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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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★味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 

道の隈 い積もるまでに

つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を

心なく 雲の 隠さふべしや                   額田王


★うまさけ みわのやま あをによし ならのやまの やまのまに いかくるまで 

みちのくま いつもるまでに

つばらにも みつついかむを しばしばも みさけむやまを

こころなく くもの かくさふべしや              ぬかたのおおきみ


★三輪山が 奈良の山々の間に隠れるまで 

道の曲がり角が いくつも重なるまでも 

つくづくとよく見ながら行きたいのに 何度も眺めたいのに

無情にも 雲が 隠すなんてそんなことをするなんて      額田王


何だか、額田王に心魅かれて、またまた、額田王の登場です

彼女は何度も書いたように、後の天智天皇となられる中大兄皇子の弟であられる

天武天皇である、大海人皇子に

お嫁入りして十子皇女(とおちのひめみこ)を生み、兄である中大兄皇子が天皇になられてから、

兄のほうにお嫁入りした女性です。現代だったら考えられないかもしれないし、偏見の目でみられ

るかもしれないけれど、つい何十年か前までは、夫が亡くなって、その兄弟と結婚するというのは

おかしいことでもなんでもなかったんですから・・・・・

但し、魅力的であったことは間違いないでしょう・・・それは見た目だけでなく和歌の上手さからも

知性や機知にとんだ女性であったような気がします。

この歌は、

額田王 、近江の国に下る時に作る歌、

とあります。

様々な思い出のある、奈良、三輪山の地を天智天皇にお嫁入りされた近江の国に向かい、離れる時に、詠んだものです

雲隠れむ・・・・というのは、前に書いた大津皇子の歌にあるように、死ぬ事を意味します

その言葉を用い

心なく 雲の 隠さふべしや・・・とあるのは、それほど、古京、飛鳥の地を離れ、近江大津宮に

移るのが辛かったのかなと思います。

山上憶良は、天皇がお詠みになった歌としているけれど

女性である私の視点からすると、やはり額田王の作であると思う・・・

 

 

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★にきたつに ふなのりせむと つきまてば しおもかなひぬ いまはこぎいでな

                                            額田王(ぬかたのおおきみ)

・熟田津から 船出をしようと 山の端から月が出てくるのを 今か今かと待っていた
いよいよ、潮もちょうど良い具合だ。さぁ、今こそ漕ぎ出だそう

意味だけ読んでしまうと何のことは無い感じですが、

私はこの句の字余りの最後の句「いまはこぎいでな」がとても好きです。

なんだか、胸がわくわくしてくるんです。

この和歌は前回書いた和歌の作者であるあの額田王です。

大海人皇子(おおあまのみこ)の奥さんになって、十市皇女(とおちのひめみこ)を生みました。

あの薬狩りのときに

★あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖ふる

を、詠った方です。

前夫(大海人皇子)に送ったあの大胆な歌からも、額田王の女としての器を感じます。

だから、これは多分舟遊びのようなものではないと思います。

だって、月あかりを待って海に出るなんて、余程の事だと思います。

そういう緊張感がこの歌には感じられます。

そして、最後の「な」というたった一つの字余りの音が、

この句に凄く生き生きとした緊張感を与えているように思います。

声に出して、読んでみてください

☆にきたつに ふなのりせむと つきまてば しおもかなひぬ いまはこぎいでな

ねっ、なんだか、今からいくさにでも行くような血沸き立つ感じでしょ!

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ライブ録音CD「心の唄」のコンサート以来、私は藤岡さんの出演するものは余程のことが無い限り

聴きに行った。いろいろな方を連れて行った。

17人の学校先生を連れて行ったり、20名以上の生徒や父兄を連れて行った。

一人でも多くの人にこの素晴らしいカウンターテノールの歌手の歌声を聞かせたかった。

藤岡さんのコンサートのチケットは当時5千円・・・コンサートチケットの金額が下がってしまった今となっては、結構高い金額である。
(それだけ、クラシックコンサートはつまらないという事がみんなわかってきたのでしょう)

私は兼業主婦・・二人の娘を持ち、高校の非常勤教師のかたわら俗に言う、家庭と仕事の両立、というものをやっていた。

それまで、わたしは自分の音楽や勉強や娯楽にかかるお金は自分で払うという方針でやってきた。

藤岡さんにレッスンを受ける。そうすると、自分に足りないものいらないものが少しずつ見えてくる。

レッスン代も大変だったが(我が家は珍しく主人が家計を握っているので生活費だけだ)

たとえば、声を出すための大切な楽器である体を整える事

様々な本、楽譜、

そして、今まではあまり美容に興味も無かったのだが、舞台上で一時間以上も、自分の姿を

人前に晒す・・・という責任から来る必要なもの・・・・などお金はどんどんかかる

無い脳みそで、懸命に考えた・・・どこから、お金を捻出するか・・・・

それまで、私は合唱団の指導や指揮を任されていた。

熱心さのあまり、週2回のところを週5日いったりしていた、

体力と時間も限られている。勤務契約のとおりに週2日に戻した。

その分、自分の時間を増やす事ができる。

ブランド物や高い化粧品やアクセサリー、おしゃべりランチもしていなかったので、そこは削るものが無い。

洋服を買わないと決めた・・・以来8年間一着も洋服を買っていない。

余計なお付き合いもしない。まぁ、その頃は酷い抑鬱症で、あまり、人付き合いもよくなかったけれど

勿論、水道光熱費も抑える。

ただでさえ少ない友人が減ってしまったが、それで終わる付き合いならそんな程度だろうとも思った

口が卑しいので、食費だけはあまり、削れなかった。

とにかく馬鹿な私なりに工夫をして、音楽にかかる費用とお金を捻出したのだ

週に2日の仕事と週に一回のレッスン、多い時は2回・・・殆ど寝込んでいた私だが、

この二つのことだけは、這うようにしても通った

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★ 冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 

山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 

秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く 

そこし恨めし 秋山われは     額田王

☆ ふゆごもり はるさりくれば なかざりし とりもきなきぬ さかざりし はなもさけれど 

やまをもみ いりてもとらず くさふかみ とりてもみず 

あきやまの このはをみては もみちをば とりてそしのふ あおきをば おきてそなげく  

そこしうらめし あきやまわれは                 ぬかたのおおきみ


春と秋とどっちが良いか、歌で論争したみたいですね。

そこで、額田王の言い分というわけ・・・・・


● 春がやってくると 鳴かなかった鳥も 飛んできて鳴き始める、咲かなかった花も 咲くけれど

山は葉が茂り、入って行っても取れないし 草が深く茂っていて手折って見ることも出来ない

ところが、秋の山は木の葉が黄色く色づいたのを 手にとって愛でて 青い葉は そのままにして

黄葉するのを楽しみにため息をつく・・・そのうらはらな所が心引く やはり秋山が好き 私は


女心と秋の空・・・でしょうか・・・私も秋の山のほうが好きかなぁ・・・

額田王は天皇家の兄弟をそれぞれ夫にした女性・・かなり魅力的な方だったのではないかしらん

普通の女性には中々経験できない恋の駆け引きや遍歴をした女性なら、

みんなが浮かれる春よりも・・・うらはらな秋のほうが心惹かれるのは当然のことでしょう。

 それにしても・・和歌のリズム感ってステキ・・声に出して読むともっとステキ


額田王といえば・・・このブログにも記した歌があります。

★あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖ふる

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ふたりいけど いきすぎがたき あきやまを いかにかきみがひとりこゆらむ

                                       大伯皇女(おほくのひめみこ)

ふたりで行っても あまりに寂しい秋の山を あなたはたった独りでどんな気持ちで越えていることでしょう

天武天皇と大田皇女の間に生まれた、弟である大津皇子(おおつのみこ)と大伯皇女(おほくのひめみこ)は二人姉弟で、姉7つ、弟5つの時に母を亡くします。

そして、大津皇子は天武天皇の跡継ぎ問題で謀反の疑いをかけられ、死刑になってしまうのです。

最後の逢瀬となった姉弟・・その時ははっきりとはわからないけれど、虫の知らせのようなものを

姉は感じたのではないでしょうか?

伊勢斎宮であった姉の所を久しぶりに訪ね、弟は何を姉に話したのでしょうか?

父である天武天皇が九月九日にお亡くなりになり、後継者問題は当然その前からあったはず・・・

自分が天皇につきこの国を治めるという決心を話したのでしょう。たった一人の姉に・・・・

夜半に伊勢を発つ弟を見送る姉・・・何か悪い予感のようなものがするけれど、何も出来ない自分が辛かったに違いありません。


我が背子を大和へ遣るとさ夜深けて 暁露に わが立ち濡れし    

わがせこを やまとへやると さよふけて あかときつゆに わがたちぬれし  

                                          大伯皇女

愛しいあなたを大和に帰すと、夜も深けて、やがて明け方の露に濡れるまで私は立っていました


案の定、謀反発覚。父である天武天皇が崩御されて一ヶ月も経たぬ10月3日に、大津皇子は24歳という若さで、死刑になってしまいました。


百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

ももつたふ いはれのいけに なくかもを けふのみみてや くもがくりなむ

                                  
                      大津皇子(辞世の句・・・死の直前に詠む歌の事 )

磐余(いはれ)の池でいつも鳴いている鴨を、今日を最後に見て、私は死んでいってしまう


この話は色々な説があります。私は大津皇子は真っ直ぐで男らしい性格のようですから、そそのかされてしまったのではないかと思うのです。
姉もそのような弟の性格を知っていたからこそ、悪い予感がしたのでは・・・

大切な弟を失った姉の悲しみは余りあります。

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