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翌朝、ホテルで洋食の朝食を済ますと、レンタカー会社の人の迎えを待ちました。
そう、今回、私が沖縄の追悼慰霊と衣服支援に参加させて貰えたのは、
スタッフがだれも運転免許証を持っておらず、私が運転手として選ばれたのです。
大体、このような活動に女性は不向きです。手早く動けないし、大きな荷物は持てないし、
下手すると自分が大きな荷物になりかねません。せいぜいムードメーカーといった程度でしょう。
沖縄は交通機関が発達しておらず、車がないと非常に不便で効率の悪い行動をとらねばばりません。
スタッフとともに車で、街中を廻りながら、路上で生活している人を捜しました。
時間帯のせいでしょうか・・・中々見つかりません。
途中、座り込んでいる男の人にスタッフが本土から来た訳を話して、
衣類に困っている人がいませんか?と、訪ねたところ、とまりんに沢山いるよと教えてくれました。
とまりんとは、港のある場所の通称です。我々は、とまりんに向かいました。
ところが、とまりんにも、あまりいません。
一人の老婦人が階段の所に座っていたので、
スタッフが「私たちは本土から衣類を持ってきましたが、使いませんか?」と、尋ねました。
その老婦人は明らかに路上生活者でしたが、
「間に合っているからいらない。ありがとう。」と、答えたそうです。
少し向こうに数名の男性がいました。中にかなり年を取った男性がいて、スタッフが
衣類を持って行くと、「秋冬物がなくて困っていた」と言って貰ってくれました。
若い男性も、タオルもあるの?と言って、一枚持っていきました。
もう一人、髪の伸びた男性に渡したと思います。短めのズボンやTシャツなどです。
海外と違って、豊かな日本の中で、路上生活者をしている人たちに、衣服を差し上げるのは、
難しい一面があります。
我々が行っている衣服支援の基本は、「物は大切に最後まで使う。物の始末をきちんとする」
という、日本の伝統的な慣習を実行しているだけです。
ただ、最近の日本は古着を差し上げるのも失礼になるからと、気を使って、まだまだ着用可能な
衣類が沢山ゴミとして捨てられています。その勿体なさと、一着の服を着たきりの
アジアの方々にその衣類を差し上げられないかしらという所から始まりました。
最初から大掛かりな事をすると続きませんから、
自分たちが出来るところからというスタンスで始められました。
以前から、NPO法人や大きなボランティア団体の内情に疑問を持っていた私は、
これほど明らかな支援はないと言う事、ジャンボ飛行機で運んでも、ひとり20㎏の手荷物で
運べるだけ運んでも、どちらにしても、大海の一滴にすぎないこと・・・・
要はできる事をやるかやらないかの違いだと思い、お手伝いをさせていただいています。
今回は国内ということで、違った意味で考えさせられました。
ひとまず、衣服を手渡すことに、きりをつけて、いよいよ、追悼慰霊に向かいます。