充実しており、安いものから、高いものまでさまざまです。また、食事も、観光客に
対応して、日本食レストランもたくさんあり、あと目立ったのが、韓国料理屋だそう
です。
日本人も今までテラの会が訪ねたところと違い、若い人も非常多く、代表は、少し期待
感を持っていたようです。其の話は、また、後ほど・・・
活気のある町といいいましても、少し離れると貧村が続きます。
トゥクトゥクの人が、親切で、あちこち案内をしてくださったようです。
貧農・・・・それは、どこかにあるものではなく、どこにでもあるものでした。
三箇所で、子供たちに鉛筆やノート、そして、大人の衣類・・それは、いつものように
当然のことながら、大変喜ばれました。トゥクトゥクの運転手が、自分も貧しいから
欲しい・・・渡し始めると、次から次と人が集まり、あっという間に、せっかく6kg
オーバーしても航空会社が大目にみてくれた衣類させ、瞬く間に無くなりました。
遠く日本から、持ってきた物が、一瞬にして無くなり、まだまだ、全く当然の事ながら
足りないのです。
アジアの人々の多くは、みんな貧しい・・・
ある18歳のウエートレスをして働いている女性は、月15ドルの賃金だそうです。
ドルは、今77円ほどですから、押してしるべしですね。
だから、テラの会は、日本人から見れば、一泊1500円ですが、彼らから見れば
一ヶ月のお給料でも一泊もできないのです。
代表は衣服支援の後、疲れたけど充実感がある・・とおっしゃていましたが、今回は
空しくなった・・・と、初めておっしゃいました。
渡しても渡しても足りない・・・格安とはいえやはり、高い航空運賃を払ってまで
行っている活動です。
其のとき、私は、日本で、ごみを出していました。衣類は、新聞などと一緒に決められ
た日に出さなければなりません。ごみの山の中に、衣類を混ぜて出している袋がいくつ
かありました。衣類だけの袋もありました。
寿町に、衣服を渡しにいっているので、思わず、おじさんたちが喜ぶだろうなと
思ってしまいました。
日本では処分に困るごみが、アジアのいたるところでは、宝の山なのです。
日本のごみは、アジアの宝・・・
ここで、私の立場を明らかにしておきたいと思います。私は、テラの会理事をさせてい
ただいております。理事として行っていることは倉庫の管理費用を出す、また、衣類な
どの移動や整理、国内での支援、そして、楽しみにしている年に2回のアジアでの活動
です。もっと、テラの会の活動もしたいのですが、私は歌手活動が自分の優先順位の
一番と決めている事と、予算が無く、一緒に行く回数は限られます。
しかし、大きな無駄とも思える、大海に涙の一滴とも思えるこの「テラの会」の活動を
純粋に喜んで前向きにやっている代表の姿に、励まされます。
そして、舞台でちゃらちゃらと歌を歌っている自分と重ね合わせます。自分の分を知る
のです。
代表の口から初めて、活動の後に空しさを感じた・・・と、聞きました。
そんなことやっても、空しさを感じるだけだと言って、最初からしなかった人とは
同じ言葉でも、全く重みも内容も違うのです。
6年間、テラの会は、なんとか、活動を続けてきました。
自分たちの手と足で・・・・
そして、トゥクトゥクの運転手は言いました。孤児院にも、寄付しないでくれと・・
あなた方のやっている方法がもっとも確実です・・・と。もちろん、そんな孤児院
ばかりではないでしょう。でも、寄付したものを売りさばいたり、自分のものにする
人のいる孤児院もあるのです。貧しい子供を餌にして・・・人間は戦争と言うことを
正義にして平気で人を殺せるではありませんか?
人間は、そういうものである・・・だから、いい人間も悪い人間もないのです。
たとえば、代表は言いました。自分たちは、安いものを食べているけれど、一番
貧しい人々の食べているものを、食べることはできない・・・と。
けれど、「テラの会」のように、その人に、その子にお金ではなく、今必要なもので、
自分たちができることをしたり、渡したりする・・・という行為が一番確実なのです。
よその国からの援助金を其の国政府高官たちだけのものにして、贅沢三昧、国民は
やせ衰え、国はいつまでも発展しない・・・挙句の果てに、お金をもらった国に向けて
発射する核爆弾を作るような、国家もあるのです。
かたや平和を訴え、同じ口で、正義のための戦争をすると言う。世の中は矛盾だらけ
です。そこで、信じられるものは、「行為」のみでしょう。
私は「歌う」と言う「行為」を続けたい・・・みなさんは、どんな「行為」を続けたい
ですか?よろよろと歩く老人を見て、自分もいつかこのような日が来る。其のときに
自分なりに、やってきたと、心穏やかに満足できる自分でありたい。
テラの会の話から、ずれてしまいましたが、テラの会の活動が、馬鹿・アホ・間抜け
な私に、ここまで考えさせてくれました。
具体的に方法をひとつ言えば、海外観光するときに自分の数枚の衣類と数枚のタオルと
鉛筆とノートを少しでももって、少し視線を変えてみれば、それを、必要としている
人々の姿が見えてきます。立派な世界遺産を見る目を、一度だけでもずらしてみて欲
しい。最初は一人でもそれが、百人になれば千人になれば・・・大きな量になります。
難しいことでも、選ばれた人のすることでもないです。勇気は少し入ります。
テラの会が、団体化しないのは、そのような理由もあります。すべては個人的なもの
です。あなたが、何をするか・・・にかかっている。
さて、もうひとつの現実を話します。「テラの会」は、経済的に限界に来ました。
今、今後どうするか摸索中です。
そして、これも、現実です。
若輩の身で大変偉そうに、書いてしまったご無礼をこれをお読みになられた皆様に
お詫び申し上げます。