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今から、書く事は、私は読んで下さる方に
上手く伝えられるか自信がありません。
メーソートは地元では、「メソ」とだけ言われたりします。
書くときにはメソットと書く場合があるようです。
私など、メンソレータムとごっちゃにして、
メンソートと書いては、企画広報部長に怒られました。
外国語は難しいですね・・・こんな話ではなかった。
数年前、テラの会は、オーストラリアのアボリジニ民族の
村を訪れました。詳しいことは、私のリンクからテラの会
をクリックして、活動履歴をクリックすると、昔の活動から
ずっと出てきます。
アボリジニ民族の方々は、占領された上に貧しいままで
白人社会の低下層の人たちとして暮らしていました。
今でも、貧しいアボリジニの方々は、占領した白人達の宗教
カソリックの教会からの支援??を受けて暮らしている
人も多くいます。
例えばカソリックの長い歴史と教義と、シスターをそれぞれ
どうとらえるか・・・・。
まず、書きますが「国際私設ボランティア テラの会」の代表は
13歳で聖書を読み始め、15歳で洗礼を受けました。
ボーイスカウトで寄付金を駅に立って募ったり、
教会のミサの手伝いをしたり、なんと!!オルガンまで弾いて
いたそうです。
非常に、宗教的な方であると思います。そして、神父になるべく
上智大学の神学科に、推薦を受け、上京しますがそこで多くの
疑問を抱き、そこから代表の宗教遍歴が始まりました。半端な
性格ではないので、カソリックだけでなく、カソリックから派生した
あらゆる新興宗教や、仏教、密教、神道、念仏もお経も、唱え
50にして行き着いたのが、「伝統」でした。
これを、一時期古神道と、おっしゃっていましたが、神道も様々に
分派しているので、誤解をされないように、所作は古神道で、心は
伝統、と言うところに行き着いたようです。それは、アッラーではない
自然の多くのものを助け、暖かい陽光を降り注ぐ、「太陽」です。
「太陽神」ではありません。
所作は、一応神道の所作ですが、慰霊の時は
そこに眠っている方にふさわしい祈りを捧げて慰霊をします。
「最後の日本兵中野さん」は、クリスチャンでしたので、
レクイエム エテルナム ドナ エーイス ドミネ
(神よ、永遠の安息を与えたまえ)と、お祈りし
私は、「フォーレのレクイエムより」「ピエ・イエズ」を捧げました。
今では、一番の「祈り」は黙祷であると、おっしゃっています。
般若心経も唱えますし、平気でムスリムで寝たりします。
何より、大切なのは「心」であるし、どんなに豪華に祭壇を整えても
あちらからは丸見えというのが、本当でしょう。
遠い日本から、異国へ、それも身内でもないのに、その方々に
心からの慰霊をせずにはおれない・・・というのが、代表の真の
姿です。信じられないでしょう。
人は、自分が思いつきもしないことは
感じもしないことは、排他的に否定するのです。
それは、良いとして、そのアボリジニの人々の目を見たときに
魂を抜かれたような目だった・・・印象的だったとおっしゃられていました。
シスターは、食事を与えたり、言葉を教えたり良い事をしている・・・聖書も
読み聞かせ、朝夕の祈りも、食事の前の祈りも欠かさないでしょう・・・。
敬虔なクリスチャンですから・・・・
何が、アボリジニの子供にとって、幸せな事だろうかと、思います。
雨露凌げる建物・美味しい食事・衣類は必要です。それ以上の教育の
選択は何が正しい事なのか、非常に難しい問題ですね。
だって、アボリジニ民族の信仰はあった、いや今でもあるのです。
それは、精霊信仰に近いものです。
それを、尊重しなくてよいのでしょうか?
それは、伝統であり文化です。
シスターが、悪いというわけではないでしょう。
教義は、カソリックの人だけのものでしょう。
土着の信仰をもっているアボリジニ民族の
まだ、何もわからない子供達にカソリックの教えを
植えつけるのは正しい事でしょうか?
そして、それと同じことが、メソットでも始まっていたようです。
我々が、一昨年訪ねた、森の孤児院の或る一定の年齢以上の
子供たちは、プロテスタント系の施設に移されていました。
表向きはNGOです。
非常に、敏感な問題です。
上手く伝えられるか自信がありません。
メーソートは地元では、「メソ」とだけ言われたりします。
書くときにはメソットと書く場合があるようです。
私など、メンソレータムとごっちゃにして、
メンソートと書いては、企画広報部長に怒られました。
外国語は難しいですね・・・こんな話ではなかった。
数年前、テラの会は、オーストラリアのアボリジニ民族の
村を訪れました。詳しいことは、私のリンクからテラの会
をクリックして、活動履歴をクリックすると、昔の活動から
ずっと出てきます。
アボリジニ民族の方々は、占領された上に貧しいままで
白人社会の低下層の人たちとして暮らしていました。
今でも、貧しいアボリジニの方々は、占領した白人達の宗教
カソリックの教会からの支援??を受けて暮らしている
人も多くいます。
例えばカソリックの長い歴史と教義と、シスターをそれぞれ
どうとらえるか・・・・。
まず、書きますが「国際私設ボランティア テラの会」の代表は
13歳で聖書を読み始め、15歳で洗礼を受けました。
ボーイスカウトで寄付金を駅に立って募ったり、
教会のミサの手伝いをしたり、なんと!!オルガンまで弾いて
いたそうです。
非常に、宗教的な方であると思います。そして、神父になるべく
上智大学の神学科に、推薦を受け、上京しますがそこで多くの
疑問を抱き、そこから代表の宗教遍歴が始まりました。半端な
性格ではないので、カソリックだけでなく、カソリックから派生した
あらゆる新興宗教や、仏教、密教、神道、念仏もお経も、唱え
50にして行き着いたのが、「伝統」でした。
これを、一時期古神道と、おっしゃっていましたが、神道も様々に
分派しているので、誤解をされないように、所作は古神道で、心は
伝統、と言うところに行き着いたようです。それは、アッラーではない
自然の多くのものを助け、暖かい陽光を降り注ぐ、「太陽」です。
「太陽神」ではありません。
所作は、一応神道の所作ですが、慰霊の時は
そこに眠っている方にふさわしい祈りを捧げて慰霊をします。
「最後の日本兵中野さん」は、クリスチャンでしたので、
レクイエム エテルナム ドナ エーイス ドミネ
(神よ、永遠の安息を与えたまえ)と、お祈りし
私は、「フォーレのレクイエムより」「ピエ・イエズ」を捧げました。
今では、一番の「祈り」は黙祷であると、おっしゃっています。
般若心経も唱えますし、平気でムスリムで寝たりします。
何より、大切なのは「心」であるし、どんなに豪華に祭壇を整えても
あちらからは丸見えというのが、本当でしょう。
遠い日本から、異国へ、それも身内でもないのに、その方々に
心からの慰霊をせずにはおれない・・・というのが、代表の真の
姿です。信じられないでしょう。
人は、自分が思いつきもしないことは
感じもしないことは、排他的に否定するのです。
それは、良いとして、そのアボリジニの人々の目を見たときに
魂を抜かれたような目だった・・・印象的だったとおっしゃられていました。
シスターは、食事を与えたり、言葉を教えたり良い事をしている・・・聖書も
読み聞かせ、朝夕の祈りも、食事の前の祈りも欠かさないでしょう・・・。
敬虔なクリスチャンですから・・・・
何が、アボリジニの子供にとって、幸せな事だろうかと、思います。
雨露凌げる建物・美味しい食事・衣類は必要です。それ以上の教育の
選択は何が正しい事なのか、非常に難しい問題ですね。
だって、アボリジニ民族の信仰はあった、いや今でもあるのです。
それは、精霊信仰に近いものです。
それを、尊重しなくてよいのでしょうか?
それは、伝統であり文化です。
シスターが、悪いというわけではないでしょう。
教義は、カソリックの人だけのものでしょう。
土着の信仰をもっているアボリジニ民族の
まだ、何もわからない子供達にカソリックの教えを
植えつけるのは正しい事でしょうか?
そして、それと同じことが、メソットでも始まっていたようです。
我々が、一昨年訪ねた、森の孤児院の或る一定の年齢以上の
子供たちは、プロテスタント系の施設に移されていました。
表向きはNGOです。
非常に、敏感な問題です。