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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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何の縁なのか、私には解らないけれど

音楽と読書が好きなだけの私が、

「国際ボランティア テラの会」で

戦没者追悼慰霊とミャンマー難民支援の

お手伝いをさせて頂いている。


歴史は苦手だった。やたらと、覚えることが

多かったからだ。センター試験世代なので、

意味などより、丸暗記が出来なければならない。


戦争の事など、両親から詳しく聞いて育った訳でもない。

と言うより、父は何にも戦争の事を語ろうとしなかった。

何かを飲み込んだような顔をして暮らしていた。

母に言わせると、若い時から、老成していたらしい。


父は、肺腺癌で、2008年2月29日にこの世を去った。

うるう年なので、4年に一回しか命日が来ない。

父らしい、死に方だと思う。

「4年に一回ぐらいは思い出してくれよ」と、

言っている様な気がする。


九州は大分で、成績が一番で、熊本の陸軍幼年学校に

入った。在学中に、戦争が終わった世代である。

父の兄は、チューク諸島(トラック諸島)で、空軍のパイロット

だったが、撃墜されて亡くなった。


そんなこんなのお話は父から聞いたことではない。

他の親戚から聞いた。

戦争が終わり、父は京都大学の法学部に進み、

電力会社に就職し、母と結婚した。

同級生に建築家の磯崎新氏がおられて、よく

我が家に遊びに来ていたと母が言っていた。

私が生まれていなかったら、絵描きに転職したかった

ぐらい、手先が器用で天賦の才能があった。


退職後に、水彩から始めた父の絵は

今は多くの親戚の家や、我が家の

玄関にも飾っている。


よく目をつぶって、腕を組み

ソファーにまんじりともせず

座っていた父の事を思い出す。

今になって、父は何を考えていたのだろう・・・と、思う。


戦没者の追悼慰霊をしながら、

私はやっと

日本の戦争の歴史を辿っている。

何だか、父の心を辿っているような気持ちさえ

するのだ。

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